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ヘルプマン

2013.09.27 UP

都会の真ん中で 地域密着型の介護を創る

JR新橋駅近くの8階建てのビルの中。そこに介護施設「新橋さくらの園」があります。高層ビルの並ぶ都会の立地ですが、屋上には自家栽培の野菜が植えられた農園やみつばちファームがあり、散歩ができる環境もあります。プロデュースしたのは新潟の社会福祉法人長岡福祉協会。施設長の笹川美由紀さんは、新潟で実現している「地域密着型介護」の都心版に挑戦しています。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

デパートの店員時代、ある日訪れた転機

小中学校時代から何か人の役に立つ仕事に就きたくて、看護専門学校に行こうかなと思っていたのですが、母親に「とりあえず高校は出ておけ」と言われ、普通高校に進みました。卒業近くなっても看護師への思いは変わらず、看護学校の試験を受験。でも、ろくに勉強もせずに受けたので見事に全部落ちました。

いったん看護師はあきらめてデパートの店員になったのですが、生地・手芸売場の責任者をしていた時に転機が訪れました。お店によくやってくる高校生の進路相談にのっているうちに「あれ、自分はこれでいいんだっけ?」という思いが募ってきたのです。思い立ってもう一度高校の教科書を開いてみたら、不思議なことにあんなにわからなかった数学がすらすら解けて、「勉強って面白い」って初めて思いました。その勢いでそのまま受験勉強を始めて、母親には「働きながら学校に行くから」と伝え、ろくに調べもせずに准看護師養成校を受験。無事合格したのはよかったんですが、入ってみたら「うちは全日制の全寮制でアルバイトは禁止です」と言われて「どうしよう」と途方にくれました。

でも、こっそりアルバイトをしながら2年間通い、さらに都立の看護専門学校で2年間学んで正看護師の資格を取得、その後新潟に戻り保健師の資格を取ることができました。

介護福祉士をリスペクトした瞬間

八王子のデイサービス施設が、私の介護のキャリアの第一歩。勤務初日の朝、送迎車から降りてこちらに杖をついて歩いてくる高齢者を迎えた時です。風下にいた私はその何とも言えない臭いを嗅ぎ、食べ物の残りかすが口の周りにくっついている様子やぼさぼさの頭を見た瞬間、「汚い」と思ってしまいました。それまで何年も看護師として働いてきたので、自然に適応できると思っていましたが、病院で看護師として接する高齢者と現場で接する高齢者は違っていました。自分の置かれた状況に適応できず、ただその場に立っているのがやっと。

そんな中、先輩の職員さんたちはいつもどおりの様子で「〇〇さん、おはようございます」と利用者に手を差し伸べ、肩を抱いて施設に入っていきます。そうした対応を見て私は、「この人たちってすごい!」と素直に驚きました。

でも、今思えば「汚い」と感じたのは、自分がまだ病院の看護師の意識でその人の外側だけを見ていて、人そのものを見ていなかったから。一週間、一ヵ月が過ぎ、お互いの感情が交流し合ううちに気持ちが溶けていき、「(暮らし方も含めて)その人まるごと全部でその人なんだ」と思えるようになると、何とも言えない深い情愛が生まれてくるのがわかりました。

看護と介護の境界線とは

私は看護師出身だけに「看護と介護の境界線」が気になっていました。一般的に看護師は医療の専門家、介護福祉士は生活の専門家と言われますが、看護も本来は「生活の支援」を担うべき存在。でも、現在の看護はその部分を介護に明け渡してしまい、本人が持つ力を引き出すことを忘れてしまっているのではないでしょうか。

あのナイチンゲールだって病室の窓を開け、環境を整備し、生活をケアすることから始めました。私が人間の力にこだわるのは、デイサービスで何度か奇跡と出会えたから。ある87歳の方の場合、胃がんに罹り、余命数ヵ月と診断されました。私はご家族にデイサービスの利用をそれまでの週3回から週5回に増やしていただく提案をしました。人に囲まれて、楽しく暮らすことが大事だと直感したからです。結果的にご本人にはより厚いケアが提供でき、ご家族の介護疲れも緩和できたと思います。多くの人に囲まれ、ご本人も最期の時間を楽しく過ごされたこともあったためか、余命数ヵ月が2年3ヵ月になり、最後は安らかに逝かれました。

本人と家族が穏やかで納得のいく最期を過ごすことが理想のケア。
看護と介護、それぞれ専門領域はありますが、高齢者ご本人の望みを叶えるケアにおいてその境目はない、というのが私の考えです。

24時間365日、
重度の利用者の生活を担うということ

デイサービスに6年間勤務後、杉並区の特別養護老人ホームに移りました。

昼間の仕事から24時間の介護の現場に替わるのは正直戸惑いもありましたが、デイサービスでは自分のできることは、ほぼやり尽くした気がしていましたし、全然完成形ではありませんが誰に任せてもやりにくい状態ではないというところまで組織を創りあげることができたとその時は思いました。せっかくのチャンスを前に「ここで満足してたら私じゃない、新しい世界に飛び込んでいこう」という気持ちが先に立ちました。

新しい職場では園長として4年半勤務、24時間365日、重度の利用者の方の生活を支援する場合に、当たり前のことを当たり前にやることの難しさも痛感しました。たとえばちょっと利用者を外に散歩に連れて行きたいと思っても、職員の配置や制度上の問題でできなかったり、食事ひとつでもドクターの意見で、のどが詰まるので普通食はダメと言われたり。何でも安全、穏便にというのがその人らしい「生活」になるのかという葛藤がつきまとっていました。それでもご家族の了解を得て、少しずつ普通食を提供することを試みたりするなど、できるだけその人にとっての「当たり前」に近づけるため悪戦苦闘した4年半でした。

喜怒哀楽の「怒り」のない環境をつくろう

2011年に現在の長岡福祉協会に移り、施設長として職員と会話する中で、生まれて来た職場の目標は「喜怒哀楽の『怒り』のない環境をつくろう」。

例えばホテルのサービススタッフは、たとえ自分が忙しくてイライラする状況であっても、お客様に「えっ?何ですか」とは言いません。専門的な知識、技術に加えて感情のコントロールができ、自分が組織人であるという自覚を持って動けるのが、本来のプロフェッショナルです。逆に言うと自分本意ではなく、常に相手の望み、その人にとって一番良いことって何だろう?と考えることをすべてのベースに、その人の望みに添っていくことが私たちの目指す介護です。利用者の「望み」に敏感な人が集まって、人と人の間にいい交流や循環が生まれると、いいアイデアやとんでもない力が生まれます。

私自身、100名近い組織の施設長といっても全然ヘナチョコですし、結局のところ支えてくれる人がいなければ砂の上の棒のようなものです。だから、現場の職員たちの「望み」には常に敏感でありたいし、大好きなスタッフ達とは一心同体でありたい。利用者であっても、職員であっても、傷ついた時は共に痛みを感じ、うれしいときは一緒に喜ぶ、それが私の考える「怒り」のない環境です。

都会のど真ん中で挑む地域密着サービス

「老人ホームの廊下を地域の道路へつなげよう」それが長岡福祉協会こぶし園の考え方です。
この地域密着型介護の考え方を、新潟の長岡から都会にも導入しようとスタートしたのが首都圏事業部です。

都内は今後、急速に高齢化が進み、25年後には3人に1人が高齢者になると予測されています(※)。都市部はとくに独り暮らしの老人が多いのが特徴で、港区の調査では正月三が日を「ひとりで過ごした」人が33.4%という結果もあります。高齢化が進む都会でこそ、地域密着の介護の整備を急がないといけないのです。私たちは独り暮らしで重度の障害をもつ老人に対しては、看護師・介護福祉士が協力してより専門的な治療、援助を提供し、利用者が「最期はここで」と安心して入居できる「ナーシングホーム」にあたる施設が必要だと考えています。

一方、近くにご家族がいたり、施設に入るほど重度の方でなければ、積極的に自宅に近い場所でのケアを支援する施設も必要です。「新橋さくらの園」では今後、この2つの機能を持った小規模なサテライト施設を近郊に2ヵ所開設する予定。老人福祉法の特別養護老人ホームの基本方針は、「可能な限り、居宅における生活の復帰を念頭に置いて」とあります。わたしはこれを忘れたことがありません。多くの高齢者が望んでいる在宅での支援を私の施設で叶えられないだろうかと思っています。

※都内の高齢化率(65歳以上人口の割合)は2010年1月時点で20.3%で、2035年には30.7%となることが予想されている(国立社会保障・人口問題研究所推計)。

「介護を一生やっていく」と決めた理由

30歳を過ぎて、初めてデイサービスで介護に携わったときのこと。当時、わずか着任1年2ヵ月の新参者で主任になり、他に10年20年選手が多くいる中で、しかもナース出身ということで四面楚歌の状態でした。主任発表の朝礼で、きっと拍手なんて一つもないだろうなと思いながら、重苦しい気分で「主任になりました。よろしくお願いします」と頭を下げました。

すると、利用者のリーダー格だった半身まひの男性の方が、椅子をがたっと後ろに倒し、まひした片手を使って拍手しながら「頑張れ!」と言ってくれたのです。その時に「この場で死んでもいい」「私絶対この仕事辞めない」と思ったんです。そんなふうに人として生まれて、他人からいただくことがあるのかと思えるような素敵な言葉と出会えるのが介護の仕事です。

「喜怒哀楽の『怒り』のない環境をつくりたい」という言葉も職員たちとの会話から生まれたものですし、人は人に育てられ、生かされているということをつくづく実感します。みなさんがいま、社会に対して何か使命感のようなものを感じているなら、介護はそれを見つけられる場所であり、自分を磨くことができる場所だと思います。

人とかかわって感動したい人、成長を感じたい人はぜひ介護の世界へお越しください!

【文: 高山 淳 写真: 山田 彰一】

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