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2015.12.24 UP

若者と老人がぶつかり合う「介護」。大切なのは、ただ関わり続けること

物語は、主人公、28歳のニートである健斗と、同居する87歳の祖父との関わり合いを中心に綴られます。あらゆる能力が衰えて家族に頼るしかない現状を憂い、「もうじいちゃんは死んだらいい」と語りながらも実は生にしがみつく祖父と、言葉を真に受け、願いをかなえたいと尊厳死アシストに試行錯誤する健斗。なかなか噛み合わない二人の関わり合い、この滑稽な様が作品の肝でしょう。驚くのは、作中にたびたび登場する介護に関する描写です。聞けば、本書の内容の一部分は著者である羽田さん自身の実体験に基づいているとのこと。まずは、そのエピソードから伺いました。

ただただ、話に耳を傾けるだけ
月に2~4度、実の祖母との関わり合い

「実のところ、僕自身には介護の経験はありません。ただし両親が母方の祖母の面倒を見ているので、そこへ月に数度行くことに決めていて。週末の夕飯時に顔を出しています」

作中で描かれる祖父と、その娘である健斗の母とのやりとりのように、実の親子間での介護には遠慮がないため、むき出しの感情をぶつけ合いがちだ。だからこそ、羽田さんは、第三者としての自分が訪れることで「ガス抜き」となるよう意識する。しかし、「とはいえ、ただ話を聞くだけですよね」と羽田さんはきっぱり言う。

「僕はリアクションの大きい方ではないですし、ただ無表情に『ああ』とか『うん』とか言いながら聞いているだけです。それでも祖母はおかまいなしにしゃべりますから。うそっぽい態度、過剰な反応をするより、ただ、たんたんと足を運んで話を聞くこと、それを継続させることが大事なのかなと思っています」

過剰な「足し算介護」と
自立を促す「引き算介護」

作中、祖父を「立派な尊厳死」へと導くために健斗が選んだのは、身体能力を極限まで奪おうとする過剰な介護だった。羽田さんは、それを指して「足し算介護」という言葉を用いている。日常生活のできる限りのことを自分で行うようサポートする「自立支援」とは正反対の、手厚過ぎる介護。

「実際に、僕の祖母も入院して、あらゆる世話をやってもらったことで体全体の筋力が衰えてしまいました。もともと悪くなかったところまで、全て衰えてしまった。だから、僕が現実に選ぶならば自立支援を促す、『引き算介護』の方だろうと思います」

「ただし、それは相手が生きたいと思っているという前提での話です」と羽田さん。「一方で、小説でも書きましたが、本人が、外部からの圧力ではなく心から死にたいと思っていて、本当に苦痛なく死に至る薬があるのなら、それも選択肢のひとつとしてあってもいいんじゃないかと僕は思っています」

生物として死を避ける本能とは別の次元で、理性的な動物である人間が老人になって本当に自ら死を望むなら、それをかなえることもあり得ないことではない。それが羽田さんの意見だ。

老人と若者と、
異なる価値観が対峙する「介護」

本書については、あらゆる場面で「介護を題材にした小説」と伝えられるが、羽田さん自身は「介護をテーマに書いたと自ら言ったことは一度もない」という。考えてみれば、「介護」という既成の2文字をとっぱらったとき、そこに浮かび上がるのはただ、シンプルに人と人とのコミュニケーションだ。

作中で描かれるのは、若者と老人のコミュニケーション。まったく異なる価値観を持つ者同士が顔の見える距離まで近づいたときに起こる出来事。このような価値観の対峙は、以前からずっと羽田さんが関心を寄せてきた事柄なのだという。

「相手の顔が見えないと、極論ばかりが行き交うようになって、あまりに不毛です。今回のような若者と老人の関係だと、周りに老人がいない若者は『老人を優遇する政策を廃止しろ』と叫び、一方の老人も『自分たちは日本の戦後を支えてきた、苦労してきたから優遇される権利がある。若者は甘えている』と語る。それぞれに顔の見える実在の『相手』を知っていたなら、そんなことは言えないはずなんです」

あえてテーマを介護としたのは、「若者が、いくら老人を冷遇する政策を支持したとしても、その若者自身もいずれは必ず老人になるから」だという。それを、羽田さんは「天に向かってツバを吐く構図」だと表した。羽田さん自身が顔を合わせる相手は異性、祖母だが、作中で健斗と祖父、同性同士の関係を描いたのは、よりリアルに自分の未来の姿、介護をする側からされる側へと変わる、一本道を描きたかったからだ。

「小説を書くために関連書籍を読んだり、介護業界の友人に取材する中で知ったのは、介護の経験は共有しづらい、ということ。介護する人もされる人もそれぞれ年齢や健康状態、経済状態もバラバラで、その組み合わせも無数だから、苦労話も共感しづらいのかもしれません。共通体験をすり合わせて慰め合うことが難しいので、介護する人は大変だろうと思いますね」

介護の関係性で大切なのは、
たんたんと関わり続けること

「介護」を通して、異なる価値観を持つ者同士で交わされるコミュニケーションは、どうしたら良好に進むのか。羽田さんに尋ねてみると、「語れるほどのものはないんですけど」と、前置きしてこう続けた。

「たとえ、そこに雑さが生まれたとしても、愛想が悪くても、相手の希望を汲み取れなくても、お互いに不満を覚えたとしても、それでもコミュニケーションを取り続けることが大事なんじゃないでしょうか。とりあえずでも関わり合いを続ければ、いつか方向性が修正される余地もあるはず。だから、そんなに老人の要望に応えようと躍起にならなくてもいいと思っていますし、介護される方も、する側のストレスを気にしすぎなくてもいい。お互いに不満を抱えながらも、最低限のことだけ手を差し伸べ、頼ればいいんじゃないかって」

相手の本音は相手自身にしか分からないのだ。それは、ラストシーンで描かれる健斗と祖父との別れの場面にも通じる。一読して、自立に向かう二人の絆を感じさせるやりとりも、「それだって分かりませんよ」と羽田さんは言う。

「『じいちゃんのことは気にせんで、頑張れ』という祖父の言葉は、健斗の前途を思ってかけた言葉かもしれないし、生に執着する祖父が自分を尊厳死させようとする健斗を追っ払いたくてかけた言葉かもしれない。両方が真実です」

「介護する側」「介護される側」とレッテルを貼って、互いの本音を推測して極論することは、羽田さんが言うように不毛だ。だからこそ、ただただ祖母の元へ何度も足を運んで話を聞く羽田さんのように、たんたんと関わりを持つことが大切なのだろう。そこに過剰な何か、聖職者のように清い心を持つ必要はない。羽田さんの言葉で、肩の荷を下ろせる人がきっといるのではないだろうか。


★『スクラップ・アンド・ビルド』
価格:1,200円+税

【著者】羽田圭介 【発売日】2015年8月7日 【ISBN】978-4-1639-0340-8 【出版社】文藝春秋

(内容)
「じいちゃんなんか早う死んだらよか」
毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、
共に暮らす孫の健斗は、ある計画を思い付く。

日々の筋トレ、転職活動。
肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して…。
閉塞感の中におかしみ漂う、新しい家族小説の誕生!

第153回芥川賞受賞作

【文: 高木沙織(verb) 写真: 山本彩乃(SECESSION)】

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