ヘルプマン
2013.09.27 UP
三線の心地よい音色が響いてくる、沖縄県浦添市。ここで、訪問介護やデイサービスなどを行っているのがNPO法人ライフサポートてだこです。“てだこ”とはかつての琉球王国の英祖王のニックネームで“太陽の子”という意味。「この町のために、この町で暮らす人たちと働く」ことに徹し、地域づくりを実践する松本哲治さんにインタビューしました。
ヨーロッパ放浪の果てに出会った世界
大学4年生の時にバックパッカー旅行で中南米とヨーロッパを回りました。旅の後半、手持ちの資金が尽きて、野宿も難しくなり、アイルランドで出会った旅仲間にアルバイト先を紹介してもらいました。
そこはイギリス南西部のエクセターという町の「スタルカムハウス」という障がい児施設でした。最初は健常者とは違う外見に驚き、ごはんを手で食べたり、口から食べ物がバンバン飛んでくるのを見て、正直戸惑いました。でも、戸惑いはやがて驚きに変わっていきました。
例えば音楽が鳴り始めると、みんな人目を気にせず、自分の感性で楽しそうに踊り始めるんです。なんだ、みんな一緒じゃないかって。むしろ、みんな僕よりも純粋に、泣いたり、笑ったり、踊ったり、今の心に正直に、懸命に今日を生きている。彼らと裸で向き合うことは、驚きの連続でした。
初めてこの仕事に出会って、「福祉って面白れー」と思いました。
何のために働くのか?という疑問
ひととおり世界を見て日本に戻ってきましたが、帰国後も「これがやりたい!」という明確なものはありませんでした。とにかくいったん沖縄を出ようと東京の外資系金融関連会社に就職しました。そこでは銀行の資金為替部のディーラーをサポートし、取引で稼いでは週末、六本木に繰り出す日々を送りました。
でも、それはスタルカムハウスで過ごした時間とは180度違っていました。「誰のために、何のために働くのか?これが本当に自分がやりたいことだったのか?」と日に日に疑問が募り、5年目に退職を決意。お金や見栄ではなくてやりたいことがしたいと考えた時、スタルカムハウスのことが頭をよぎりました。
福祉を一から学ぶことに決め、米カリフォルニア大学バークレー校のソーシャルワークの修士課程を受験、運よく入学を許可されました。大学では座学だけでなくフィールドワークでも認知症患者へのスキンシップにあふれた介護を知ることができました。小規模多機能ホーム“あん”にて。ご利用者と一緒にストレッチ
この街のために、
この街で暮らす人たちと働く
帰国後は地元に戻り、手始めに「ボランティアをさせてください!」と特別養護老人ホームを回りました。その時に偶然、ある施設で中学校の同級生だった友寄利津子(現副代表)と再会しました。お互いびっくりして昔話で盛り上がり、その後も年に1、2回情報交換する間柄を続けていました。僕は大病院の介護施設に就職し、施設から在宅まで介護のサービスラインナップをひと通り経験、やがて本当にやりたいことが少しずつ見えて来ました。
友寄とよく話していたのは「この街のために、この街で暮らす人たちと、この街で活動したいね」ということ。
当時は送迎一つにしても渋滞していると片道2時間かかったりしてすぐに駆けつけられませんでした。「規模ではなくその人が望む介護をやりたい。1人ひとりの生活を真剣に最期まで支えたい」という思いは2人とも同じでした。また、施設はお年寄りだけが対象だったので、「困っていて僕らの助けが必要という方がいれば、何でもやりたいね」と当時としてはまだ夢のようなことも語り合いました。副代表の友寄利津子氏
コンセプトは「浦添、在宅、どなたでも」
35歳の時、友寄の自宅を訪れ、「俺、独立しようと思うんだけど一緒にやらないか」と持ちかけると彼女は、「それ面白いね」と躊躇なく答えてくれました。それまでも介護に対する思いを折に触れて語り合って来ましたが、いよいよ始まった挑戦に2人とも心はワクワクしていました。
間もなく一緒にNPO法人ライフサポートてだこを起業、事業のコンセプトは「浦添、在宅、どなたでも」としました。
一つ目は浦添だけに営業エリアを特化し、この街に暮らす人たちと一緒に活動すること。地域を限定して移動の範囲を少なくしたほうが、きめの細かい理想的なサービスを提供できると考えました。二つ目は自宅で暮らしたいという人を徹底的に支えること。高齢者が爆発的に増える中でいずれ施設が不足していくという市場の問題とやはり最期まで自分の家で自力で生活することを支えたいという思いから。三つ目は事業の対象をお年寄りに限らず障がい者、母子家庭など助けが必要な人すべてとし、自分たちを必要としている人がいれば、誰とでも一緒にやろうということです。
てだこを地域福祉の拠点としてすべての人が助け合い、「お互い様」と感じられる社会にしたい。この3本柱で地域に根ざした福祉を目指すことにしました。デイサービスセンター“えん”のエントランスで
地域の声に応えて生まれた5つのサービス
立ち上げはまず設立の目的でもあった自宅で暮らす高齢者を支える訪問介護を中心に、家族が気軽に相談できる窓口となる“ライフサポート”とヘルパーステーション“りん”の2事業でスタートしました。2~3ヵ月後には、ご家族の「仕事や外出で家にいられない時もサポートしてほしい」という声に応え、高齢者同士の交流も促すためにデイサービスセンター“えん”が事業に加わりました。
さらにしばらくして「1泊だけでも面倒見てもらえたら…」というご要望や病院で苦しみながらではなく安らかに最期を看取りたいといったニーズも徐々に増えて、3年目の2005年には小規模多機能ホーム(※)“あん”が営業を開始しました。さらに2010年には、胃ろうなど医療的ケアが必要な子供向けデイサービス“こっこ”が職員の提案で誕生(後述)、現在の布陣となりました。
「どなたでも」という地域のニーズに応えていくうちに、こうした体制が徐々に整ってきたわけです。
※小規模多機能ホームは、「通い」を中心に「泊まり」「訪問」の3サービスを組み合わせて提供する在宅介護サービス
馴染みのご利用者と久しぶりにひなたぼっこ
制度のすき間を埋め、
事態をいい方向に打開していく
地域福祉の拠点を目指す以上、単に決められた枠の中でサービスを提供するだけでなく、時には行政や他の機関との橋渡し役となり、利用者の生活をいい方向に導いていくことも僕らの役割だと考えます。
以前“りん”のご利用者で障害のあるお子さんが、車いすでスクールバスに乗って小学校に通っていました。バス停までは母親が坂の上り下りに付き添っていたのですが、そのうちに身重となり、ついて行くのが難しくなりました。バス自体はいつも自宅の前を通るのに停車スペースがなく、道交法上バスを停止させることはできません。母親の相談を受け、自分もソーシャルワーカーとして何とかしてあげたいと考えました。そこで行政・警察・学校にも同じテーブルに着いてもらい、打開策を探ることにしました。
僕は「学校に通うのはこの子の権利だ」と強く主張し、警察や行政に働きかけ続け、最終的には道路の植栽帯を削り、舗道に停車スペースをつくることが決まりました。協議者同士で解決策が見出せない時、何とかして制度のすき間を埋め、事態をいい方向に打開していくのがソーシャルワーカーの使命だと僕は思います。児童デイサービス“こっこ”のメンバー(中央が宮城ひとみさん)
メンバーが新事業の立上げを直訴
児童デイサービス“こっこ”は、メンバーの宮城ひとみ(現所長)が仲間2人と2012年に立ち上げたばかりの新事業です。浦添市にはこれまで管を通した栄養剤の注入や胃ろうなどの医療的ケアを必要とする、障がい児のための通所型の施設がありませんでした。宮城はホームヘルパー時代に、児童のお母さんたちから何度か「浦添には預かってくれる施設がないからわざわざ市外の施設に時間をかけて通わないといけない。市内にあったらいいのに」と相談され、それはおかしい、ないなら自分たちの手でつくるべきだと考え、仲間と相談して児童デイサービスの立ち上げを僕に直訴してきました。僕は病院勤務の経験で医療的ケアの難しさを知っていたので、安易には承認しませんでした。
しかし、彼女たちの意志と情熱は衰えることなく、より具体的な構想、実現の道のりを涙ながらにプレゼンしてきました。納得できる企画になったところでGOサインを出すと、彼女たちは物件探しや職員の採用、事業計画、ご利用者の募集などすべてを自分たちでやり遂げてしまいました。
当初3ヵ月ほどはご利用者がなかなか集まりませんでしたが、夏休みをきっかけに一気に増えて今は定員がいっぱいの状況です。小規模多機能ホーム“あん”のメンバー
いい思い出として残る悔いのない介護を
「いかなる病気・障がい・身体状況・生活環境にあろうとも、全ての人が、愛する街でいつまでも自由に安心して暮らせるようお手伝いします」これがライフサポートてだこの経営理念。
地域の人々の生活をサポートする手段の一つとして、介護は存在します。僕が考えるいい介護とは、すべてが終わった時に悔いのない、いい思い出として残る介護です。苦しみ、葛藤、言い争い、いろいろあったけどやりきったと言える介護。ホームヘルパーは家族の充実感と崩壊の間でバランスを取りながら伴走するのが役割です。やり過ぎてもダメ、やらせ過ぎてもダメ。最期までやりきって迎えたお通夜では、きっとみんなで泣きながら笑える不思議な時間を迎えられます。
僕たちが目指すのは“お互いが迷惑をかけあってもいいんだよ”という社会であり、“この街に住んでよかった”と言える社会。ライフサポートてだこはその一端を担う存在になっていきたいんです。
青い鳥を探すな。自分を変えよう
ライフサポートてだこの社訓は、「ディズニーの様に夢を与え、ソニーの様に自由闊達に、吉本興業より面白く、沖縄電力より稼ぐ」です。若手の意見に耳を傾け、従来の福祉の形に捉われずに、地域の声に応えるためのベストなサービスをこれからも追求し続けていきます。これからは面白い仕事や面白い会社を選ぶ、というスタンスではなくて、自分が選んだ仕事を面白くする、自分が選んだ会社を面白くする、という姿勢が必要です。
青い鳥を探すのではなく、自分を変えていくことが大事です。そういう意味では介護業界はチャレンジし、新しい風を吹かせる余地がある面白い業界。新しく入ってくるみなさんには、ぜひ新しい介護業界をつくってほしいと思います。
【文: 高山 淳】