ヘルプマン
2014.01.27 UP
「高齢者の困りごとを見つけるだけでなく、したいこと、楽しいことを聞き出して、欲をかきたてるのがこれからのケアマネジャーの役割」と語る山下勝巳さん。急速に高齢化が進む地元羽曳野で、お年寄りが孤立化していく現状を打破しようとケアマネジャーとして独立。商店街の仲間やNPO法人、自治体等との連携で高齢者を見守り、地域から頼られるケアマネをめざしています。
介護の現場にどんどん足を運び、
そのパワーを最大限引き出す
ケアマネジャー(介護支援専門員、以下ケアマネ)は、お年寄りの日常の様子を理解したうえで、個別のケアプランを作成し、施設やヘルパーの紹介・連絡・調整を行うのが仕事とされています。ケアマネになるには5年以上の現場経験が必要なので、なんとなく一般の介護職より上にあるように勘違いしている人もいますが、私はケアマネと現場は、指示する側・される側ではなく、お互いが見えない部分をカバーし合う関係であるべきだと考えています。
私の場合はまず紹介する介護現場に頻繁に足を運び、利用者のご家族が施設にどんなことを期待しているか、あるいは利用者ご本人はこうなったらすごく喜ぶはずだ、ということを伝えるようにしています。達成イメージを明確にするんですね。
次に家族との面談で耳にした感謝の声は現場にすぐフィードバックします。そうすると、今度は施設側からも、「自分で食事ができるようになった」「こんな顔で笑ってた」といったプラスの報告が返ってくるようになります。そうした相乗効果がやがて、お年寄りの抑え込んでいた意欲を引き出すことにつながっていきます。愛車「smart」で介護現場に足しげく通う
最期まで「まだ、あれもこれもしたかった」と言ってもらうのが理想
先日担当した利用者の女性に、「今したいことやがんばっていることは?」と尋ねると、「家族に迷惑をかけないこと」「転ばないようにトイレと部屋の往復をすること」という答えが返ってきました。すごくもったいない気がしました。きっと他に何かあるはずだとその人らしさを探してみると、ご本人は絵が好きで、よく水彩画を描いていたことがわかりました。そこで町の絵画教室を紹介すると、時々足を運ばれるようになりました。
先日、その教室に寄ってみると、展示コーナーにその方の絵が飾ってありました。その絵を写真に撮り、訪問時に一緒に見たのですが、とても誇らしい顔をしていました。それまで「介護サービスなんて使いたくない」と言っていた彼女のほうから「デイサービスってどんなとこ?」と尋ねてきました。彼女の世界はもう一度広がり始めました。
私は「お年寄りは聞き分けがよく、欲張らないものだ」という考えは嫌いです。生きるとは欲すること。もっともっとお年寄りの欲をかきたてていきたい。その実現を支えるのが支援者であるわれわれの腕の見せどころ。最期まで「クッソー!あれもこれもしたかったのに」と言っている、そんな人生を支えたい。これが僕の理想です。本人や家族から詳細な情報を引き出して、プランに反映する
孤立化し、詐欺被害に遭うお年寄りを救え
お年寄りの欲をかきたてることのほかにもう一つ、僕がケアマネとして独立した理由は、孤立化したお年寄りを何とかしたいと思ったから。今、全国的に1960~70年代に新興住宅地だった地域が高齢化し、建物の老朽化や高齢者の孤立化が深刻になっています。
僕が生まれ育った羽曳野市もその典型で、住民の6割が独居または高齢者のみ世帯です。ここでの問題は、住民同士のつきあいが希薄で、物的には恵まれていても、人とのつながりが全然といってよいほどないこと。また、認知症などのリスクを抱えながらも、約半数の方は介護サービスを望まないなど、介護事業者が必ずしも頼られていないこと、そして、そのように高齢者が孤立化した状況に乗じた、高額商品のあっせんなどの詐欺被害が絶えないことなどです。
ケアマネが介護事業者だけでなく、お年寄りと地元の商店やNPO、学校などの社会資源をつなぐことができれば、この問題を解決できるかもしれない。父の時計店にケアマネのオフィスを構えたのは、こうした背景があったからです。お年寄りとの会話からサービスの課題を探る
世代の枠を超えた共生社会をつくる
私が事務所を構える商店街には、父の時計店をはじめ、酒屋、電器屋、薬局、散髪屋、駄菓子屋など、サロン化していたり、昔からのなじみの宅配や修理訪問を行っていたりする個人商店がいろいろあります。それらは生活に根ざした、地域の人の情報が集まる情報ステーションです。
町の薬局に来る人は、健康に関するさまざまな不安を話して帰ります。酒屋さんは、「まいどー!」と言いながらいつものように勝手口から家に入ることの許されたスゴイ人。町の電器屋さんの強みは、電球交換などヘルパーさんがしてくれないこともしてくれること。これらが適切に結び合うことができたら、地域の見守り機能を強化することができます。
でも今、考えているのは、何かもっと生産的な、高齢者が自ら社会とつながっていくための動機付けになる方法。工夫次第でこの町も「まだまだやりようがある」ということを示したい。介護事業者、地域の商店、NPO、小中学校などが世代の枠を超え、助け合える共生社会の仕組みづくりをする、その中心となる存在が、私の考える次世代のケアマネ像です。ここ羽曳野で成果をあげ、成功例を持っていつか全国にも発信していきたい。今はそのためのネットワークづくりを急いでいるところです。地元商店街の薬局で。新旧の看板娘と情報交換
介護は可能性のかたまり
「山勝ライブラリ」の社名の由来はふたつあります。「山勝」は羽曳野で創業40年を迎える父の商店「時計の山勝」からいただいたものです。そして「ライブラリ」。これは感銘をうけたアフリカの格言からいただきました。
「高齢者が一人亡くなる。それは街から図書館が焼失するのと同じ損失だ」
いくら体が弱っても、物忘れが進んでも、その方は知恵と経験を積み重ねたライブラリ(図書館)です。介護はそうした高齢者の人生のラストを支え、人の人生に影響を与えることができる誇らしい仕事です。
前職でプロデュースした住宅型有料老人ホームでは、最近、100歳と90歳の方の結婚式が、スタッフと入居者全員が出席して挙行されました。そんなふうにケアマネや介護職員は、高齢者が困っていることを見つけるだけでなく、したいこと、楽しいことを聞き出すアセスメントをもっとすべきだと思います。自分の可能性も、お年寄りの可能性も、制限せずに楽しんでいい。介護って、一生かけて取り組む価値のある仕事だと思います。「時計の山勝」にて。お父さまとのツーショット
【文: 高山淳 写真: 濱野哲也】