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ヘルプマン

2013.11.12 UP

半径400メートル以内がさくらホーム 暮らし続けたい町をつくる

瀬戸内海に臨む風光明媚な港町・鞆(とも)の浦。江戸時代そのままの常夜燈が現存し、かつて坂本龍馬が宿泊したという隠れ部屋も残る。そんな歴史とロマンを感じるこの町で江戸時代の商家を改装した「さくらホーム」を営むのが羽田冨美江さん。ホームのスタッフとご利用者さん、地域の人が、顔が見える関係でつながり、誰もが暮らしやすい町を支えるケアのスタイルは全国的にも注目され、研究者や大学生が各地から研修に訪れるといいます。

玄関はいつでも開けっ放し

「さくらホーム」の利用者さんは鞆の人限定。ホームの玄関はいつも開けっ放しで、近所の人も気軽に立ち寄っていきます。みんな行きつけのお好み焼き屋さんや居酒屋さんにぶらりと出かけ、お店の人やお客さんは気心が知れているので様子を見てくれて、帰りには送ってきてくれます。ホームは第二の自宅だから、「ちょっとゆっくりしてって」とスタッフもご近所さんも一緒になって酒盛りが始まることもあります。

ホームの近くにある駄菓子屋さんでは利用者さんが子どもたち相手にお店番。みんな「駄菓子屋のおばちゃん」って呼ばれるのが何よりうれしいと言います。

地域のお祭りのときには準備段階から関わって地域のために汗をかきます。夏には大学生や中学生のボランティアやご利用者さんと一緒に肝だめし大会やお寺でお化け屋敷大会を企画し、子どもたちに人気の恒例行事になっています。

住み慣れた町で、親しんだ人に囲まれた中で、役割を持った生活をしてこそ自分らしさを取り戻せる。施設が「ぼけたおじいちゃん、おばあちゃんの行くところ」となっては駄目、町の八百屋さんのような人々の生活に密着した場にならないといけないんです。

居場所を失っていた義父と私

そう考えるようになったのは、私自身が地域の人に助けられた経験があるから。
私はもともと理学療法士として福山市内の病院で働いていましたが、義父の介護のために仕事を辞めて在宅介護を始めました。

車いすで病院から故郷に戻った義父に周囲の人たちは遠慮がちで、義父も居場所がない感じでした。そんなときに町を二人で散歩していると、義父を昔からよく知っているある人が、こう声をかけてくれたのです。「あんた、こんな大変なおっさんよう面倒見るな。あにさんがわがまま言ったらわしのところに言ってきない。ワシが海に放り投げたるから」と。

何の飾りもない言葉です。父も「おう、そうしてくれ。わしはこいつに迷惑ばかりかけようから、そうしてくれ」と嗚咽をこらえていました。その言葉に私も救われた気がしました。これは父を知らない人には言えないこと、これが地域の人の力なんだ、地域で見るってこういうことなんだと思いました。

地域の人の意識を変えたい

もちろんすべての人が言葉をかけてくれるわけではありません。結局、地域の人々の意識が変わらないと、どれだけいいリハビリで病院から自宅に戻っても町なかに居場所はありません。

そこで私は友達の勧めもあって地域の「福祉を高める会」のボランティアから意識改革に取り組み始めました。小学生に車いすの話をして、この町はどこが不便か調べてもらったり、地域の人を集めて身体が不自由になったときの疑似体験をしてもらったりしながら、少しずつ活動を始めました。

「さくらホーム」をつくったのも、ここを拠点に鞆の地域力を高めたい、意識を変えたいという想いがあってこのことなんです。

半径400メートル以内を24時間365日見守る

「さくらホーム」を始めてからも、知り合いに声をかけて地域会議を開いたり、学校や地域の集まりがあれば話をさせてほしいと出かけていったりしました。スタッフも町へどんどん出ていって、地域の人にも利用者さんを見守っていただけるような関係性を地道に築いています。

鞆の中だけで拠点を4つ設けて、24時間365日、ご利用者さんをフォローできる体制もつくっています。拠点はご利用者さんの半径400メートル以内にありますから、万一、何かあったときには夜中でも飛んでいけます。

生活に近いところに拠点があれば地域の人たちも気軽に出入りできるし、利用者さんも顔を出しやすくなります。ある拠点では、遊びに来ている近所の人のほうが多い日もあるくらいです。

「鞆のような小さな町だからできるんでしょう?」と言う方もいますが、日々の積み重ねがあるからこそ、地域の人にも利用者さんを見守ってもらえるような関係性ができているんだという自負があります。

町に出ていく身体をつくるリハビリ

「さくらホーム」はバリアフリーの設計にしていません。エレベーターもありますが基本は階段。みんなどんどん上り下りするなど、建物も生活の中でリハビリできるように設計しています。

広々とした空間はなく、廊下も狭くして手でつたいながら滑り止めの床を歩けるようにしました。疲れたら休んで、自分で立ち上がれるようにして、スタッフが飛んでいかなくても済むようになっています。

転んでもけがをしないように床は松の柔らかい板を使って、床下はコンクリートの基礎を入れずに空洞にし、クッションを生かしています。転ぶ場合でも何かを支えにゆっくり転ぶから大丈夫。スタッフにも「ご利用者さんが階段を下りていても放っておきなさい、危ないからって止めないで」と指導しています。

こういったことは建物を建てるときにすべて計算ずくで設計に反映しています。

知識が優しさになる

スタッフのケアにもいつも目を光らせています。些細なことでも、スタッフがいい加減だったり、自己流のやり方をしたりした場合は、「裏付けのないケアはしないで!」って。

いすの高さやクッションの位置をちょっと変えただけで、驚くほど利用者さんの身体は楽になります。逆に、枕の位置がちょっと変わっただけで、緊張して硬直が起きることもあります。介護には誠実さや優しさももちろん必要ですが、何より大事なのは知識。知識が優しさになるのです。

食事のときに食器を置く位置やお皿の種類、階段を上がるときの声かけ、下りるときのスタッフの位置、本人の視覚をどこに持っていくかなど、スタッフ全員が最善のケアを共有し徹底します。

そうして、寝たきりの状態から自分で歩けるまでになった人もいます。ご利用者さんがどんどん元気になって町に出ていけば、町の人にとってもそれが当たり前のことになっていくのです。

「この町に暮らしてよかった」と
思ってもらいたい

最近力を入れているのが「NPO法人 鞆の人と共にくらしを」の活動。月に一度、著名な先生を招いて発達障がいの勉強会を行っています。

認知症の人が暮らしやすい町は、きっと発達障がいの人にも暮らしやすい町です。
この町には介護施設や病院、旅館、おみやげ屋さんがたくさんあるから、そういう事業所での就労支援にもつなげていきたい。障がいのある人を単に訓練するだけではお母さんたちも安心できない。就業支援まで持っていって初めて支援したといえるんじゃないでしょうか。

「さくらホーム」ができて以来、10年かけて認知症や障がいについての勉強会を実施し、ホームの活動を続けてきたことで、町の人たちの意識も少し変わりました。今度は発達障がいの勉強会に小学校・中学校を巻き込んで、10年後には認知症の人も、障がい者も、子どもも、安心して暮らせる町をここから発信したいと思います。

ちょっとかっこよすぎるけど、この町に暮らしてよかったと思ってもらえたら、それが「さくらホーム」の存在意義だと思います。

【文: 高山 淳 写真: 中村泰介】

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