ヘルプマン
2017.04.18 UP
埼玉県春日部市、東武スカイツリーライン「武里」駅から車で10分ほどの住宅街にある、「デイサービスおむすび」と「つぶつぶ保育園」。その2施設は、一つの建物内で隣り合って運営されている。子育て中のスタッフは保育園にわが子を預けることができるので、常にわが子のすぐ近くで仕事ができるという大きなメリットがある。利用者や園児にとっても、自然と世代間交流が育まれるメリットも。そんな“理想の介護施設・保育園”を運営している株式会社グレイングレイン代表取締役の鈴木美緒さんに話を伺った。
デイサービスと保育園を併設
子育て中のスタッフにも心強い職場
デイサービスと保育園、共通のエントランスに入ると、保育士が弾くピアノの音と元気な子どもたちの歌声が耳に飛び込んでくる。仕切りのドアを開けると、デイサービスの空間が広がり、大きなテーブルに高齢者が集っている――。埼玉県春日部市にある「デイサービスおむすび」と「つぶつぶ保育園」は同じ建物内に併設されており、高齢者と子どもたちが自然に触れ合える。この施設を運営するのは、グレイングレインの代表・鈴木美緒さんだ。
「デイサービスは保育園と壁で仕切られているだけなので、音楽や歌声が日常的に聞こえます。ご利用者さんや介護スタッフにとっても、子どもたちの存在を間近に感じられることは“癒やし”効果があるようです」
ここでは、デイサービスの女性スタッフの多くが、隣接する保育園に子どもを預けて働いていることも大きな特徴だ。「デイサービスおむすび」スタッフの鈴木雪恵さんは、長男の蒼太くん(2歳)を「つぶつぶ保育園」に預けている。
「以前もデイサービスで働いていましたが、子どもができると預けるところがなくて仕事を中断していました。そんなときに知人から『保育園が付いたデイサービスがある』と聞いてここに入りました。スタッフはみんな同じような子育て世代なので理解があり、とても働きやすい職場です」(鈴木さん)▲「子どもが熱を出したときなどは、みんなで協力し合えるので助かっています」という鈴木雪恵さんと蒼太くん同じく、長男の翔真くん(1歳)を預けて働いている介護スタッフの大井靖加さんは、次のように話す。
「子どもを預けようと『つぶつぶ保育園』に申し込みに来たとき、隣にデイサービスがあると知って、思わず自分の就職も申し込みました。以前、介護職として働いていましたが、子どもの出産で退職していたからです。隣の保育園に預けて働けるのは、とても安心感がありますね。また、子どもにとっては、めったに関わることのないひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん世代と触れ合えるのもよい経験になっていると思います」(大井さん)▲大井さんのように、子どもの入園を希望して「つぶつぶ保育園」を訪れたことがきっかけで、「デイサービスおむすび」の存在を知り、スタッフとして働き始めるケースも少なくないという
スタッフの9割が子育て中の母親
高齢者と子どもの交流も差別化に
「デイサービスおむすび」は定員18名。「つぶつぶ保育園」は、0~2歳児それぞれ4名ずつ、計12名が定員だ。共に小規模としている運営方針について、鈴木さんは次のように説明する。
「会社を設立した時、根底にはご利用者さんや子どもたちだけでなく、働くスタッフについても、一人ひとりの個性を大事にしたいとの思いがありました。そのためには、一人のスタッフがしっかり見切れる範囲の規模にしたかったのです」
デイサービスと保育園を一体化させた理由は、利用者やスタッフにとっての“癒やし”効果や、スタッフが母親として安心して働けること、そして子どもたちが小さいうちから高齢者に触れ合えることを実現するためだったという。
「これらは、ご利用者さんやスタッフを確保していく際の強力な差別化要素になるのではないかとも期待しました」
2017年4月現在、計27名のスタッフのうち子どもを持つ女性は25名という。▲午前10時になると、子どもたちがデイサービスのスペースへ。利用者の方々と一緒に体操をするという
高校の体育科教員を目指しながら
経験を積むために一般企業に就職
子どものころから活発だった鈴木さんは、中学、高校とバスケットボール部で活躍。顧問の教員から「体育の先生に向いている」と言われたのをきっかけに、体育教師を目指して体育大学に進学。教職免許を取得したが、卒業を前に一般企業への就職活動に取り組んだ。
「高校の体育科教員を志望していました。教職に就けば、高校卒業後に就職する生徒もいるだろうし、大学に進学する生徒もいずれは就職します。そんな生徒たちに、就職の意義や大切さも教えるためには、私自身も一度は企業で働くべきだと考えたのです。ただし期限は2年間と決めました」
鈴木さんは、何社か内定を得た中で、居酒屋チェーン「和民」などを運営するワタミ株式会社を選んだ。人のマネジメントに力を入れていることや、環境問題にも取り組む姿勢が保健体育を教えるのにいい勉強になると考えたという。
入社後、店舗に配属され、アルバイトスタッフと一緒にホールや調理場での実務を経験。半年後に異動した店舗では副店長に昇格し、外国人を含む10名ほどのアルバイトスタッフの管理も担当。その後も異動が続き、店長も経験した後、予定通りきっちり2年で退職する。その期間で学んだことについて、鈴木さんは次のように振り返る。
「仕事は大変でした。昼夜逆転の生活で常に眠たいですし、やらなければならない作業も多かったから、必死でしたね。でも、この経験のおかげで企業理念の大切さを学べたし、起業マインドを醸成できたと思っています」
ワタミ創業者の渡邉美樹氏は、『夢に日付を!』という著書で有名だ。夢を実現させるには、いつ実現させるかを決め、その日から逆算して計画的に行動することが重要、という内容である。
「日付を決めることは大切ですが、妊娠・出産のある女性は逆算しづらいのも確かです。私の場合は、目の前のことを一生懸命にやるという夢の追い方も併せて実践しようと思いました。このことも、ワタミで身についたことですね」▲高校の体育教師を目指しながら、大学卒業後の2年間はワタミで経験を積んだ鈴木さん
どちらも初体験の
教員生活と育児の両立に葛藤
ワタミでの就業経験の後、鈴木さんは体育教師の枠を求めて、当時、渡邉美樹氏が理事長を務めていた私立中高一貫校への転職を打診する。というのも、地元の県立高校はほとんど採用枠がない状態だったからだ。
「2年後なら、体育科教員を採用する予定があるから、そのときまでは経理事務をやってほしいと頼まれました。それなら会計知識を学ぼうと、請けることにしたのです」
中高一貫校で簿記や会計などの経理業務を経験し、もうすぐ体育教師になるという時期に妊娠し、長女を出産。産休後、晴れて体育科教員に転身するが、子どもを保育園に預けながら働き続けるのは、2年間が限界だったという。
「教員と育児、どちらも初めてのことが一時に重なったことで大変な状態になりました。葛藤しましたが、両立はできないと。どちらをとるかとなれば、育児です。教員にはいつでも戻れるけれど、育児はこのタイミングしかありませんから」
起業を決意してから約半年で
2つの施設を開業
2011年4月に退職し、レストランでパートをしながら育児に専念する生活に入った鈴木さん。その約2年後、デイサービスを運営していた叔父が亡くなった。そこで「立派な建物をそのままにしておくのはもったいない」と、叔父の遺思を引き継ぐことを決意する。
「介護業界の話にも興味があり、いろいろな情報を聞いている中で、介護士の資格を持っていても、小さい子どもを預けることができず就職がままならない女性が多いことに違和感を覚えました。また、デイサービスと保育園を同じ建物内で運営している知人がいて、うまくいっているという話も聞いて興味を持っていました。ワタミ時代の同僚の多くは起業していたこともあって、自分にも起業に対する抵抗感はなく、すぐに開業を決心したのです」
建物は親戚から賃借する形のため大きな投資は不要だったものの、内装やスタッフ採用など一定の初期投資が必要となり、国の女性創業補助金を申請。その取得が信用材料となって銀行からも融資を受けることができたという。そして、起業を決意してから4カ月後の2013年7月には会社を設立し、10月に保育園、11月にデイサービスを開業する。
「紹介で、運よく介護と保育ともにベテランを責任者として採用できたことが大きいですね。それに、叔父の遺志を受け継いでしっかりやらなきゃと集中力を発揮できたのだと思います」▲もともとデイサービスだった建物を仕切り、併設した「つぶつぶ保育園」
新たに「予防介護事業」と
「ママ支援事業」をスタート
短期間の準備で開業を果たした鈴木さんだが、当初は集客に苦労したという。特に、周辺地域ではデイサービスの数が飽和状態のため、現在もわずかながら定員に達していないという。
「デイサービスのPRもかねて、『シナプソロジー』という脳の活性化トレーニング資格を取得し、地域の公民館などで高齢者向けに講座を持っています。こうした地元の高齢者との接点から、申し込みにつながるケースが出始めています」
さらに鈴木さんは、2017年5月から新たに「予防介護事業」をスタートさせる。「予防介護事業」では、「要支援1・2」の高齢者を対象に、自立支援や、介護予防食、シナプソロジーなどのプログラムを提供する予定だ。
「地域とつながりながら、生きがいを見いだしていける場所にしたいですね。もちろん、要介護度が進んだ高齢者の方には、引き続き『デイサービスおむすび』を利用していただく流れにつなげていければと考えています」
予防介護事業に加え、鈴木さんが取り組みたいと考えている「ママ支援事業」では、子育て中の母親を集めて子育ての悩みを共有したり、仕事復帰を支援するワークショップや講座を開く予定だ。
「“103万円の壁”といわれる配偶者控除の問題がよく取り上げられていますが、正確に理解していない方が多いようです。知識を学べば、心理的なハードルを下げることができるはず。自分自身の経験も踏まえながら、働くことに役立つ場を設けて、一歩踏み出す後押しをしたいですね」
介護士や保育士の人材不足は大きな社会問題となっている。一方で、子育て中の女性を中心に働きたくても働きに出られない有資格者も少なくない。これらの問題を解消する試みとしても、同社のようなデイサービスと保育園の一体運営は今後ますます関心が高まるだろう。
【文: 髙橋光二 写真: 阪巻正志】