ヘルプマン
2017.05.09 UP
俳優であり、介護福祉士である菅原直樹さん。「介護と演劇は相性がいい」を合言葉に、「老いと演劇」OiBokkeShiを主宰し、岡山県を中心に都市圏でも公演やワークショップを開催。「老いと演劇のワークショップ」では、認知症の高齢者の言葉を否定せず演技で受け止め、心を通わせることを実践。演劇では、俳優と観客が一緒に商店街を歩いて認知症の高齢者を捜すという町歩き演劇「よみちにひはくれない」をはじめ3作を上演。超高齢化社会の課題に、演劇という斬新な切り口でアプローチを続ける菅原さんにお話を伺った。
介護業界に入るきっかけは
認知症の祖母との日々
高校時代に演劇部に所属し、大学時代に参加した演出家・劇作家の平田オリザさんの演劇ワークショップに衝撃を受け、演劇の道に進んだ菅原さん。卒業後も、アルバイトをしながらオリザさんが主宰する青年団の役者として活動していたが、結婚を機に、「演劇とは別のスキルを身につけたい」とハローワークへ。そこで菅原さんの目に留まったのが、「介護」だった。
「高校時代に、一人暮らしの祖母と同居していました。当時、祖母は認知症を患っており、徘徊をしたり、幻覚や妄想もありました。そのとき考えたのが、否定して正すか、受け入れるかです。当時の僕は、受け入れたら祖母が妄想の世界から帰ってこないかもしれないと怖くなり、対応に苦慮したことをいまでも鮮明に覚えています」
このときの思いや経験が介護業界に入るきっかけともなり、特別養護老人ホームで働くことになる。菅原さんは、介護の仕事を始めてすぐに「面白い!」と思ったという。
「最初に感じたのは、時間の流れが違うこと。普通の社会は進歩主義というか、『何かしなきゃ』『成長しなきゃ』といつも急かされている気がしますが、介護施設では時間がゆったりと流れています。それが新鮮でした。高齢者と接するうちに、入浴するという当たり前のことがこんなに幸せなんだと、自分の生活を見直すきっかけにもなり、価値観も変わりましたね」▲認知症だった祖母との同居が介護に興味を持つきっかけになったという菅原さん
介護の現場で働いて気付いた
「介護×演劇」の相性のよさ
高齢者と触れ合うことで、「介護と演劇の相性がいい」と気付いたのも働き始めたころだ。
「お年寄りがゆっくりと歩く姿に衝撃を受けました。その背後に人生の字幕を流すだけで、立派な演劇になるし、俳優としても負けていると。80年、90年生きてこられたので人生のストーリーも膨大にある。『いつかお年寄りと芝居を作ろう』と自然に思うようになりました」
特別養護老人ホームで働き始めてからは仕事が楽しくなり、俳優の仕事を休んでいたという菅原さんだが、2012年に岡山県への移住を決意する。
「なぜ岡山県かというと大きな理由はなく、妻が田舎暮らしをしたかったからです。自然も多くて気候も穏やかな和気町に決め、特別養護老人ホームに就職しました。施設では、入所者の方が移住した僕に『大変でしょ』『困ったことはない?』と親切に世話を焼いてくださいました。介護の現場では、『介護する側・される側』がはっきり分かれてしまいがちです。でも、ここではそうではなく、お互いを気にかけ、支えあうことで入所者の方々も僕自身も元気になれたのです」▲菅原さんは特別養護老人ホームで働く中で、「いつかお年寄りと芝居を」という気持ちが芽生えた。背景の建物は奈義町現代美術館
介護×演劇のワークショップで
介護や認知症への理解を深める
移住後は演劇をいったん諦めた菅原さん。しかし岡山に来て1年後、演劇への気持ちが高まり、介護施設のクリスマス会で「ガマの油売り」を披露する。評判がよく、地域の人から「うちの祭でもやって」と次々に声が掛かったという。和気町の町民劇団からの誘いを受け、メンバーにも加わった。俳優・菅原直樹に再び火が付いたそのころ、「本格的に、介護と演劇を結びつけた活動をしたい」との思いも募り始めた。
「移住者の方に教えてもらった福武教育文化振興財団の文化活動助成に申請し、採択されました。このことをきっかけに、地域おこしに熱心な和気町の建具屋さんや商店街の方々と知り合いました。まずは介護と演劇の相性のよさを追体験してもらおうと、2014年6月8日に『老いと演劇のワークショップ』を初開催。これが『老いと演劇』OiBokkeShiの立ち上げです」
菅原さんは、ワークショップを通じて認知症の方を自然に受け止めるコツを伝えていく。参加者は、高齢者、介護職員、地域関係者、若者など幅広い年代30名が集まったという。
「3つのプログラムで構成しました。まず、『老いと遊び』では、身体を使って遊びながらリハビリテーションを行います。『ボケと演技』では、介護する側とされる側の両方を演じて互いの気持ちを共有します。『老いを演じる』では、介護現場での、認知症の方と介護職員のやりとりを演じてもらいます。『介護者は、認知症の方が歩んできた人生に寄り添うことで、その人らしい役割を見つける演出家でもある』という、介護のクリエイティブな部分を追体験してもらうのが狙いです」▲「老いと演劇のワークショップ」。思い切り身体を使う遊びリテーション▲「老いと演劇のワークショップ」のプログラム説明をする菅原さん
おかじいとの出会いから誕生した
町歩き演劇「よみちにひはくれない」
1作目の演劇「よみちにひはくれない」は、和気町の商店街を舞台に、観客と俳優が共に認知症の高齢者を捜索しながら演劇を鑑賞するというユニークな構成だ。演じるのは、商店街の人々、そして認知症の妻を在宅で介護する高齢俳優・岡田忠雄さん、通称おかじい。おかじいとの出会いは、初回「老いと演劇のワークショップ」が始まる1時間前だった。
「おじいさんがやって来たので、図書館と間違えたのかなと思っていたら、『菅原さん、新聞で見るよりいい男じゃが』と。それが、当時88歳のおかじいでした。耳も少し遠いし、僕の話はまったく聞かず自分の話を続ける。しかし、ワークショップ最後の発表では、水を得た魚のように芝居をして動き回り、参加者全員が驚きました。話を聞くと、昔から芸事が好きで、退職後は映画俳優を目指して数々のオーディションに参加し、今村昌平監督の映画にもエキストラ出演したとか。そんなおかじいの存在が忘れられず、つてをたどって連絡をとると『オーディションに受かったということですか?』と言われました(笑)」
「よみちにひはくれない」は、おかじいから話を聞き込み、一緒に作り上げた作品だ。
「認知症であるおかじいの妻が徘徊するようになったこと、新聞配達員と一緒に捜したことを聞き、それなら、徘徊をテーマに演劇を作ろうと。『よみちにひはくれない』は、おかじいの口癖です。僕がいつもお宅にお邪魔して話をして、そろそろ帰ろうとすると『よみちにひはくれない』と言う。『日が暮れたのだから、もう少しゆっくりしていけ。せかせかするな』という意味です。88歳のおかじいが言うと、いまの時代でも説得力のある言葉になるはず、という思いでタイトルにしました」▲おかじいとの出会いから誕生した、「よみちにひはくれない」のシーン
観客と演者が一緒に町を歩くことで
老いや認知症について考える機会に
「よみちにひはくれない」の舞台は、劇場ではなく実際の商店街だ。
「徘徊がテーマですから、上演途中で外に出るという構想もありましたが、それなら最初から外でいいじゃないかと。商店街の方々には、自分の役を演じていただきました。おかじいは、主人公の青年と一緒に、認知症の妻を捜す役。30名の観客と演者、みんなでぞろぞろとおばあちゃんを捜して移動します。そのうちに、何が現実で何が夢かの境界線が曖昧となり、通行人が俳優に見えたり、町の音がBGMに聞こえたりします。物語が進行するうちに、自分が徘徊しているような錯覚に陥るのです」
現実と演劇、観客と演者……いろんな境界線が曖昧になる町歩き演劇。観る側と演じる側、それぞれ何を感じたのだろうか。
「観客は自身や身内の老いや地域の老いについて考え、演者はおかじいを通じて、認知症の方と介護する人の気持ちを想像するきっかけになったようです。地域としては、商店街が衰退する危機感を感じ取り、同時に地域で認知症の方を支える必要性や課題を共有できたと思います。おかじいにとっては、共演者や観客と共感し合い、地域の若い人たちと交流することもでき、刺激的な体験だったようです。僕自身も、芸術は世代を超えて人と人がつながっていくものだと実感しました」▲30名の観客も演者と一緒に移動する町歩き演劇▲時計屋さんは時計屋さん役で出演。商店街を挙げて「よみちにひはくれない」をバックアップ
介護施設での経験をもとに
2作目、3作目に挑戦
菅原さんの2作目となる演劇「老人ハイスクール」は、少子化で廃校になった学校を介護施設としてリニューアルしたという設定。3作目「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」は在宅介護がテーマだ。脚本は3作とも菅原さんが担当している。
「2作目は、実際の廃校が舞台。介護現場で働いて実感したことをベースに、個性豊かなお年寄りと介護職員との日常を描いた作品で、人生最期までイキイキと暮らせる介護施設をつくれるかがテーマです。おかじいは、骨折をして施設に入所するも集団生活になじめず、中庭に段ボールハウスをつくる元ホームレス役。これは、本人の希望で実現しました。3作目は家族の介護を描いた作品です。おかじいは、現役時代は斬られ役の俳優で、やたらと刀を振り回す老人役。問題と思われる行動は、自分の輝いていた時代へと戻っているだけだった、という設定です。その人の人生のストーリーを知ることで見え方が変わる、ということを伝えたかったのです」▲2作目「老人ハイスクール」のシーン。おかじいは元ホームレス役で、決まった時間に食事が出る介護施設にストレスを感じている▲3作目「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」のシーン。ゴミが散乱する長屋でサムライの格好をした老人役のおかじい
芸術をかけあわせることで
介護の面白さが伝わっていく
菅原さんは、2016年から岡山県奈義町に移住。那岐山の麓に広がる奈義町は、江戸時代から受け継がれる横仙歌舞伎や、世界的な建築家である磯崎新氏が設計した奈義町現代美術館などで知られ、教育や子育て支援にも積極的な町だ。菅原さんは、奈義町アートデザインディレクターとしてまちづくりに従事し、移住お試しツアー「ケアを耕せ!」や、地域の人が集まって知恵を出し合う「奈義町を元気にするちょいワルじいさん、集まれ!」などの企画をプロデュースしている。
「奈義町に来て驚いたのは、芸術・文化を大切にする土壌があることです。文化センターには多くの生涯学習サークルがあり、趣味の活動もさかんです。お年寄りも元気で、ボランティアにも積極的に参加されています。ここでも福祉や教育といった地域の課題と芸術を結びつけた活動を通して、地元だけではなく世界に向けて情報発信していきたいですね」
こうした新たな活動の一方で、「老いと演劇のワークショップ」も継続する菅原さん。最近では、エンディングノートを題材にした「老いのリハーサル」というコンテンツを追加し、東京や大阪などの都市圏でも開催している。
介護と芸術、介護と地域――菅原さんのような活動が各地に広がっていけば、社会の介護に対するイメージや認知症の捉え方が変わっていくに違いない。菅原さんは最後に、介護に携わる人へのメッセージを語ってくれた。
「介護の現場では、やりがいを持ち楽しみながら仕事に取り組む人も多くいらっしゃいます。とはいえ、まだまだ介護の仕事の面白さは世間に伝わりきっていないと感じています。僕が演劇からアプローチしたように、介護に携わる人たちが情報を発信していくには、音楽やアート、民俗学などの得意分野と介護をかけあわせたり、他業界と連携するという方法もあります。このように多様な形でアプローチすることによって、より広く介護の面白さや奥深さを伝えていけると思っています」▲建築家・磯崎新氏が設計した奈義町現代美術館では、作品の中に入ることができるのも魅力だ。展示室「大地」 宮脇愛子《うつろひ》
【文: 高村多見子(WAFFLEINC) 写真: 川谷信太郎(スタジオNOB)】