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2018.08.21 UP

AIの利活用で「ユマニチュード®︎」を全国に普及し 介護職や家族の介護スキル向上を目指す

フランスで誕生した包括的ケアメソッド「ユマニチュード」。知覚・感情・言語による包括的なコミュニケーションに基づいたこのケア技法は、高齢者、とりわけ認知症の方にも有効とされ、すでに世界10カ国以上の医療・介護施設で導入されている。日本国内で唯一このメソッドの正規事業ライセンスを保有しているのが、AIベンチャーの株式会社エクサウィザーズだ。「AI(人工知能)技術の利活用で超高齢社会に代表される社会課題を解決すること」をビジョンに掲げる同社は、ユマニチュードの普及を後押しすると同時に、その教育指導にAIを活用する画期的な取り組みをスタート。その取り組みについて、ケア事業部長で技術開発を手掛ける坂根裕さんに、また同社の方向性について代表取締役社長の石山洸さんにお話を伺った。

超高齢社会に代表される社会課題を
AIの利活用で解決していく

“介護”と“AI”の2つの領域は、これまであまり接点がないように思われてきたが、そもそも同社は、なぜ介護の領域に注目したのだろうか。石山さんは、同社設立の背景をこう語る。

「AIの利活用の方向性のひとつに、自然科学や社会科学などの発展や改革を後押しするというものがあります。現在、医療の分野では“科学的な根拠に基づいた医療”が行われていますが、介護の世界ではそのような“根拠に基づくケア”はまだ十分に確立していない状況です。しかし、ディープラーニングのような、動画や音声などの非構造化データを解析できる技術の進歩によって、実際にケアをしている動画をAIが解析し、『よいケアとは何か?』を科学的に捉えることが技術的には可能となりました。こうした背景に着目し、AIの新たな利活用を目指すベンチャー、株式会社エクサインテリジェンスとデジタルセンセーション株式会社が経営統合する形で、2017年に株式会社エクサウィザーズを設立しました。テクノロジーを駆使する『ウィザーズ=魔法使いたち』が知恵を絞り、超高齢社会に代表される難解な社会課題を解決することを目標に掲げています」(石山さん)

同社のケア事業部では、ユマニチュードのメソッドをベースとした介護者育成ツールにAIをフル活用し、自動化するプロジェクトを進めている。その中心に立つのは3歳からプログラミングを始め、静岡大学情報学部助手としてIT領域の研究を進め、デジタルセンセーション株式会社を設立した経歴を持つ坂根裕さんだ。経営統合後は技術開発部長とケア事業部長を兼任し、ユマニチュードの認定インストラクター資格も取得。ユマニチュードとは「最期の日まで人間らしい存在であり続けることを支える」という哲学をベースに、〈見る〉〈話す〉〈触れる〉〈立つ〉を4つの柱とした様々なケア技術で実践していく体系的なメソッドだ。

「考案者のイヴ・ジネスト先生とロゼット・マレスコッティ先生は、もともと体育学の教師であり、そのメソッドには、体の使い方や動作における論理や、脳科学や医学的知識などもふんだんに盛り込まれています。実際、ユマニチュードを導入したフランスの長期療養施設では、離職率の低下や、認知症の方への向精神薬使用の減少、施設から急性期病院への搬送が減ったことなどで、年間4,000万円近くもコスト削減できたという事例があります。私自身、10週間の研修を受ける中、『感覚的なものではなく、非常にロジカルな内容だ』と感じ、その哲学と技術に感銘を受けました。そこで、このメソッドを日本に持ち込んだ東京医療センターの本田美和子医師と共に、国内での普及に取り組もうと考えたのです」(坂根さん)

▲介護の専門職以外でユマニチュードのインストラクター資格を取得したのは、世界で坂根さんが2人目。「介護のプロの方々と研修を受ける中、分野外の素人だからこそ気付いたこともあると感じた。また、研修中の失敗を分析し、試行錯誤した経験がツール開発につながった」と話す

研修受講者にケア動画を撮影してもらい、
振り返り指導を行ったことで効果を実感

坂根さんは、2015年からユマニチュード研修事業に携わるが、当時、活動できるインストラクターは実質5名程度。現場での指導が難しいため、受講者がケアを行っている動画を個別に撮影し、その内容について振り返り指導を行う取り組みをスタートした。

「結果的に、これが非常に有効であると分かりました。例えばスポーツなどで、試合直後に指導者がアドバイスをしても、選手は正確にそのときの状況や動作を思い出せず、正しい理解に至らないことがあります。ケアもそれと同じであると思います。自分のケアを動画で俯瞰し、何に意識を向けてどう考え、どんな行動が取り得たのか、動画とアドバイスがセットになることで、正確な状況理解や具体的な行動選択ができるようになります」(坂根さん)

例えば、認知症の方と散歩に行く際、ユマニチュードのメソッドに沿って、入室後に信頼関係を築いても、その後に車いすを取りに行くという動作がひとつ入れば、相手から離れることで関係性が失われ、結果として拒否に至るケースもある。受講生は、「失敗した」と思いがちだが、全ての対応が失敗なわけではない。動画を見れば、「途中で車いすを取りに行く」という行動が「一度築いた関係性を途切れさせ、拒否を引き起こした原因」だと理解でき、今後は「事前に全ての道具を揃える」「関係性が途切れた後に、もう一度関係性を築き直す」などで対応方法を改善できるのだという。

「動画を見れば、そのときの状況や動きといった物理的なことは確認できます。そこに、『状況をどう捉え、どんな行動を取り得るのか』という、“思考”に関するアドバイスを付加すれば、受講生の対応の引き出しが増えていくと気付きました。ただ、当時のインストラクター数を考えると、対面型の指導では規模拡大に時間がかかるため、ビジネスとして継続性がありません。また、高い技術を持つインストラクターの模範映像だけを提供しても、『全て理解できた』という勘違いを生むということもわかっていました。そこで、指導の質を担保しながら広めていくために、生徒の実践動画に直接アドバイスできるツールを開発しようと考えました」(坂根さん)

▲提携病院で実施したユマニチュードの研修風景。根底にある哲学を理解するとともに、構造化・体系化された技術を学ぶ。ユマニチュードの研修については『ユマニチュード研修案内』という専用のWebサイトで紹介・受付している

声だけでなく、身振り手振りや赤ペン機能で
指導できる動画ツールを開発

坂根さんが開発を手掛けた動画ツールの仕組みはこうだ。まず、生徒が撮影したケアの動画をクラウド上にアップすると、指導者が持つ端末からその動画が閲覧できる。動画を見ながらアドバイスしたい場面で指導ボタンを押すと、画面内の小さなスペースに指導者自身の顔が映り、動画に対して語りかけるとその音声が録音される。また、指摘ポイントをより分かりやすくするために、ケア動画の画面に直接赤ペンのように書き込みながら添削できる機能も付けた。指導者による添削アドバイスが終了すると、その瞬間に指導箇所の動画化とクラウド上への再アップロードが行われ、生徒が閲覧・確認できるようになる。その指導動画は、生徒だけでなく、他の指導者とも共有できる仕組みがあり、重ねて他の指導者がアドバイスできるようになっている。

「インストラクターの声だけでなく、顔や手なども映る動画がアップロードされるため、表情や動きまで伝わります。対面型の指導研修では、動画を見せながら、身振り手振りを交えてインストラクターが指導しますから、そうした行為の全てをツール上の機能として詰め込んだ形ですね。もちろん、一般的なeラーニングでも、技術を『知る』ことはできますが、それはあくまで“ティーチング”であり、そう簡単に生徒は腹落ちできないもの。しかし、生徒の実践動画を使って“コーチング”すれば、『分かる』レベルまで持っていくことができるようになるのです」(坂根さん)

テストを重ねて機能の改善を続け、ようやく実用できるツールが完成。今後、どのように使用していくかを検討している段階だ。

「研修のフォローアップとしての活用がメインです。加えて、動画を施設の教育資産として共有することで、ケアの方法だけでなく環境全体を見直すきっかけにもなると考えています。職業人としてケアを遂行するために、施設ごとに様々なルールや決まりごとがあると思いますが、その中には、必ずしも合理的ではないものもあります。例えば、『名前は必ず苗字で呼ぶこと』というルールがある場合、認知機能低下によって結婚前まで記憶が戻っている女性のご利用者さんとのコミュニケーションが難しくなる可能性も。結婚後の苗字は、ご本人の記憶の中では『知らない名前』であり、周囲からその名前で話しかけられ続ければ、誰でも不安になるものでしょう。このとき、『◯◯さんって誰? 私じゃない』と話す姿を記録した動画を確認できれば、ルールを見直すきっかけとなります。百聞は一見にしかずですよね」(坂根さん)

▲イヴ・ジネスト先生が動画ツールを使用して指導している画面。左下に先生の顔が映し出され、ペンのように赤い線で書き込みができるようになっている

AIを活用したコーチングで“ケアの棋譜化”へ
改善点を見える化し、家族の負担を軽減

さらに、坂根さんはこれらの動画ツールの仕組みにAIを活用することで、より多くの人たちがケア技術を向上できるよう規模拡大する方法を考えている。

「動画ツールのみでは、指導する“人”が介在することが必須です。しかし、それらの動画を分析し、失敗や間違いをパターン化できれば、人ではなく、AIがアドバイスすることができるようになります。例えば、ひとりの指導者が対応できる生徒数が100人であるとします。95%の指導をAIが担うことができれば、指導者は残り5%のAI化できないアドバイスに集中でき、2,000人の生徒を見ることができる。また、コーチングAIの普及により、専門職だけでなく、家族介護者に学びの環境を提供できると考えています。現在、私たちは、福岡市が取り組む『認知症フレンドリーシティ・プロジェクト』に参画し、その一環として、専門職や一般の方にユマニチュードの研修を行いました。家族介護者の方に向けても研修を行ったところ、大きく状況改善できたという結果が出たのです。AIを活用すれば、専門家ではない家族の方にもユマニチュードを学んでいただくことができ、在宅を含めたケアの環境は大きく変わると考えています」(坂根さん)

ユマニチュードを実践した家庭では、家族介護者の疲弊や燃え尽きを軽減できたと同時に、被介護者の介護拒否や認知症の行動・心理症状の軽減などの効果が明らかになったという。

「学びの場を広く提供できることで、超高齢社会における社会課題の解決に向かう大きな一歩になるのではないかと考えています。私たちは、情報技術を駆使し、“ケアする人”を支え、それを通して“ケアされる人”も支えることができるような仕組みづくりが大切だと考えています。技術の活用によって、より多くの人々にユマニチュードのメソッドを届けていくことが目標です」(坂根さん)

さらに、天井に設置したカメラでケアを行う際の頭部の位置を確認でき、要介護者との距離感や体の位置関係をより具体的に認識できる機能も追加。今後は多くの自治体や施設との連携に向けて、膨大な介護動画のデータを収集し、AIに学習させていく予定だ。

「将棋や囲碁の領域では、AIがプロと戦える程度に強くなりました。それには理由があり、将棋や囲碁の世界では、対戦そのものが棋譜という形でデータ化されています。現場で使えるAIを実現するには、『分析対象の本質が含まれるデータ』が大量に必要となりますが、ケアの領域には、そのようなデータはありません。ケア内容に踏み込んだ分析を行うのであれば、介護者と被介護者の位置関係、目線や交わした言葉、触れ方など全てをデータ化する必要があるためです。現在、科学技術振興機構の研究プログラムCRESTの「『優しい介護』インタラクションの計算的・脳科学的解明」研究プロジェクトにおいて、ケアの棋譜とも呼べるモデルを構築しようと研究開発を進めています」(坂根さん)

▲コーチングAIの動画。天井のカメラで、要介護者と介護者の頭部を検出し、位置関係を確認。また、メガネ型カメラでは、アイコンタクトができているかどうかも確認できる

教育、創薬、労働人口問題などにもAIを利活用。多様な課題解決に取り組み、多くの人を支えていく

現在、同社は、複数の大学や企業、地方自治体などと連携し、「コーチングAI」をはじめとするユマニチュード教育関連サービスの開発を進めている。

「現在、実験検証を進めている最中で、2018年度中に現場で使えるものに仕上げたいと考えています。この先、実用化が進む中で、『AIが人のケアの良し悪しを判断するのか』という嫌悪感を抱く方も出てくるかもしれません。しかし、私たちが目指しているのはそこではありません。あくまでAIは気付きの機会を提供するための道具であり、『“人”のケア能力そのものを向上させる』ために活用したいと思っています。ユマニチュードについても同じことがいえます。これはケアする人を縛るマニュアルではありません。その哲学のもとで『ケアの本質を考える機会』を提供するものであり、人が思考と実践を続け、成長を重ねていくための道具だと捉えています。持てる技術を全て活用し、ケアする人を支える仕組みづくりを目指しています」(坂根さん)

コーチングAIの普及に期待が集まる中、ケア事業以外にも様々な事業を展開するエクサウィザーズの今後の方向性について、石山さんは次のように語ってくれた。

「AIが人類の知性を超える“シンギュラリティ”。その到来が予想される2045年には、日本の人口動態は50歳以上の人口が6割、50歳未満の人口が4割となります。この6割の人を支えるためには、介護に加えて、医療の分野にも取り組む必要があります。例えば、MedTech事業部では、京都大学・理化学研究所と共にAIを活用した創薬に取り組んでおり、研究・開発の期間短縮と費用削減を目指しています。また、社会保障費の増加にはFinTech(金融サービスとテクノロジーを結び付けた革新的な取り組み)、労働人口の減少にはHR Tech(最先端のテクノロジーを駆使して人事領域の業務改善を行う取り組み)やロボットの開発など、AIを利活用することで、超高齢社会の社会課題を一つひとつ解決していくことを目指します」(石山さん)

▲代表取締役社長の石山洸さん。同社は、国内外の自治体、企業、研究者と多面的に連携しながら「AIによる社会課題解決」への挑戦を続けている

 

【文: 上野真理子 写真: 阪巻正志】

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