ヘルプマン
自主製作映画の監督として活躍し、次回作のテーマを「介護」としたことをきっかけにこの業界に飛び込んだ卜部敦史さん。介護の現状を肌で知りたいと考え、グループホームで働いた後、現在は訪問介護サービスのヘルパーを務めている。介護の世界を通じて父娘の心の触れ合いと家族の絆を取り戻す姿を描いた映画「まなざし」は2015年に完成し、同年、第13回バンコク世界映画祭で正式招待作品として上映。国内でも2016年8月より、全国順次ロードショーに。しかし、卜部さんは「今後も監督業と介護の仕事を続けていく」という。一見、相反するような2つの仕事を続けている彼が感じた「介護という仕事のクリエイテビティ」、そして、「双方が及ぼす好影響」とは?
プロフィール紹介
1981年オーストラリア生まれ。大学生のころから自主製作映画を手がけ、映画の助監督を経て、TV局の報道取材部にて勤務。退社後フリーとなり、2010年、初長編作品「scope」を監督。渋谷アップリンクにてインディーズとしては異例の3カ月ロングランを記録。2013年、短編映画「萌」を新宿K's cinemaにて劇場公開。また、2012年より介護業界で働き始め、グループホームでヘルパーを経験。現在はソラスト訪問介護サービスでヘルパーの仕事をしながら、監督業も続ける。長編2作目となる今作「まなざし」は、介護現場で自ら働きながら取材した経験を生かして製作された。

認知症の祖母を訪ねたとき、
ヘルパーの流れるような介助に感動

卜部さんが介護業界に飛び込んだのは、介護を作品のテーマにしたいと考えたことが始まりだ。そもそものきっかけは、特別養護老人ホームにいる認知症の祖母の面会に出かけたときの出来事だったという。

「足が弱り、トイレの介助を必要としていた祖母が突然便意を訴えましたが、僕は介助しようにもどうすればいいのか分からず、うろたえるばかりでした。すると、そこに女性ヘルパーさんが現れ、流れるような手つきで排泄介助を行い、まるで何事もなかったかのように『ごゆっくり』と微笑んで、スッと去っていったのです。それまでは介護業界に対し、ネガティブなイメージがあったのですが、洗練された動きの見事な介助に、心から感動しましたね。『ああ、こういう方々がいるおかげで、祖母は支障なく生活できているんだ』と感じ、ヘルパーさんの存在に感謝している自分がいました」

そのころの卜部さんは、まさに次に撮影する長編作品のテーマを探している時期だった。祖母とヘルパーの姿から「介護を通じて人と人が触れ合う物語を描きたい」と直感的に思ったという。

「作品を作るにあたって何から始めようかと考える中、『やはり、自ら動いて人肌に触れて体温を感じなければ分からないことがたくさんあるだろう』と思い、すぐにグループホームで働くことを決めました」
▲映画「まなざし」の撮影風景。主人公のヨウコが父の排泄介助をはじめ、食事や睡眠時などの介護をするシーンはリアリティにあふれている。現場を経験してきた卜部さんが演技指導を行った
©2016「まなざし」製作委員会
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「死は怖いものではない」
介護現場での出会いが生きる指針に

介護の現場で働き始めた後は、さまざまな利用者との出会いがあった。死に近づいていく人々と触れ合う中、卜部さん自身の考え方は大きく変化したという。

「それまでは“老い”や“死”から目を逸らしたいところがありましたが、そんな自分に新たな気付きを与えてくれたのが、ある末期がんのご利用者さんの一言でした。夜勤の際、話すこともままならない状態だったその方に、何気なく『◯◯さんにとって、人生ってどんなものですか』と話しかけたら、はっきりとした声でこう答えてくれたのです。『人生は、少しずつよくなっていくものね』と。死に向かう人ならではのリアリティあるその言葉は、僕の胸の中にストンと落ち、これからを生きていく指針となりました」

死は「怖いもの」「避けたいもの」ではなく、むしろ、残された者に優しい何かを与えてくれる穏やかな終着点なのかもしれない。卜部さんはそう考え、以来、死を前向きに捉えるようになったという。

「数日後、その方はスタッフに見守られながら眠るように息を引き取りました。その方との出会いをきっかけに、もしかしたら人生の最後かもしれない時間に関わる中で、自分には一体何ができるのだろうかと考えるようになりました。ご利用者さんの姿を通して自分自身の生き方を問われるような日々に、死生観を学ばせてもらっていると感じます」
▲事務所内で報告書の作成を行う卜部さん。グループホームで働いた後、現在は、訪問介護の仕事を続けている

介護の仕事と監督業が、
互いにいい影響を与え合っている

映画「まなざし」には、こうした全ての経験が生きていると卜部さんは語る。また、この作品に限らず、「介護の仕事と監督業は、互いにいい影響を与え合っていると感じる」と話す。

「最初のころは、ご利用者さんに対してしたことが本当によかったのか確信が持てず、自分を責めてしまうことも多くありました。グループホームで働いていたころ、昼間は天使のようだったおばあちゃんが、夜になったら『ここから出て行け!』と怒って暴れてしまい、どうすればいいのか分からなくなったこともありましたね。でも、次第に『なぜそうなるのか』『何を求めているのか』という想像を働かせるようになったんです。耳を傾け、じっと相手の心の中を見つめ、イマジネーションをフルに働かせて考える。実は、介護の仕事って、監督業と同じくらいクリエイティブな仕事なんですよ」

映画「まなざし」に登場する老いた父親は“言葉を話せない設定”としているが、そのとき、言葉以外に一体何がコミュニケーション手段となるのかをあらためて考えたという。卜部さんは、日々の介護の仕事の中で、利用者のちょっとしたまなざしの動きから「歯磨きをしたくないのかな」「今日は新しいヘルパーさんを連れてきたから緊張しているんだな」など、気持ちを読み取れるようになっていたため、“まなざし”こそが介護現場でのコミュニケーション手段であると気付く。

「心の中を見つめ、想像し、それに答えていく。それがヘルパーの仕事です。単なる肉体労働ではありません。それはまさしく、自分が監督として脚本を書いたり、演技指導をする中で、『なぜこの人物はこう動いたのか』『笑っているシーンでも、心の中は違うのではないか』などと常に想像し、思いを馳せていく作業そのものなんです。介護と監督業、どちらも『人対人』の仕事ですし、何より、介護の仕事を経験する中で、より心に目を向けるようになったと思います」
▲映画「まなざし」のワンシーン。2016年8月27日(土)より、渋谷アップリンクほか全国順次ロードショーが決定している
©2016「まなざし」製作委員会

互いに心を見つめ、歩み寄る大切さを
言葉ではなく、“まなざし”で表現

映画「まなざし」にはセリフがほとんどない。全編を通して、視線のやりとりがコミュニケーション手段となっている。

「僕は、互いに心を見つめ、歩み寄るところから“いい関係性”が生まれ、その積み重ねが、世の中をよりよいものに変えていくと思うのです。かつて心の中に刻まれた『人生は少しずつよくなるもの』という希望ある言葉は、まさにそういうことではないかと。『まなざし』というタイトルは、そんな思いを込めてつけています」

また、卜部さんは、限られたシチュエーションの中での表現に挑戦しようと考え、ほぼ“主人公の自宅内”というワンシチュエーションで撮影したという。在宅介護で孤独に追い込まれる人の心情がよりダイレクトに伝わるからだ。

「全編を通じて“夜”のシーンが続き、最後にようやく朝がやってくる設定としました。排泄、食事、睡眠が延々と続く中、小さな変化を淡々と描き続けていますが、僕としてはこれがリアルだと考えています」

撮影は、役者とスタッフと一緒に一軒の古民家に泊まり込んで進行。主人公・ヨウコを演じた根岸季衣さんには、“在宅介護で疲弊し、社会から孤立していく女性”のリアリティを表現するため、監督の卜部さんと演出に関するやりとりを行う以外は、誰とも会話しないようにお願いしたという。

「撮影期間中は家にも帰らず、スタッフの誰とも一切話さない環境をつくったことで、根岸さんは体重が6kgも落ちるほどやつれていましたが、それがまた鬼気迫る素晴らしい演技につながったと感じています。根岸さんは、撮影のちょうど1年前にお父様の介護を始め、その矢先に他界されたそうです。こうした背景もあり、『自分にできなかった介護の追体験のつもりで取り組もう』と。それもまた迫真の演技となったのだと思います」

根岸さんは撮影前、父親の墓参りに行き、作中では自身が父親の介護のために用意していたオムツや手袋などの介護用品をそのまま使用することになったという。
▲2015年11月、第13回バンコク世界映画祭に参加した際の写真。「まなざし」は、日本からの作品としては唯一の正式出品として上映された
▲「この仕事を通じての出会いがあり、 そこでもらった“人生の金言”を形にしたいという思いがこの映画の根底となった。死を迎えることはマイナスではなく、また、介護を通じての触れ合いには大きな意味があると伝えたい」と語る卜部さん

介護の仕事をしながら
創作活動をする人も多い

卜部さんによると、介護業界には、役者や映画監督、画家など、表現活動をしている人が多いという。映画「まなざし」に出演している役者の1人も、介護業界で働いているそうだ。

「アートや創作は、介護の仕事と相性がいいんじゃないかと思いますね。認知症の方にはその人の世界観があり、介護の仕事ではそれを否定せずに一緒に入り込むことが大事なので、演技力も必要です。僕自身も、郵便局の人に間違われたら、すぐにそれを演じていますから(笑)。これから先は、介護業界からどんどんクリエイティブ系の人が出てくると思います」 

介護の仕事は、想像力、観察力、洞察力、表現力が鍛えられるため、これから何かを発信していきたい人にとっては、自分の力を磨くためにも役立つといえそうだ。

「何かを表現したいという志ある人たちがメッセージを発信していけるよう、介護業界も世の中も変わっていけばいいですよね。今、この業界で働いている皆さんも、介護の仕事経験と、自分が面白いと思えることに紐付けて、何かを発信してみるのもいいと思います。介護を通じて得たものは、人生を生きる上で、人を大きく成長させてくれるもの。その先にあるものに、きっと広げていけるんです。少なくとも、僕自身はそう実感しています」

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★映画「まなざし」
2016年8月27日(土)より、渋谷アップリンクほか全国順次ロードショー

監督:卜部敦史 撮影監督: 堀井威久麿 助監督: 大越康男 プロデューサー: 堀井威久麿 大越康男 他
出演:根岸季衣 山崎満 入江崇史 松永拓野 矢崎まなぶ 片桐千里 今村祈履 ミョンジュ 木口健太 森崎元太 河崎卓也 カトウシンスケ 他
【公式サイト】http://www.manazashi-thelook.com

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文: 上野真理子
写真: 阪巻正志
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