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ヘルプマン

2018.08.10 UP

高齢者の社会参画を促す「サロン」を展開し、 介護予防の推進と健康格差の縮小を目指す

「健康格差」という言葉をご存じだろうか。2016年にはNHKスペシャルでも取り上げられたが、収入や学歴の差、あるいは地域によって、健康にまで不平等が生じることを指す。高齢者を対象にした調査でその存在を見いだし、世に知らしめたのが千葉大学教授の近藤克則さんだ。2018年1月、一般社団法人日本老年学的評価研究機構を設立し、代表理事に就任。この問題を「見える化」してさまざまな分野の人と共有し、少しでも健康格差を縮小するために尽力する近藤さんに話を伺った。

所得によって要介護認定率が
5倍も違うという衝撃の調査結果

もともとリハビリテーション専門医だった近藤克則さんが、「政策を評価する」医師を志し、研究者に転じたのは38歳のとき。研究者となった近藤さんは、1999年、介護保険制度の政策評価に携わる。そして愛知県武豊町を担当し、介護保険制度導入前後の要介護者の状態や介護者の負担感などの変化、介護予防の効果についての調査を行った。医学だけでなく、社会学や経済学など、さまざまな側面から高齢者について研究する老年学的な評価研究だ。そして、見いだしたのが健康格差の存在だ。

「所得によって、要介護認定率(要介護認定を受ける割合)が大きく違うことが明らかになったのです。高所得者が3.7%なのに対し、低所得者は17.2%と約5倍。臨床医としての経験から格差の存在自体は感じていましたが、まさかこれほどとは思いませんでした」

その後、留学した英国で健康格差が注目されていることを知り、この問題を研究テーマに定めた近藤さんは、調査データに基づき政策を評価する研究や社会疫学(*1)の研究に取り組んでいく。

*1 社会疫学…住環境や人とのつながり、経済状況などさまざまな社会的要因で健康に影響している要因を探す研究分野

▲所得による要介護認定率の格差を発見した近藤さんは、広く知ってもらうために学会で発表。しかし、質問ひとつ出ず、その反応の鈍さに落胆して一時は研究継続を迷ったという

自転車操業で資金を調達し、
20年続けた研究が大プロジェクトに

いまでこそEBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づいた医療)やEBP(Evidence Based Practice:根拠に基づいた実践)が重視されるようになったが、当時はデータに基づく政策評価など、ほとんど行われていなかった時代だ。調査に協力してくれる市町村は、近藤さんが足を運んで研究の意義を訴え、一つひとつ増やしていった。その過程では、「そんな調査をして悪い結果が出たらどうする。政策評価など必要ない」と言われ、思わず絶句したこともあった。

苦労したのは、協力してくれる市町村探しだけではない。研究資金の確保も課題だった。

「公募制の研究助成金は、1年間、3年間など、年数が限られているものが多いのです。でも、私は、個人を追跡する縦断研究(*2)で政策導入の前後で比較する評価をやりたかった。だから、継続して研究するための資金をなんとしても確保する必要がありました。助成を受けて研究の成果をあげつつ、次の調査費用を捻出するため、また新たな研究計画を立てて研究費を確保する。まさに自転車操業でした」

「なんとしても」という近藤さんの強い思いが研究資金を引き寄せ、高齢者の研究を20年にわたって継続させた。1999年の愛知県武豊町など2市町での調査を皮切りに、2003年には愛知県の市町村を中心に15市町村で高齢者約3.3万人を対象にした調査を実施。2006年にはその一部で追跡調査を行い、2010年には調査対象を全国の31市町村の約10万人に拡大した。これが、健康長寿社会の実現を目指して予防政策の科学的な調査分析を行う、「日本老年学的評価研究(JAGES)プロジェクト」となる。いまや30を超える大学、研究機関の研究者が関わり、延べ50万人ものビッグデータを蓄積する縦断研究の大プロジェクトに発展した。

*2 縦断研究…同じ対象者を何年にもわたって継続的に追跡調査し、特定の項目を数年おきに測定することで経年変化を見て、因果関係に迫る研究法

▲「政策評価への理解が、自治体職員にも徐々に広まっていったことで、協力してくれる市町村が増えていきました」と近藤さんは言う

政策をただ批判するのではなく
有効な代替案の提案に取り組む

介護保険制度でも予防の重要性が注目されるようになり、2006年には「介護予防」に重点を置く制度変更が行われた。その方法は、要介護状態になる恐れがあるハイリスク高齢者を見つけ出し、介護予防教室などへの参加を促す「ハイリスク・アプローチ」だった。

「しかし私たちは、2003年の調査結果から、ハイリスク・アプローチではうまくいかないと感じていました。健康診断には、健康への関心が高い、高所得の人が熱心に通い、低所得で不健康な人ほど来ないからです。介護予防教室にも、来てほしい人ほど来てくれないことが予想されました。そんなことを、調査に協力してくれた市町村への報告会で話したら、愛知県武豊町から『それなら先生が効果があると思う方法で、介護予防をやってもらえないか』と声が掛かったのです」

政策を分析し、ただ問題点を指摘するのは簡単である。それに対し、有効な代替案を示し、その効果を示すことは難しい。その難しいことに、近藤さんはあえて取り組んだ。

▲「武豊町から、『有効な介護予防策を実施してほしい』と言われて、逃げられなくなりました」と近藤さんは笑う(写真は武豊町のサロンでの誕生日会風景)

縦断研究による政策評価で
要介護認定率の変化を追跡調査

このとき、近藤さんが考えたのは、国が導入した「ハイリスク・アプローチ」とは異なる「ポピュレーション・アプローチ」(*3)と呼ばれるやり方だ。対象者をハイリスク者に限定せず、環境を変えることで多くの人々の行動を変えるという考え方だ。しかも、この研究では、個人を特定して行動や要介護認定を受けたか否かなどを追跡調査する縦断研究に取り組むことにした。

「当時、縦断研究は、ごく一部の学術研究でしか行われていませんでした。いまでも、個人情報保護を理由に、こうした縦断研究を受け入れてくれる自治体は多くありません。当時、武豊町が積極的に研究に協力してくれたことは、とても大きかったですね」

それまでの研究を進化させる形でスタートした、この「武豊プロジェクト」では、地域に設けた高齢者の交流の場(サロン)を中心とした介護予防策を実施した。近藤さんはそれまでの研究で、サロンを通じて「ソーシャル・キャピタル」(人と人との社会的なつながり)を豊かにすることが介護予防に有効であり、健康格差の縮小につながるという仮説を立てていたからだ。2007年度からモデル事業として町内3カ所にサロンを立ち上げ、それを横展開。2018年7月現在、武豊町内13カ所でサロンが運営されている。どの地域でも家から15分も歩けば、サロンに通える環境を整えたのだ。

*3 ポピュレーション・アプローチ…健康面でリスクがない人も含めた集団全体に働き掛けることで、集団全体のリスクを軽減する方法

▲武豊町では、多くの住民の自宅から歩いて15分の範囲内にサロンがあるため、参加しやすい環境。写真は「鳴子」を持って運動している武豊町のサロンの様子

国の施策にも影響を与えた
「サロン」を活用した介護予防の成果

サロンの運営方法も工夫した。市町村はサロンの立ち上げや広報、運営費などの面から支援するが、運営は高齢者を中心とするボランティアが行うことを目指した。そこで、近藤さんは「ボランティア活動などに熱心な人は要介護状態になりにくい」という、これまでの研究データを積極的に住民に伝えた。これにより、多くのボランティアを集めることに成功した。

こうして実施した「武豊プロジェクト」では、武豊町の65歳以上の高齢者の約1割がサロンに参加。町全体の要介護リスクがある高齢者も、約2%が参加した。ハイリスク・アプローチで介護予防教室に要介護リスクがある高齢者を呼び込んでも、全国での平均参加率はわずか0.8%。的確なポピュレーション・アプローチは、ハイリスク・アプローチよりはるかにハイリスクな対象者にも「届く」ことが証明されたのだ。さらには、参加した高齢者の要介護認定率が参加しない高齢者と比べて半減するという成果も得られた。また、健診や介護予防教室には足が向きにくい人たちも、サロンへの参加率は高いことが明らかになったのも大きな収穫だった。

「武豊プロジェクト」をはじめ、サロンなど「通いの場」を活用した介護予防の実践とエビデンスが示されたこと、ハイリスク・アプローチでは参加者が伸び悩んでいたことから国も動いた。厚生労働省は介護予防のアプローチとして、「住民運営の通いの場の充実」に舵を切ったのだ。

▲武豊町では、ボランティア中心にサロンを運営している。前に立ち、その日の流れを説明しているのもボランティアだ

都市部ならではの多様な資源を生かした
人口49万人都市「松戸プロジェクト」

近藤さんはいま、人口約4万人の武豊町で成果をあげた取り組みを都市部で実践するモデルケースとして、人口約49万人の千葉県松戸市と提携し、「松戸プロジェクト」に取り組んでいる。

「今後、急速に高齢化が進むのは都市部です。介護の需給ギャップも予測されています。都市部で通用する介護予防策を考えないと、大変なことになる。要介護になる人を減らすことができれば、そのギャップを少しは軽減できるのではないかと考えました」

近藤さんが目を向けたのは、地方とは違う都市部ならではの“資源”の活用だ。

「都市部にはさまざまな企業がある。定年退職した専門職や、大きな組織を動かした経験がある人たちがいる。そういう“資源”を生かせば、武豊町とは違う、面白いチャレンジができるのではないかと考えたのです」

松戸市の高齢者人口は約12万人。そのうち8,000人を抽出してボランティアの意向を調査したところ、約570人が「やってみたい」と名前を書いてくれた。

「それまで行政とつながりのなかった、ボランティア未経験の人たちもたくさん手を挙げてくれたのです。定年退職して、きっかけがあれば地域デビューしたいと考えていた、潜在的なボランティア希望者がたくさんいたのではないかと思います」

▲ボランティアを担う高齢者の中には、実は、認知機能が万全ではない人も多い。「ボランティアを続けることが、介護予防になっているのではないか」と近藤さんは言う

「通いの場」の運営に、企業退職者の
マネジメントの視点を生かす

松戸市ではプロジェクト開始前から、200数十のサロンが運営されていた。それでも、厚生労働省が目指す「人口1,000人当たり1カ所」を達成するには、今後さらに200カ所以上のサロンを立ち上げる必要がある。毎年10カ所作っても20年かかる。それでは高齢化のピークに間に合わない。

「大きな組織を動かした経験がある人だと、大きな視点から手立てを考えてくれるのではないか。100の通いの場があれば、支援がなくてもうまくいくのが20カ所、存亡の危機にあるのが20カ所、普通に運営できているのが60カ所ぐらいだろう。だから、均等に支援するのではなく、存亡の危機がどこかを洗い出して、危機の要因を分析しててこ入れしようとか。500カ所もの通いの場を支援するには、そんなマネジメントの視点が必要です。そこで、そうした経験がある人に集まってもらって、力を借りることにしました」

通いの場を運営したい人、場所を提供しても良いという人、特技を披露したい人、出前講座をしてくれる専門職などをリスト化しようと提案してくれた。運営している人たちをつなぐ交流会などの仕組みも作った。多くの通いの場を整備し支援するため、松戸プロジェクトで進行形の取り組みだ。

「地域の集会所を通いの場として貸し出すとき、面倒なのが集会所の鍵の管理です。面倒なことから町内会長さんを解放することで貸してもらえるようにならないか。そのために、例えば、地域のコンビニエンスストアに鍵の管理を委託できないか検討しています。地域の企業や事業者、NPOとも連携し、ビジネスが得意なことはビジネスに担ってもらう。そうすることで、ボランティアをしようという高齢者には楽しいところだけやってもらえる仕組みを作りたいのです。いま、ボランティアを担っている多くは、後期高齢者です。超高齢社会では、そういう支援する仕組みを作らないとボランティア中心に運営していくのは難しいと思います」

▲2017年1月、6冊目の著書『健康格差社会への処方箋』を上梓。健康格差の存在を訴えるだけでなく、対策案とその効果を示した

「コレクティブ・インパクト」で
健康長寿社会を実現する

近藤さんは、健康長寿社会の実現には、研究者や医療者、行政、企業、メディア、ボランティアなど、さまざまな立場の人、組織がそれぞれの強みを持ち寄り、共通のゴールに向けて社会的課題の解決を目指すアプローチ、つまり「コレクティブ・インパクト」が必要だという。松戸プロジェクトの運営にも、「コレクティブ・インパクト」のアプローチが用いられている。

2018年1月に近藤さんらが設立した、一般社団法人日本老年学的評価研究機構(JAGES機構)は、コレクティブ・インパクトを実践する組織だ。行政や企業・事業者・メディアと協働して研究者が学術的な評価・研究を担当。その結果を共有しやすいよう「見える化」し、健康で長生きできる地域共生社会づくりを目指す。任意団体として20年活動してきたJAGESプロジェクトをベースにJAGES機構が設立されたことで、調査研究事業や自治体支援や企業へのコンサルティング事業の受託などがスムーズになり、安定して継続研究ができる環境を整えたいと、近藤さんは言う。

「高齢化が急速に進む日本や世界が直面する課題の大きさを考えると、もっと急がなくてはいけないと考えています」

政策を評価し、よりよい政策にしていくために走り続けてきた近藤さんは、これからさらにスピードを上げていく覚悟だ。果てしない研究へのモチベーションは、一体どこから生まれるのだろうか。

「やってきたことに対する手応えです。協働する相手が増えるほど新しい知見が得られ、視野が広がっていく。やっていて面白いのです」

仕事をしながら遊んでいるみたいなところもあると語る近藤さん。楽しそうに研究に取り組みながら成果をあげていく近藤さんに、多様な分野の人たちが引き寄せられる。そうして、JAGESは拡大、発展してきた。それは今後も続いていくだろう。

【文: 宮下公美子 写真: 刑部友康】

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