ヘルプマン
2018.11.27 UP
「メイクセラピー」とは、化粧療法のこと。現段階では、「治療法」としての確立には至っていないが、化粧による心理的・社会的・生理的効果を活用してクオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)の向上を目指すケア手法として広がりを見せている。介護の世界では、生活を支える介助やリハビリによる機能維持といった「生きていくために必要なこと」が最優先。しかし、身だしなみや美容に関わる領域もまた、本人が「自分らしく生きるために必要なこと」といえるだろう。今回は、高齢者や認知症患者、療養中の人々へのメイクセラピーで、多くの人々の人生を支えることを目指すNOTICEの代表・大平智祉緒さんにお話を伺った。
心理的効果に加え、対外的効果、
リハビリ的な効果も期待できるケア
メイクセラピーはまだ新しい概念だが、近年、その研究は進み、化粧がもたらす科学的な効果が注目されている。実際、どんな効果があるのだろうか。
「心理的には、自己肯定感が増し、安心感を得られ、リラックス効果が高まるとされています。また、気分を高揚させ、外出などの行動を促すともいわれています。対外的な効果としても、周囲からの声掛けが増し、人との関わりが生まれやすくなりますね。さらに、本人が手を動かすことはリハビリにつながりますし、お顔をマッサージすることで唾液の分泌も促進されます。経験上では、ホットタオルやマッサージによって血行がよくなり、筋肉のこわばりがなくなるので、筋肉が拘縮してしまう症状がある方も表情が作りやすくなるように思います」
現在、大平さんは介護施設と提携し、定期的にマンツーマンでのメイクセラピーを行っている。メイクアップはもちろん、スキンケア、ネイル、フェイシャル、爪切り、整容まで行うが、ただ施術を提供するのではない。本人の生活習慣や現状の機能まで含めた上で内容を考え、施術と指導を行いながら、最終的に「自分でできるようになること」を目標としているという。
「美容・整容に対する意識やこだわりには個人差があるので、個々に合わせてマンツーマンで行っています。お顔は非常にパーソナルなものですが、『こうありたい』『こうなりたい』という気持ちは誰しもあるもの。その方にとっての“きれい”を引き出し、自分らしく生きる喜びを提供し、人生を支えていくことを目指しています」
▲介護施設を訪問し、ご利用者さんにメイクセラピーを施す大平さん。「肌に触れることでより深いコミュニケーションができる」と話す
がんで父を亡くしたときの後悔から
終末医療に携わる看護師を目指した
大平さんは、もともとは看護師として活躍していた。医療業界を目指した背景には、父をがんで亡くした経験が大きく影響しているという。
「中学3年生だった自分には、次第に痩せて弱っていく姿は、どんどん違う父になってしまうように見えていました。それが怖くて、触れることも声を掛けることもできず、ただ見守ることしかできませんでした。こうした経験から、『私のように後悔する人がいなくなるよう、緩和ケアやターミナルケアに携わりたい』と考えるようになり、ご家族を支えられる看護師になろうと決意しました」
志望どおり看護師となり、高齢者医療や認知症治療を行っている病院に勤務。だが、医療の現場で経験を重ねるうちに限界を感じるようになったという。
「医療においては、最期の最期の瞬間まで安全に治療することが最優先ですから、たとえご本人が望んでいなくても点滴を外すことはできません。処置を行う際にもご家族には部屋を出ていただくなど、日常業務に追われる中『私がやりたかったのは、こういうことだったの?』と苦しむようになりました」
自分の思いと現場とのギャップに悩んでいたこのころ、大平さんはあることをきっかけに「メイクセラピー」に興味を持つようになった。
「看護学生が『認知症患者の方に、マニキュアを塗るメイクセラピーをしてあげたい』と言ってきたんです。最初は、本当に効果があるのかと疑問視していました。ところが、日ごろは活気のなかったその方が、きれいになった自分の爪を見た瞬間から、別人のようにイキイキとした笑顔になって。『ああ、この方はもともと明るくて笑顔がすてきな方だったんだ』と気付き、ハッとしました」
大平さんは、きれいになることが人にもたらす効果を知りたいと考え、インターネットでメイクセラピーについて調べ、独学で学び始めたという。
「白血病で亡くなった70代の女性の患者さんにエンゼルケア(逝去時ケア)を施したとき、ご友人から『いつもきれいにしていた人だから、鼻の下の産毛を剃ってあげてほしい』と言われたことも気付きにつながりました。当時、患者さんたちの産毛を気に留めたこともなかったですから。『この方の本来の姿や望みを理解できていなかった。もっとできることがあったのでは』と、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました」
そもそも死を迎えたときしか化粧をしないこと自体がおかしいのではないか。療養中でも産毛や化粧、スキンケアなどに気を配る必要があるのではないか。患者という枠にはめ込むのではなく、それぞれの個性や生き方を尊重するケアによって、人は前向きになれるのではないか。大平さんはそう思い至ったという。
▲「年配の女性、特に80〜90代の方は、『派手にしてはいけない』という意識が強くあり、メイクセラピーに興味があっても自分からは言い出せないケースも多い」と話す大平さん
ママたちにメイクしたことがきっかけで
メイクの効果を実感し、介護の世界へ
この後、大平さんは25歳で結婚すると同時に職場を離れ、子育てに専念する。同世代の友人たちが仕事で活躍する中、専業主婦として家事と育児に生きる日々に、社会から取り残されているような焦りも感じていた。
「けれど、ママとしてのファッションや化粧を楽しむようになったことで、気持ちが前向きになりました。化粧には自分の意識を高めるスイッチのような効果があると実感し、もっと知識を深めたくてメイクセラピーの養成講座に通うことにしたんです」
出産後、子育て中心の生活になっても、本来の自分の姿も大切にできるようになれたら。そう考えた大平さんは、講座を修了した後、お子さんの通う幼稚園のママ友達が開いたハロウィンパーティーで、ママたちにメイクを施すことに。
「20人にメイクをしました。いつもは子どもの写真を撮るのみだったママたちが、一緒に写ってワイワイ楽しむ様子を見て、『お化粧って、こんなにも人をイキイキとさせるものなのか』と。それ以降、ママの中には、きれいにメイクして送り迎えされるようになった方や、眼鏡をコンタクトに変えた方もいましたね。化粧は、自分を取り戻すスイッチなのだとあらためて感じ、『私にもできることがある』と思うようになりました」
以降、大平さんはママ向けのメイク講座を開催。さらに、地域の集まりで偶然出会った不動産会社の部長に、「シニア向けのメイク講座を開催してほしい」と依頼される。
「65歳以上の女性10名が参加されましたが、皆さん、メイクの持つ『きれいにする』という効果より、そのほかの心理的・対外的効果に関心を持ち、熱心にメモをとってくれました。そして、この講座をきっかけに地域包括センターの所長から、認知症フェアのイベントで講演する機会をいただいたんです。イベントでは、メイクセラピーのブースも作らせてもらうことにしました」
ブースで施術を受けた来場者の中には、がんの治療で眉毛が抜け落ちてしまった女性や、90歳を過ぎても夫の介護を続けている女性などがいたという。「こういうところに相談したかった」「私なんかがきれいになってはいけないと思っていた」と涙を流す姿を見て、大平さんは再び、強い決意を胸に抱く。
「日本は社会保障制度が充実しているのに、当事者の皆さんはこんなつらい思いを抱えているのかとショックを受けました。どうにかしなくては、と燃えるような思いが芽生え、『自らきれいになりたいと言えない人たちに、美容を届けていこう』と決意しました」
▲メイク道具を美しくセットすることも心掛けている。施設内で施術する際には、食堂や会議室、個人の部屋などで行い、30分程度かけてじっくりと向き合う
▲ただメイクを施すのではなく、本人に使うカラーを選んでもらうなど、意思決定を引き出すためのサポートを行う。1回の施術の中で、最初は恥ずかしがって遠慮がちだった人が、好みを積極的に伝えるまでに変化することも多い
ボランティア活動で経験を重ねた後、
老人ホームでのメイクセラピーを実現
大平さんは福祉関係者の友人や知人などに協力を仰ぎ、地域の老人福祉センターで講演会、体験会を開くボランティア活動、地域包括センターの事業者向け勉強会でメイクセラピーについて発信する活動を始めた。
「東京大学医学部附属病院が行う『外見ケア』のイベントにも1年間、ボランティアで参加しました。外見を整えるケアは、病を受け入れ、治療に向き合うことにもつながるという考え方のもと、イベントのブースで患者さんにメイクセラピーを施しました」
この経験をもとに、地域包括センターで高齢者向けメイクセラピーについてプレゼンテーションした結果、ある有料老人ホームのマネジャーから声が掛かり、施設内で定期的にメイクセラピーを行うようになったという。
「週に2回、施設を訪問し、マンツーマンで施術をしています。最初は反応が薄かったけれど、継続的にコミュニケーションをとるうちに希望される方も増え、いまではおおむね1日に8名の方に施術しています。毎週、ハンドケアとネイルケアを受けていた方は、当初、『誰も私の苦しさを分かってくれない』といつもつらそうにしていましたが、次第にいろんなお話をしてくれるようになりました。『あなたの仕事は、たくさんの人を幸せにするすてきなお仕事ね。多くの人に届けてあげてね』という言葉を掛けてくれたときは、涙が出そうなほどうれしかったです」
また、夫婦で入所しているという90代の女性に施術したときには、妻だけでなく、夫まで変化していく様子を実感したという。
「当初、『いい歳をして、化粧なんかやめておけ』と言っていたご主人が、施術を重ねるうちに奥さまがどんどん明るくなっていったことで、『こんなにイキイキしている姿は最近見ていなかった。今日もよろしくお願いします』と言ってくださるようになったんです。メイクセラピーは、周囲にも影響を及ぼすものだと実感しました。私は父を亡くしたとき、何もできなかった自分を責め続けました。もしも『最期まできれいだった』『その人らしく人生を終えた』と思えたなら、残されたご家族のその後はきっと違うものになるはず。メイクセラピーは、遺族の悲しみを癒やすグリーフケアにもつながるのではないかと考えています」
▲「自分でできること」を目指すため、リップを塗る、眉毛を描くなど、要所要所で本人にメイクをしてもらうよう促す。集中力を高め、また、手を使うためリハビリ効果も望めるという
▲メイクセラピー終了後、イキイキとした表情に変化した利用者の女性。施設の男性スタッフに「きれいですね」と声を掛けられ、笑顔を輝かせる
メイクセラピーを職業として確立させたい。
多くの人に届け、ケアの質を高めていく
現在、大平さんは介護施設でのメイクセラピーや地域住民に向けた体験会を続けながら、講師として介護・看護職に向けた指導も行っている。「介護×美容」の分野で事業を展開する株式会社ミライプロジェクトの専門教育機関である介護美容研究所にて、メイクセラピーの指導を担当しているという。
「ケアビューティーの考え方や、元気な方と終末期の方のケアの違いなどについて教えています。私のメイクセラピーの軸は、看護学の中で学んだ経験がもとになっています。高齢期や終末期の苦しみをどう捉え、ご本人が何を望んでいるのかを知り、これからどう生きていきたいのかという意思決定まで支援していくことが大事だと考えています」
美容は心を開いてもらいやすいツールであり、海外では外見ケアの専門家もチーム医療のメンバーとして認められていると話す大平さん。日本でもメイクセラピーを職業として確立することが必要だと考え、そのためにもさらなる取り組みを続けていくという。
「メイクセラピーを始めたことで、フィジカルな領域ももっと学びたいと考えるようになり、週に2回、訪問看護のスタッフとして活動しています。そこで、生活やリハビリの介助を待っている方々がたくさんいることを実感し、『メイクセラピーなんてきれいごとなのではないか』と悩むこともありましたね。けれど、メイクセラピーを学びたいという若い方々の意欲に触れる中、中途半端では駄目だと思うようになりました」
大平さんは、介護保険外ケアサービスとしてメイクセラピーを確立するために、「ナーシングビューティーケア」という月額制のサービスを事業化し、これから展開していくという。本人の希望に寄り添う目標設定とプランを考えて施術を行い、他職種と連携しながら家族にも定期報告をしていくという内容だ。
「よりよい人生を送るためのケアを提供し、価値あるものとして確立させて認知を高めていきたいです。そうすることにより、職業として目指してくれる方が増えれば、多くの人にメイクセラピーを届けることができます。介護は、その人の生活や生き方そのものを支えていくものですが、美容には、本来のその人らしさや生きる力を引き出すパワーがある。介護業界に新しい価値観を広め、ケアの概念を変えていく。そんな未来につなげることができればと思っています」
▲介護美容研究所のメイクセラピー講座風景。根底に持つべき考え方、コミュニケーションのとり方、意思決定のサポート方法なども指導する(写真:ミライプロジェクト)
【文: 上野真理子 写真: 阪巻正志】