ヘルプマン
2018.05.24 UP
介護施設で働きながら、利用者と触れ合う中で歌を作り自ら歌う“介護福祉士シンガーソングライター”、かんのめぐみさん。独自の視点で作り出す世界観、伸びやかで優しい歌声に魅了されるファンも多く、活動の幅は、地元の高松市にとどまらず、東京や大阪にも広がっている。そんなかんのさんに、介護業界を目指したきっかけや、歌を作り始めたエピソード、また一時、介護の仕事を離れたいきさつや復帰の経緯、現在の活動内容などについてお話を伺った。
祖父との思い出が介護業界へとつながり
高校時代の葛藤が歌づくりにつながった
高校時代、かんのさんは、意外にも「福祉」にも「音楽」にも関係ない、工芸高校のデザイン科に通っていたという。
「中学生のころ、親に『手に職をつけなさい』と言われていたので、なんとなく介護・保育・看護のどれかに進むんだろうなと思っていました。そのころから祖父と一緒にいる時間が好きでした。なんだか肌に合うというか居心地がよくて。だから『お年寄りと触れ合える介護の仕事に進みたい』と親に伝えたところ『介護は大変だから』と反対され、安易に工芸高校のデザイン科に進みました。学校のみんなは、将来デザイナーになる夢を持って学んでいるわけで、私とは本気度も実力もまったく違う。もう、1年生のときに『合わない』と思いましたね」
その後の高校生活は、なりたいもの探しの毎日。中学時代の「介護・保育・看護」への道を思い出し、高松市の職場体験で保育園に行くも「子どものスピード感についていけない!」と感じ、保育の仕事は難しいと判断。次に、助産施設などを経営する社長の講演会を聞き、「看護師の仕事は自分には重荷で覚悟ができない!」と判断。最後に、高校の職場体験で介護施設へ行ったとき、祖父と同じような居心地のよさを感じて「やはり介護の道へ行きたい」と決意する。
一方で、高校時代から歌を作り始めたかんのさん。高校2年生のときには高松駅前の路上でギターを弾きながら歌っていたという。
「中学時代にYUIさんが流行っていて、自分の気持ちを歌にして発信したいなと思って。単純に、大声で歌いたかったのかな(笑)。どこか、高校で疎外感を感じていたからか、思春期ならではの感情や葛藤を歌にしていました。コミュニケーションが苦手だったので、他の方法を探しているところもあって、それが歌だったのかもしれません」
▲「高校の職場体験で訪れた介護施設には、認知症の方がおられました。会話は噛み合わないのですが、世界観は一人ひとり、とても濃密。そこに興味が湧きました」とかんのさん。高松市浜ノ町にある、海の見えるカフェ&ダイニング「NORTH SHORE」にて撮影
介護は利用者の歴史を感じられる仕事
個々の人間ドラマを題材に歌を作る
高校卒業後、短大で2年間、介護を学んで介護福祉士の資格を取得し、20歳から特別養護老人ホーム(以下、特養)で働き始めたかんのさん。利用者と接する中で、その歴史や背景を感じることができる日々が「楽しかった」と振り返る。
「利用者さんと話していると、その人の歴史が垣間見える瞬間があるんです。大正生まれの方のトイレ介助をしたとき、終わったらナースコールを鳴らしてくださいとお願いしましたが、一向に鳴らない。様子を見に行くと、彼女は怯えていて、『爆弾が落ちる!』『いま隠れとるんや!』と。狭いトイレが防空壕と重なり、そのときの感情がよみがえったのだと思います。どうしたらいいか分からず、とっさに『いまなら逃げられますよ!』とお声掛けすると、ようやく立ってくれました。そのときの気迫がすごくて、心に響いたんです」
その経験が、歌の創作活動へとつながっていく。
「就職すると、作詞のきっかけになるような思春期特有のもやもやした気持ちもなくなり、かといって恋愛も苦手。『何か歌の題材はないか』と探すようになり、自然と介護と音楽がつながっていきました。もともと、観察するのが好きだったんでしょうね。『この人のこの一言、気になるな』と思ったら、直接いろんな質問をして、ケアマネジャーが作ったその方の年表も調べて、じっくりゆっくり何カ月も時間をかけて歌を作っていくんです。つながらない部分は想像して、自分でつなげる(笑)。その人の人生に向き合う時間はとても充実感がありますね。介護の仕事はいつも業務と時間に追われて大変ですが、歌を作ることで、冷静に頭の整理もできて、客観的に物事を捉えられるようになりました。いま考えると、それが自分自身のケアになっていたのかもしれませんね」
▲特養で働くかんのさん。最初の3年間で作った歌は5曲。「歌を作ることで、仕事とは別の目的も見いだしていました」
高齢者との触れ合いの中で
5つの曲が生まれた
ここで、かんのさんが特養時代に作った歌の抜粋とエピソードを紹介しよう。
「フウフの唄」歌詞抜粋
線と点で繋ぎましょう 丸と四角になりましょう
年老いた時にしわくちゃな手で 後ろにまっすぐ降ろしましょう
あーあ、ちょいな ちょいな ホイ
「『あーあ、ちょいな ちょいな』は、歌のモデルになった80代のおばあちゃんの口癖でした。認知症の方で、いつも亡くなったご主人の話をしてくださり、お風呂介助のときには『おまえ100まで、わしゃ99まで、共に白髪がはえるまで』と歌っていましたね。声質もいいし、歌詞もいい。お風呂介助のたびに歌ってもらいながら、どんな夫婦だったのかな?とその姿を想像して歌を作りました。施設では家族構成図を作るのですが、丸が女性、四角が男性で、それを線でつなぐと夫婦になり、子どもがいれば、点や線が増えます。私はそのシンプルな図が好きだったので、夫婦を表す丸と四角を、歌詞に反映しました」
「トナリの長屋」歌詞抜粋
深く刻まれた法令線 ハの字になって笑う
すぐ、そこにある長屋の家が 帰りを待っている
白黒写真だけじゃ思いだせない何かを アナタはずっと心に秘めているの
「これは、施設隣の長屋に住んでいる明るくてチャーミングなおばあちゃん。雨の日も風の日も毎朝7時に見かけるのが気になって、声を掛けたのがきっかけです。息子さんの話をよくされていたので、息子さんの存在が大きいのだと感じました。その気持ちを想像すると、嬉しいとか悲しいだけではなく、言葉にならない感情もあるのではないか。そんな想いを、『深く刻まれた法令線』『ハの字になって笑う』という言葉に込めました」
▲「フウフの唄」「トナリの長屋」も含めた5曲が収録された、かんのさんのアルバム(¥1500)。この冬に新作もリリース予定だ
体力に限界を感じて離れた介護業界
音楽活動がきっかけとなり復帰を決意
当時、特養では業務量が多く、常に「時間が足りない」状態だったかんのさん。正社員として働いていたが、3年目に退所を決意したという。
「仕事に慣れたころでしたが、出勤時間が毎日のように異なる不規則な勤務形態で、生活のリズムが作れず、身体がとにかくつらかった。この先10年間続けられるだろうかと、正社員としての働き方に疑問を持つようになり、辞めることにしました」
その後、ハローワークの職業訓練校に通って医療事務の資格を取得したり、コールセンターでバイトをしたり。そのころから、歌を作るだけでなく、本格的な音楽活動を開始する。
「介護施設の経営者の集まりに参加する機会があり、『イベントがあるから歌ってくれない?』とのことでライブで歌わせていただきました。働いていた特養では、経営者の方との接点はなく、ある意味上下関係がしっかりとしていました。でもここでは、経営者の方たちが歌に共感してくれて、『次のライブも行くね』と気軽に声を掛けてくださった。『音楽』というコミュニケーションツールがあることで、地位や立場は関係なくフラットな関係が築けるんだと驚きましたね」
「音楽」の力を目の当たりにしたかんのさん。2015年に介護業界に復帰したきっかけもまた、音楽だった。
「もっと歌いたい。そんな想いから、長野県の秋フェス『りんご音楽祭』のオーディション企画に参加することになりました。イベントの主催者は、何カ月もかけて全国の予選場所をまわり、一人ひとりの出演者に核心をついたアドバイスをくれる方。その方から、『視点は面白いけど、いまは現場で働いてないんですね』と言われて、ハッとしたんです。また、歌を作り続けるためにも介護施設で働きたい。でも、以前のような働き方ではなく、音楽と両立できる方法はないかと考え、パートで復帰することにしました」
▲特養を退職後、「歌を作る」から「歌を歌う」ライブ活動にシフト
ライブ参加者と一緒に歌を作る自主企画力
「歌で紐解くあなたのアナザーストーリー」
現在は、以前勤めていた特養でパートとして働きながら、ライブハウスや福祉×スポーツイベント、介護施設イベントなどでライブ活動をする日々だ。NHKなどで取り上げられたこともあり、現在は高松市のみならず、大阪や東京まで活動の幅を広げている。
そんな中、2017年にかんのさん自身が企画したのが、自主企画ライブ「歌で紐解くあなたのアナザーストーリー」だ。これは、介護をする家族や介護に従事するゲストを招き、ゲストの率直な「いまの感情」をホワイトボードに書き出し、その人の歴史を歌にして演奏しながら歌う、というものだ。
「イベントに呼ばれて高齢者を題材に作った歌を歌う、という活動から、音楽を使ってもっと介護のことを知ってもらいたい、という気持ちが芽生えてきたんです。介護に関係ない人たちに伝える方法を考えるうちに、『利用者さんを題材にした歌を作る過程を、そのままライブにしてしまおう』と思い付きました」
1回目は、90代の母親を在宅介護している60代の家族の方。母親はサービス付き高齢者向け住宅に移ることが決まったが、家族の方は、罪悪感もあり葛藤していたという。
「ライブに来られていた香川県の福祉課の方に、『どうしたらいいと思いますか?』と質問すると、『介護される本人と家族を守るために介護制度はあるのだから、使えるものは使う。入ったから終わりじゃありません』というお答えをいただいたり、体験談を語ってくださる観客の方がいたり。合間に、ご家族の気持ちに近い歌を選んで歌い、最後にはその方の歌を作って一緒に歌いました。ライブが終わると観客の方も、『いまだから言えるけど……』と声を掛けてくださいました。この企画を通して、介護に関わる人たちは、『誰かに話したい』『発信したい』という想いがあることに気付きましたね」
▲自主企画ライブ「歌で紐解くあなたのアナザーストーリー」
音楽をツールに介護をする人が集まる場所や
介護を知らない人に発信する機会を作りたい
「言葉では伝えきれない感情を共有する、という部分では、介護も音楽も同じかもしれません。そういう意味で、介護×音楽は相性がいいのかもしれませんね。介護福祉士シンガーソングライターとしての活動が自信につながったのか、歌づくりのペースが上がりました」と微笑むかんのさん。今後の目標は?
「一時的に介護の仕事を離れましたが、音楽活動と両立できるパート勤務を選んだことで、介護と『いい距離感』を築けたと思っています。これからは、介護福祉士として、介護と音楽とのパラレルキャリアを強みに活動していきたいですね。音楽は、人とフラットにつながることができるツールだと実感しています。自主企画ライブ『歌で紐解くあなたのアナザーストーリー』などを通じて、介護をしているご家族や介護従事者などが発信できる場所を作り、ちょっとでも『変わる』きっかけになればと思います。また、介護に関係ない方々に、身近なこととして感じてもらえる機会も作っていきたいですね」
▲介護福祉士シンガーソングライターとして活躍するかんのさん。その心地いい歌声に癒やされる
【文: 高村多見子 写真: 川谷信太郎】