facebook
twitter

最新トレンド

2013.09.27 UP

人間の老いと向き合うジャーナリスト タブーを超え、介護の本質を問う

朝日新聞記者として人々の暮らしを取材し続けてきた高橋美佐子さん。いつもそばには高齢社会、介護の問題があったと言います。「人が老いるとはどういうことなのか、漠然とした不安をとりのぞきたい」。その思いから生まれた『排泄と尊厳』という連載記事は、大反響を呼びました。ジャーナリズムの視点から人の老いに向き合う高橋さんを取材しました。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

長野で出会った
ヘルパーたちの輝きにふれて

新聞記者としてはじめて介護の世界に触れたのは、新人で配属された長野支局時代。ちょうど長野県介護福祉士会が発足した頃で、興味が湧いて訪ねたのです。そこで出会った副会長の上村富江さん(当時、上田市社会福祉協議会職員)に「一回現場を見に来るといい」と誘われ、デイサービスセンターを見学に行きました。たくさんの認知症の方たちのなかで、体格のいい80代くらいの男性が女の人に手を引かれながら、子どものように風船遊びをしていました。聞けば、現役時代は校長先生だったというのです。そのギャップに唖然とする私に、上村さんは「これが人間の自然の姿なのよ」と。

人が老いるという現実を目の当たりにし、説明できない涙があふれると同時に、そんな高齢者とまっすぐ接しているヘルパーたちから目が離せなくなったのです。私は、祖父を介護する母を見て育ち、いつか、母のような主婦の心に届く記事を書きたいと思って新聞記者になりました。その頃すでに多くの先輩たちが福祉にまつわる政策や制度について記事を書いていましたが、私が伝えたいのは、この、全身全霊で高齢者に伴走するヘルパーたちの輝きなのではないかと考え、上田市社会福祉協議会に通い詰めるようになりました。

3年がかりではじめて介護の連載を執筆しましたが、それでも、人の老いや介護の本質を捉え切れていなかったという思いがどこかに残りました。

老いや介護に対する
漠然とした不安をとりのぞきたい

私は長野から横浜、さらに東京本社へと異動しながら、主に外国人労働者やごく普通の女性たちのことをよく取り上げるようになっていきました。面白い人がいると聞き訪ねていくと、外国人のヘルパーだったり、介護をしている女性だったり、思いがけず介護の現場につきあたるんです。折しも、介護保険制度について国が動き出していた時期とも重なり、メディアは高齢社会の問題点や制度について繰り返し報じ始めていました。

けれど、なぜか私の胸にはささらない。
これは何かが違う。

介護保険制度や事業モデルの紹介といった社会の仕組みを整えていくという取材手法では、人が老いること、人間の本質的部分が伝わらない。それがわからないから、人は、介護に対して漠然と不安やおびえを感じてしまう。

自分なら、何を通してこのことを表現できるだろうか。そう考えたとき、母が寝たきりになった祖父の介護のなかでもおむつ交換や排泄ケアの失敗に疲弊していたことを思い出したのです。人が生きるうえで排泄は当たり前の生理現象だけど、老いに伴って不具合も出てくる。しかし、なかなか人にそれを打ち明けられない。そうして孤立してくわけですが、排泄のことを率直に口にすることができた途端、人間関係の壁や心のハードルが一気に突き崩されていく。

情報があふれる今の社会で、孤独感を強める大勢の読者たちとの距離を縮めることができるのは、排泄という切り口かもしれない。

新聞の一面というプレッシャー

そう思い始めた矢先、名古屋本社(※1)への異動が決まり、排泄ケアの専門家である愛知県小牧市民病院の泌尿器科医吉川羊子さんと出会ったのです。全国から吉川さんのもとへ集まる排泄に詳しい医師、看護師、介護士たちとの交流をきっかけに、記事の構想が具体的なものになっていきました。書く場所を探して、朝日新聞夕刊一面の『ニッポン人脈記』に提案しましたが、新聞の一面で排泄をメインテーマに取り上げるのは前代未聞のこと。なんとか企画は通ったものの社内の抵抗はかなり強く、「読者から一回でも苦情が来たら打ち切りだから」と、デスクからプレッシャーをかけられました(※2)。認知症の妻の介護をする俳優、専門家として排泄ケアに取り組む医療者、おむつのファッションショーの仕掛け人、排泄にまつわる現代詩を創作する詩人、プロの介護福祉士…。2年越しで取材した方たちはみな情熱的で、真剣で、魅力にあふれていました。

その一方で、私の原稿には排泄にまつわる用語が繰り返し並んでいる。パソコンを打ちながら「この記事はほんとうに、新聞の一面に載せられるのだろうか」と深く悩み、途中で原稿が書けなくなったこともありました。

※1 朝日新聞は東京・大阪・西部・名古屋の4本社制
※2 デスクは、記者からあがってきた記事をチェックし、必要に応じて修正・再取材を指示する

大反響をよんだ、連載『排泄と尊厳』

そんなとき、表現することを恐れるなと私を鼓舞してくれたのが漫画『ヘルプマン!』であり、作者のくさか里樹先生です。「排泄の問題から目をそらさないのなら」と取材に応じてくれたくさか先生は、漫画のなかで排泄にからむシーンをとても丁寧に描かれていました。排泄トラブルに苦しむ人たちは孤独です。

だからこそ、専門家をはじめこの問題に向き合っている人たちが大勢いることがわかったら、ご本人はもちろん、私の母のように介護で苦労している人たちを勇気づけられるんじゃないか。また私たち自身が、自分や家族の老いとどう向き合っていくのか考えるきかっけになるのではないか。そこにジャーナリズムとしての意味はある。そう信じて全9回を書きあげました。

連載がはじまってみると、数年続く『ニッポン人脈記』のなかでも異例の反響が寄せられました。自分の体験を綴ってくれる人、本文で紹介した取材先への問い合わせ、「書いてくれてありがとう」という声…。先輩記者には「よくぞ、とりあげた」と声をかけられ、社長からも全社員一斉メールで連載のことに触れてもらうなど大きな注目を集めたのです。

排泄を切り口にすることで多くの人に、私のメッセージを伝えることができたかもしれないと実感が深まっていきました。

※『排泄と尊厳』は、2009年10月23日~11月6日まで、朝日新聞夕刊の一面『ニッポン人脈記』で連載されました。
※朝日新聞デジタル『ニッポン人脈記』
http://www.asahi.com/jinmyakuki/

※『排泄と尊厳』第1回
http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200910230284.html

世代を超えて、
人間の自然な姿にどう向き合うか

漫画『ヘルプマン!』のすごいところは、老人を老人として描いていないところです。
若い人が時を重ねていった姿として描いているから、そこに感情移入ができる。見事だと思います。

「今これだけのことができなくなった人を、誰が面倒見ますか、社会はどうしますか」と現時点だけで切り取って書くから、自分の問題として考えられないんですね。実際、高齢者には、すごい人たちがいっぱいいます。私の友人の最高齢は89歳。戦争の話など、「身内じゃないから打ち明けられるんだよ」と、ほんとうに貴重な話をしてくれます。また、沖縄の小浜島には「小浜島ばぁちゃん合唱団」というのがあって40名近くの団員がいるのですが、入団資格はなんと80歳以上。新規入団者が来たときに、最初に話をするのがお互いの初恋なのだそうで、すごく盛り上がるといいます。素敵ですよね。

人生の大先輩への取材を通じて感じたのは、一方的にお世話する、されるという関係性のなかで介護を取り上げても伝わりにくい。そうではなく、お年寄りたちの生きてきた歴史ごとリスペクトして、向き合ってみる。介護にとって排泄ケアは外せないものだけれど、それはほんの一部。

普通の人間たちのあるべき姿に、私たちが世代を越えてどう向き合っていくのかが問われている。それが介護の持つ本質的で普遍的なテーマだと思うんです。そうやって自分自身も自然体になればいいんだと思えたとき、私自身、介護が遠い世界のものではなくなりました。

今こそ、介護の価値を見直すべき時代

今、日本では未婚者やパートナーに先立たれるなど一人で暮らす人たちが増えてきて、一人で死んでいく時代になりました。働く女性も増えて、家事労働をアウトソーシングしていかざるを得ません。つまり、対価を払うべき仕事として、家事も介護もその価値を見直す時代になってきています。
確かに、介護業界にはまだ多くの課題がありますが、最近は若い人たちがどんどん介護業界に入ってくるようになってきていて、変化の兆しも感じられます。

私は、新人記者の教育として介護現場が最高だと思っているんです。それで、これは実現できていない企画なんですけど、『イケメンヘルパー』という連載をやりたいと言っていて。全国47都道府県に散らばる若い記者たちが、各地の介護現場でキラキラ輝いている若い男性介護福祉士たちを探し歩き、彼らの一日に密着させてもらう。そうすれば、人間の真の姿やそこでどんな課題が浮上しているのかが心から実感できるはずだと。

排泄もあれば、恋愛、性、家族、職員の不満だってあるかもしれない。
介護がみんなで考えるべきことだとしたら、ジャーナリスト育成の一環としてやってみる価値があると思うんです。

高橋さんからのメッセージ

私が就職活動をしていた頃と比べると、いまは雇用環境が非常に厳しくなっているので簡単には言えませんが、社会人の先輩として勧めたいのは、いろんな業界をとりあえず見てみること。人生でこれほど多種多様な会社や社会人たちと出会えるチャンスはありません。いい会社は、若い人たちの感性、既存の社員たちでは絶対に生みだせない斬新な発想を求めて活かそうとしていますから、なるべくありのままの自分を表現してほしいと思います。

介護業界についていえば、間違いなく高齢者は増える一方ですから、高齢化に伴う様々なビジネスは減るはずもない。そうなったときに直接、高齢者のケアをするという介護の現場はもちろん、他の職業であっても超高齢社会に向きあうアプローチを始めていると感じます。もし、自分が生きているこの社会を、働くことで良くしたいと考えるのならぜひ、心を開いて介護業界を体験したり話を聞いたりしてください。

5年後、10年後には、きっと面白いことになっていると思いますよ。

【文: 鹿庭 由紀子 写真: 山田 彰一】

一番上に戻る