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ヘルプマン

2014.06.16 UP

流しのバイオリン弾きや電話交換手 現場は忘れられた日本人の宝庫です

民俗学を専門とする大学准教授から介護職へと転身した六車さん。介護の現場で出会ったのは、かつての馬喰(ばくろう)や流しのバイオリン弾き、蚕の鑑別嬢などの「忘れられた日本人」たちでした。六車さんは民俗学で培った聞き書きの手法やそれぞれの思い出の味の再現を通じて、利用者の尊厳を取り戻し、介護する人・される人という固定的な関係性を変え、介護の世界でより豊かな人間関係を築こうとしています。

民俗学から介護の世界へ

2008年に民俗学者を辞めて、老人ホームで働き始めました。民俗学とは主に明治から戦後にかけての生活文化の移り変わりを調査し、それに対して人々がどのように対応していったかを明らかにする学問です。私の上司だった赤坂憲雄さん(学習院大学教授)は、ゴジラやジブリアニメをもとに民俗学的な分析を試みていますが、2つに共通しているのは自然と人との関係を描いていること。

近代以降、人間の営みはいかに自然を支配していくかの歴史でしたが、東日本大震災のように、人間はいつも自然の脅威にさらされてきました。そこで人々は自然を「神」として崇め、荒ぶる神を鎮めようとしてきたと赤坂さんは語ります。

このように、未知の世界と人間との関わりについて考察するのも民俗学の特徴で、その魅力に取りつかれて研究者生活に没頭、著作『神、人を喰う』でサントリー学芸賞を受賞しました。しかし、研究者の世界は非常に厳しい競争社会で、常に成果が求められます。研究以外の大学の業務にも追われて、受賞後はほとんど休みなし。このままでは自分が壊れてしまうという危機感さえ抱くようになり、研究者生活をリタイア。故郷の沼津に戻って、転職を考えました。

ハローワークでホームヘルパー2級の講習を勧められたことをきっかけに、研究のフィールドワークでお世話になっていた高齢者の皆さんに、多少なりとも恩返しがしたいという思いもあって介護職の道を選びました。六車さんの著作より。『神、人を喰う―人身御供の民俗学』(新曜社)は第25回サントリー学芸賞受賞

老人ホームは「忘れられた日本人」の
生き方の宝庫

しきたり、行事、言い伝えなどの民間伝承を聞いて書き留める「聞き書き」が、第一の資料となるのが民俗学の特徴です。介護職として仕事を覚える一方で、「聞き書きが得意分野なら、夜間眠れない人の話し相手になってほしい」というケアマネジャーさんの依頼もあって、月に2~3回のペースで、利用者さんのお話を聞く機会がありました。

老人ホームでの聞き書きは、驚きの連続でした。認知症である大正生まれの一夫さんは、かつて牛馬の鑑定や仲買、時には治療もする馬喰(ばくろう)として、村々を回った思い出を語ってくれました。農耕や運搬が機械化されていない時代の農家と馬喰との駆け引きや、農家との信頼を築くために違う村の者同士の縁談をまとめたエピソードを生き生きと語る一夫さん。その目は輝いて、顔が紅潮し、気持ちが高ぶっているようでした。

一夫さんのほかにも飲み屋を回る流しのバイオリン弾きをしていた八十吉さん、村々を回って蚕の雄と雌、日本種と外国種を分ける蚕の鑑別嬢だったタミさん、戦前、女性の憧れの仕事だった電話交換手をしていたかなゑさんなど、老人ホームには、多様な人生を歩んできた「忘れられた日本人」たちが集まっていました。

老人ホームは民俗学の宝庫であり、その思いを『驚きの介護民俗学』という本にまとめて出版しました。介護民俗学は私の造語で、民俗学の手法を利用してお年寄りの人生に向き合い、人が生きる意味や人間の営みの豊かさについて考えるための方法です。民俗学は介護の現場で何ができるのか、今も試行錯誤を続けています。食後のティータイムなどを利用して聞き書きを行う

利用者さんが師匠になる
「思い出の味の再現」の時間

利用者さんたちの話の内容に驚きながら、その驚きを職場の仲間とも共有したいと考えました。私から聞き書きの提案をしてみましたが、忙しい現場でそれを受け入れてもらうには、こちらの経験があまりに不足していました。私自身も日々の業務に追われ、突破口を見いだせずにいたときに出会ったのが、現在のすまいるほーむを経営している村松誠さんでした。

『驚きの介護民俗学』を読んでくださった村松さんは、激動の時代を生き抜いてきたお年寄りへの聞き書きが、介護の現場に豊かな人間関係をもたらし、介護の在り方を変えていくと期待していました。私は介護の世界で初めて、自分の理解者と出会うことができたと感じました。

2012年にすまいるほーむ入社後は、介護民俗学を通じて、利用者と介護職員が介護する側とされる側という関係から、もっと自然に人と人として、フラットに関わり合える在り方を模索してきました。試行錯誤の中で見つけた方法のひとつが、「思い出の味の再現」。利用者にかつての得意料理のレシピを思い出してもらい、みんなでそれを作って食べてみようという企画です。

つい最近も沼津に伝わるおやつの「なべやき」づくりに挑戦しました。小麦粉に重曹を混ぜて作る甘いお好み焼きのようなものですが、この辺りでは定番のおやつだったそうです。私があまり得意でないせいもあって、料理は教えてもらう立場で利用者のハルコさんが師匠です。思い出の味をきっかけに子どものころの遊びや食べ物の話に花が咲き、いつの間にかスタッフの子どもも交じって、あたかもひとつの家族のような状況が生まれています。師匠となって「なべやき」の作り方を指導するハルコさん(右端)

ハルコさんの「風船爆弾」

ハルコさんは14歳のころ、「挺身隊」として名古屋の陸軍の軍需工場で働いていたことがあります。挺身隊とは太平洋戦争の戦局が悪化する中、昭和18年ごろに軍需工場に動員された14~25歳の女性たちのことです。ハルコさんが勤務していた工場は昼夜交代制で、大砲の弾を塗装したり、手榴弾や焼夷弾を作る仕事をしていたそうです。

それでも休みの日には熱田神宮や鶴舞公園などへみんなで遊びに行き、お菓子を買って帰ることもできたそうです。中でも興味深かったのは、「風船爆弾」の話。「簡単に言うと、白い和紙をのりで貼って3階建てぐらいの大きい丸い風船を作るの。他の工場で火薬を詰めて飛ばすんだよ」とハルコさん。風船爆弾は直径10メートルの巨大な気球に爆弾をつるし、偏西風に乗せてアメリカ本土まで飛ばして攻撃するという当時の秘密兵器。のりで和紙を貼り合わせていく作業に、挺身隊が駆り出されたのです。

「大変だったけど風船ができてくると中に入って、みんなできゃーきゃー言いながら内側にものりを塗る作業をするのが面白くてね」と笑うハルコさんの話を聞き書きしながら、挺身隊という暗く重々しいイメージからは想像できない、青春期の楽しい思い出が垣間見えました。これは研究者時代の論文のために行う聞き書きではなかなか出合えない、介護民俗学ならではの貴重で豊かな経験でした。スタッフの子供も加わっておやつの時間が充実

タブーだった「死」と向き合う灯篭流し

家族のような関係を徐々に築いていきながら、どうしてもまだ利用者さんの想いに応えていないと感じるのが、「死」の問題です。利用者さんにとって遠くない時期に迎える「死」は、とても大きな切羽詰まった問題なのに、介護の施設で話題にするのはタブーとされている場合が多い。だから今ここでやっているのは、まず誰かが亡くなったらそれをオープンにすること。動ける利用者さんには一緒にご自宅に伺ってお線香をあげてもらい、仲間の「死」を受け止めやすいようにしています。

利用者さんの中には、自分の親の供養ができていないとか、お墓参りに行けないと嘆いている方もいて、何かその代わりにできることがないかと考えていました。それで思い付いたのが、7月下旬に地元で行う灯篭流しという行事で流す灯篭に、亡くなった自分たちの大切な人の戒名や名前を書いてもらうこと。思い思いの名前を書いてもらいながら、亡くなった方の思い出話を語り合うと、とても厳粛な気持ちになります。

灯篭を流した様子をビデオに撮って施設のみんなで見ると、「ありがたいね、流してもらって」「これで供養ができたよ」と言ってもらえました。こうした取り組みで利用者さんたちも自分の最期のイメージが湧き、それと向き合う心構えができてくるかもしれません。この課題が今後どんなふうに展開し、利用者さんとの間で深まっていくのかが楽しみです。沼津の狩野川で行われる灯籠流し。死者の魂を載せた無数の灯籠が流されていく

学生、作家、アーティストへの
「介護のススメ」

10年後、20年後と、利用者さんの世代が変わっていっても、語られることは尽きないでしょう。団塊の世代なら戦後の復興や経済成長の時代の、活気にあふれた世相を語ってくれるでしょうし、大学に行った人なら学生運動華やかなりしころの武勇伝を、得意げに語ってくれるかもしれません。民俗学者としても興味をそそられる部分です。

特に民俗学を学んでいる学生には、将来の選択肢のひとつとして介護現場をお勧めしたいですね。村に入ることだけが民俗学じゃないと。ここには思いもよらない生き方をしている人たちがたくさんいます。また、小説を書いたり、映画を撮ったり、絵を描いたりする作家の皆さんにも、ここに来ていろいろな話を聞いてほしいですね。きっとそうした表現活動のテーマやモチーフとなるヒントが、介護の現場には満載です。介護の世界がいろいろなかたちで表現されることで、外に開かれていくことも重要なこと。内に閉じがちな介護の世界に社会の多様性を回復させるには、いろんな人が入ってきて、外に発信していくことが大事です。

最近うれしかったのは、病院からすまいるほーむに転職してきた看護師が、入社後しばらくして、「このホームに来て、年をとるのはそんなに悪くないかなと思えるようになりました」と言ってくれたこと。他のスタッフも「年をとったらここでみてもらう」とか「席を空けておいて」と言ってくれます。「でも、最初に入るのは社長かな」ってみんなで笑いながら話しています。ベテラン介護士から元デザイナー、大学で演劇を学んだ末にすまいるほーむに就職した26歳の若者、子育て世代の看護師など、スタッフも個性的な面々が揃う

【文: 高山淳 写真: 中村泰介】

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