ヘルプマン
2016.03.11 UP
介護施設の施設長であり、介護業界のリーダーのひとりでもある杉本浩司さん。「介護のイメージを変える」「日本の介護を変える」「介護をかっこいい仕事にする」というミッションのもと、自立支援などについての講演活動も積極的に行う。「一人ひとりに合わせたケア」を追求し、一職員だった若手時代より変革に挑む。しかし、「最初の10年は挫折の連続」だったという。そこで杉本さんのこれまでの軌跡や、未来のビジョンについてお話を伺った。
「モデルで一番をとる」から
「介護で一番をとる」へ
高校時代、モデルになりたかったという杉本さん。理由はかっこいい仕事だからだ。当時から一貫して杉本さんの行動指針は「かっこいいかどうか」で、その定義は外見だけではなく、苦手なことから逃げずに克服できる人、人に優しくできる人、というものだ。介護の専門学校卒業後は、介護施設で働き始め、同時に勤務外の時間でファッションモデルの仕事を始める。
「介護の仕事をしながら、モデルで一番をとりたいと思っていました。あるとき、有名メンズファッション誌の専属モデルのオーディションを受けたところ、応募者約5,000人のうちの20~30人に残ったものの、結果は不合格。そのとき気付いたのは、僕にはモデルとしての個性がない、ということでした。最終選考に残るモデルたちは、極端に目が細い、鼻が大きい、身長が190cm超など、いわゆる強烈な個性がある人がほとんどでした」
そんなころ、あるレセプションパーティで出会った女性に言われたことをきっかけに、杉本さんはきっぱりとモデルをめざすことをやめ、介護で一番をとる、と誓う。
「女性に、『モデルで一番をとるのは無理』と断言されて愕然としました。自分でも気付いていましたから。その女性はさらに、『スポットライトを浴びることが好きなあなたなら、介護を通して、一人ひとりの高齢者に合わせてスポットライトをあてられるはず』とも。その言葉が心にドーンと入ってきた。そこで、腹をくくったのです」▲「ショーやスチール撮影では、僕の動きや背の高さに合わせてスポットライトがあてられます。介護の世界では、自分がライトをあてる側になって、おじいちゃんおばあちゃんを輝かせようと決めました」と杉本さん
尽きない葛藤や壁。でも、
介護ほど面白い仕事はない
杉本さんは子どものころ、高齢者が苦手だった。介護の道を選んだのは、その苦手意識を克服したい、という気持ちもあったという。
「働き始めてすぐ葛藤が始まりました。介護は、おむつ交換や、食事や入浴などの介助が主な仕事。つまり補うことしかできない。毎日同じことの繰り返しのように思えてくるのです。
しかし、しばらく経って、『介護ほど面白い仕事はない』と感じるようになりました。高齢者と触れ合うことで、“自分が関わる人の数だけ人生を経験できる”からです。これまでの人生など、かなり深いところまで話を聞くことも多い。こんな仕事、ほかにないと。この思いは18年経ったいまでも変わりません」
介護のルーティン業務を完璧に遂行していた杉本さんは、入職後3年で役職に就き、次第に責任ある立場になっていく。そんな中、また大きな壁にぶつかる。それは、目の前の高齢者に対する自分の無力さだった。
「“おむつ交換の人が自力で排泄できるようになる”とか“寝たきりの人が歩けるようになる”というように、できなくなったことを取り戻すには何をすべきか、当時の僕には全然分かりませんでした。会話の中で、『元気になったらこんなことをしたい』という話題がでても、ただ聞くことしかできない自分が悔しかったのです」▲「介護の仕事は多くの人生を経験できる。おかげで、ものの見方や思考の幅が広がりました」と杉本さん
自立支援を学び
社会へ発信する立場へ
杉本さんの転機は、訪問介護でサービス提供責任者をしていた28歳のとき。ある会合で、大学院教授で自立支援介護の第一人者でもある竹内孝仁氏と知り合ったことから、社会人大学院に入学。自立支援介護の理論や技術をはじめ、他の教授からも施設の経営やマネジメント、ジャーナリズムなど幅広く学ぶことになる。
「初めて竹内先生の講演を聞いて、それまで悶々としていたことが解決できそうだと思いました。入学後は、高い授業料を有効に活用すべく必修以外の科目も受講し、勤務後や休日に週4、5日ペースで通いました。講義後の飲み会にも積極的に参加したので、教授やゼミの仲間など、人脈がぐっと広がりました」
現在、全国各地で年間50~60の講演を行う杉本さん。初めて依頼されたのは30歳のときだ。富山県出身のゼミ仲間からで、「富山県の介護施設で杉本さんの介護に対する考え方を話してほしい」というものだった。
「初めて講演したとき、聞いている方が、泣いたり笑ったり、最後はうんうんとうなずいてくれた。そして、何度か講演に呼ばれるうちに、『自立支援介護を基本として介護福祉士が関われば、ご利用者の想いややりたいことを実現できる』ことを社会に広く伝えていくべきだと思うようになりました。僕は、理論や技術を学ぶだけでなく、勤務している施設で自立支援介護を実践し経験を積んでいたので、それらを施設内だけにとどめておくのはもったいないと」▲講演は、介護関連の施設や専門学校だけでなく、介護とは直接関連のない他業界の企業や起業家が集まる場などからもオファーがある
失敗しても諦めない
結果が出れば仲間も集まる
杉本さんのミッションは、「介護のイメージを変える」「日本の介護を変える」「介護をかっこいい仕事にする」だ。起業家なら自分の意志を貫くことはできるが、組織の一職員がこれらのミッションを行動に移すのは無謀に近い。杉本さんは20代のころ、変革を起こそうとして何度も失敗を経験した。
「何かを変えようとしても、一人では何もできないことを痛感しました。だから、同僚や後輩など、僕の考えに賛同してくれる同志を集めたこともあります。それでもうまくいかなかった。でも、諦めずに活動を続けるうちに、結果が出るようになりました。というのは、日々の仕事が認められて次第に役職も上がり、視野も広がったので、僕の考えを実践しやすくなったからでもあります。そして、仲間も自然に増えていったのです。
そんな折、実現したいケアについて企画書を作成し、当時の施設長に提出しました。施設内の大規模な改修を伴う提案です。投資額、投資回収期間、改修後の収益見込みなど、詳細な試算も企画書に盛り込みました。結果、OKが出て提案が実現。想定よりずっと早く投資回収もできました」▲ウエルガーデン伊興園では2年前、施設長である杉本さんの提案をきっかけに入浴施設を改修。職員が反対する中、寝たまま入浴できる設備を廃止し、全浴室を一般家庭と同様の個浴に。「寝たきりの人でも介助次第で個浴は可能です。湯船につかる時間も長くなるし、実は介助者の腰への負担も軽くなるのです」と杉本さん
自律的な職員を育成し
働きやすい環境を整える
施設長の仕事は、採用・待遇・教育などのマネジメントから、収支管理、ご家族対応などまで幅広い。杉本さんは施設長として、職員に対してどのように接しているのか。自立支援介護の技術・ノウハウを徹底指導されているのかと思いきや、実はあまり教えていないのだという。
「ここで働く職員には、具体的な手法は教えません。2年前、入浴施設をすべて個浴に改修したときも、職員自身に介助方法を考えてもらいました。彼らが導き出した方法へのアドバイスはしますが、最初から答えを教えない理由は、自分で考えて自律的に実践してほしいから。その方が楽しいし、自信もつくはずです。
待遇面や、働きやすい環境の整備には積極的に取り組んでいます。この施設のベッド稼働率は足立区内の平均より高く、収益率も高いといえます。その分を、職員の給料や環境整備に反映しています。職員たちは、みんなiPadなどのタブレットを持ち、仕事を効率化しています。公休も今年は11日増やしました」▲ウエルガーデン伊興園の職員は、「それぞれの高齢者に合わせたケア」「腰に負担がかからない介助法」など自分たちで考え、話し合いながら日々実践する▲就職説明会で施設に来る大学生たちは、仕事でタブレットを使いこなす職員たちを見て驚くという。抱いていた介護施設の仕事のイメージと違うからだ
東京オリンピックを機に
介護から日本を変える
これまで、施設内外での活動を通して、介護に携わる人や高齢者に影響を与え続けてきた杉本さん。講演などで出会う介護業界のリーダーや介護職員、学生たちにも発信しているという、杉本さんの今後のビジョンを聞いた。
「まずは、日本中で介護職のクリエイター、つまりビジョンを持って仕事をする人を増やすこと。ビジョンとは、マーケティングと覚悟です。介護現場でのマーケティングとは、一人ひとりに合うケアを提供すること。覚悟を持ってそれを実践できる人がクリエイターです。そういう人が増えれば、業界のイノベーションや人材育成につながります。
次に、人生をクローズしようとしている人に対して、介護職である僕たちが関わることで、再び人生をオープンさせ、さらに“新しい当たり前”を創ることです。介護を必要とする人は本人もご家族も、『施設に入ると人生がクローズしていく』と考えています。そんなことあるはずがない。施設に来たことで、できないことができるようになるだけでなく、地域活動に参加するなど、その人らしい“新しい当たり前”が見つかる……そんな場所にしたいのです。
そうやって介護を変えられたら、介護職の3Kは『神対応』『かっこいい』『かなりかっこいい』に変えられる。一人ひとりに合わせたケア、つまり神対応ができ、高齢者を元気にすることができればかっこいい。神対応+かっこいい=かなりかっこいい、です。
こうした活動のマイルストーンは、2020年7月24日、東京オリンピック開会式です。新国立競技場に、全国のかっこいいおじいちゃん、おばあちゃん、介護福祉士たちが集結し、世界中にイキイキした高齢者の姿や、レベルの高い介護技術を発信する。そうすれば介護技術の輸出にもつながります。国内でも、アクティブで消費意欲の高い団塊の世代が75歳になる2025年前後には、おそらく百貨店や飲食店、あらゆるサービス業で介護技術が必要となるはずです。高齢者が出掛ける場所に介護人材のニーズが生まれ、経済も循環します。東京オリンピックをきっかけに、『日本の介護を変える』どころか『介護から日本を変える』。そこまでめざしたいですね」
【文: 池内由里 写真: 阪巻正志】