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2014.11.27 UP

幸せな超高齢社会って、どうつくる?被災地・石巻で見つけた、ひとつの答え

大学で経営学を学んだあと、一貫して医療の経営サポートに関わってきた園田さん。超高齢社会に向かい在宅医療のプラットフォームが必要と説く、武藤医師との出会いを機に、共に在宅医療診療所「祐ホームクリニック」の立ち上げに奔走。地域の高齢者や患者さんの情報を取り込み、在宅医療・介護の情報支援システムを構築するとともに、医師、看護師、介護職などと連携し、一人の患者さんを多面的に見る仕組みをつくり出してきた。現在、「超高齢社会の縮図に見えた」という被災地・石巻で、在宅医療・介護を中心とした新たな“地域コミュニティモデル”づくりに取り組み、「この成果をこれからの社会に生かしたい」と語る園田さんの活動をご紹介します。

在宅医療の調査で訪問したお宅で見えた、
あまりにも悲惨な、日本の未来

私は経営学部の出身ながらも一貫して医療に携わり、日本の病院経営や超高齢社会における医療の役割やあり方を考えてきました。そんなとき、これからの超高齢社会に向け、在宅医療の基盤をしっかり作るべきと説く武藤医師に引かれ、ともに活動を開始。まずは在宅医療診療所「祐ホームクリニック」(東京都文京区)の立ち上げを行いました。そして、開業後に訪問した高齢者のお宅で大きな衝撃を受けたのです。

80代のご夫婦の二人暮らし。夫は脳梗塞を起こし寝たきり、妻も軽度の認知症を発症し、近くに知り合いもなく、情報に疎く行動する気力も体力もない。都会の真ん中で完全に孤立して暮らす夫婦。そんな高齢者が、あちこちに存在している現実に愕然としました。このままではこれが日本の未来図になってしまう! いま手を打たなければ。

そう思ったとき、改めて気づいたのは医療だけでは救えないということ。医療も介護も必要。でも、それでも一部のサポートにすぎない。生活全体を支える仕組みが必要だ―。そんな想いが、“医療や介護をコアに、地域コミュニティや社会のさまざまな民間サービスをつなぐ新たな社会システムを創る”という構想が生まれました。

構想の実現に向けて動き始めた矢先、東日本大震災が発生。石巻へ支援に向かった私たちが見たものは、買い物や通院もままならず、近所づきあいや支え合いもなくなり、外出することもなく孤立した高齢の方たちの姿。これは、日本の超高齢社会の縮図ではないかと思いました。ここで何かしなければ、超高齢社会に向けてなんてできっこない。その想いが武藤医師の「クリニックを開業しよう」との意志となりました。私はその実現のために翌月には本格的に石巻入りしました。
▲都内の「祐ホームクリニック」。ここを拠点に、文京区を中心に600名の患者さんの診療を担う。左が代表の武藤医師

まだ水の残る石巻を駆け回り、
施設づくりに奔走した3年前

私が石巻入りしたころは、まだ津波のあとであちこち冠水している状況でした。そんな中、最初のミッションは「避難所が閉鎖されるまでに診療所を開き、避難所を出た被災高齢者の受け皿になること」でした。猶予はたったの2カ月余り。

医師を探し、スタッフを集め、診療所を建てる。何もかもが失われたこの土地で、それは容易なことではありませんでした。声をかけた医師のほとんどが、自身も被災者で気力が奪われたまま。真剣に悩んで下さった先生も、最後にはこの土地を離れる決意をされました。

一方、診療所の建設も難航。ただでさえ困難な状況なのに、ここに地縁のない私たちは「信用」もない。当初は、「絶対に無理だ」と思いました。でも、投げ出すわけにいかない。とにかく“自分からはあきらめない”と決めて走り回りました。いくつかの企業からも人が石巻に集い、共に活動して下さるように。
そうした縁から診療所開設の土地が見つかり、協力してくださる建設会社にも出会えました。行政も力を貸してくださり、特例につぐ特例で建設許可が下り、開設の手はずが整ったのです。

同時に、在宅医療に欠かせない介護事業者や訪問介護ステーション、薬局や薬剤師等との連携にも取り組むうち、まだ在宅医療が浸透していなかったこの土地で「一緒にやりましょう」と言ってくれる方々とも巡り会えたのです。こうしてやっと「祐ホームクリニック石巻」が開業。最初の院長は、武藤医師が担い、その後1年は、国内外から駆けつけてくれた支援医師の力を借りて、24時間365日とぎれることのない、在宅医療体制をつなぐことができたのです。
▲現在の「祐ホームクリニック石巻」。都内にいる武藤医師も一緒に、朝のカンファレンスに参加。いまでは石巻に居住する日下医師が院長を担う。開設時の院長を担当した武藤医師の背中を押したのは、東京のスタッフからの「自分たちがクリニックを守るから、行ってきて」との声だそう▲往診の準備をするスタッフたち。必要な医療機器をすべて車に詰め込んで。その日のスケジュールや患者の情報、必要な機器、訪問先への道案内まで、情報システムがサポートしてくれる

避難所の外にいた、知られていない「弱者」
壊れた家で暮らしをつないでいく高齢者たち

開業当初は、避難所や仮設住宅に暮らすお年寄りたちのケア、集団避難してきた高齢者施設の方々、さらに急性期病院から退院されるがんターミナルの方々など多くの依頼を受けました。地域に深く入るにつれ、仮設住宅に入居せずいまも壊れた家に住む方々がいることを知りました。「危険でも馴染んだ家にいたい」「近所は皆流された。情報はない」「1階はすべて流され、怖くて2階に引きこもっている」などと理由はさまざま。

そして、服薬が中断し、食料も乏しく、ひびが入った家屋の中で、冬を前にして、誰に助けを求めることもできずに寒さに震え、孤立していたのです。ここで見えてきたのも医療や介護だけでなく、生活全般をサポートする仕組みの必要性でした。そこで、まず協力してくれる仲間を募り、地域の家屋を一軒一軒訪ね、状況はどうか、必要な支援は何かのアセスメントを行っていきました。

その後、2年半をかけて、医療・福祉専門職による心身のケアや福祉的サポート、家屋の応急修理や公的支援を受けるためのサポートを行いました。現在では、その段階を過ぎ、地域コミュニティの復活といった“人と人をつなげる活動”に力を入れています。

また、調査で見えてきたのは、人とのつきあいが乏しく外出頻度が低い方が、もっとも生きる希望を失いやすいということ。膨大なアセスメントデータを分析すると、人が希望を失うのは家屋や職を失うことではなく、人とのつながりを失ったときだとわかりました。そこで人と人とをつなぎ、互いに支え合う地域づくりに力を注ぐようになったのです。

▲石巻市から委託を受け運営する「石巻医療圏 健康・生活復興協議会」では、平成 24 年12月までに、22,750世帯を訪問し、8,216 世帯のアセスメントを実行。在宅医療・介護のインフラづくりにも大きく貢献した

医療、介護、人とのつながり。
すべてをセットにした「地域づくり」を

「祐ホームクリニック石巻」には、医療スタッフ以外に、医療・介護連携の推進や地域づくりのアイデアを考え、プロジェクトを実行するマネジメントメンバーが活躍しています。彼らは、IT企業や金融企業などから転職してきた志あふれるメンバーたち。

いま議論しているのは、多職種連携によるチームケアのあり方。情報共有の際、ほんとうに必要な情報は何で、誰と共有すべきか、医療職と介護職が、互いのわかりやすい共通の用語で伝え合うために、どう工夫すればよいのか、そのための情報機器はどんなものがいいのかなど。

地域づくりの面では、地区に暮らす方々が集う「場づくり」にも力を入れていて、公民館で健康や趣味の講座を開いたり、引きこもりがちな男性向けの会を立ち上げるなどしています。このプロジェクトの目標は、初めは私たちがリードしても、いずれは、地域の方にリーダーになってもらうこと。意図を持って進めてきたので、初年度で5つもの自主活動グループが誕生。地域の人々の強い想いを肌で感じられ私たちも新しい学びを得ました。

診療所も、すでに地元石巻の人材を中心に運営されています。地域の方にバトンをつなぐ一方で、私たちは、さらに未来の超高齢社会に向けて、より良い社会インフラの構築に向けて動き出しています。「超高齢社会の地域コミュニティ・社会システムづくり」をテーマに、IT技術や生活支援サービスなども柔軟に取り入れて、高齢の方が生きにくさを味わう社会ではなく、どんな世代も受容する共生の社会を創っていきたいと考えています。▲地域コミュニティづくりのプロジェクトリーダーを務める塩澤耕平さん(右奥)、医療・介護連携プロジェクトを担当する飯田佳孝さん(右手前)、三好都子さん(理学療法士、左手前)▲ICT(情報通信技術)を活用し、在宅医療を中心に医療・介護ネットワークや、高齢者の健康・生活支援などの地域コミュニティづくりを行い、高齢者を支える包括的プラットフォーム構築を目指している

医療と深くつながれる新しい介護の形が、
若いスタッフの成長に火をつけています

▲ぱんぷきん介護センター 代表取締役社長 渡邊智仁さん。東日本大震災で6カ所の施設が被災。震災直後から、避難所や仮設住宅へのボランティアを通じてお年寄りへの支援を続けながら、石巻における高齢者サポートの仕組みを整え続けてきた
------------------------------------------------震災が起こる前から、高齢者の問題は、介護単体ではなく、医療や地域との確かなつながりがないといけないという危機感がありました。そして、園田さんたちの意見を聞き、すぐに意気投合しましたね。情報連携する中では、現場の実態に合わない仕組みでは意味がないと、かなり意見も言わせてもらいました。

この体制になって変化したのは、ヘルパー一人ひとりが、一人のお年寄りを多面的に見られるようになったという点。また、医療用語の理解や知識もより必要とされるので、介護職側にも成長が求められました。ただ、若いスタッフたちは、医療をはじめ新しい知識を得ることにも貪欲で、成長を楽しんでくれていると感じます。

まだ連携は始まったばかりで、改善すべきポイントも多々あると思いますが、こうした形で地域に役に立てるのが非常にうれしいです。

ヘルパーは家族の代弁者。看護師や医師にない視点からその人を見つめてくれる頼もしさ

▲石巻市医師会附属訪問看護ステーション 所長 阿部朋美さん(右)。情報入力の負担がなるべく少なくなるよう、看護ステーションからFAXすれば、必要な情報が入力される仕組みを整備した。2年間の実証実験を経て、本格導入はこれから。それぞれの現場にふさわしいICT導入の方法は、まだまだ模索中だ
------------------------------------------------訪問看護ステーションは、これまでも医師と連携してきましたが、このシステムを使ってみて、情報連携がよりスムーズになると感じています。これまでは気になることがあっても、先生が忙しい時間帯だと思うと連絡するのを遠慮したりして、共有できる情報量が少なかった。

でもいまは、情報を入力さえすれば、把握してもらえる。以前より、一人の患者さんに関する情報が豊富になりましたね。また、介護職との連携も高まりました。頼もしいのは、私たち医療スタッフは、つい病気そのものに目が行きますが、介護職は、患者さんを丸ごと見ているから、「他の場所も痛そうにしています」とか「これが、普段のペースです」といった助言も。

治療方針についても、ご家族に近い立場から意見がもらえるので、非常に助かっています。こうした連携をどんどん高めていきたいですね。

在宅医療の現場で感じた、
医療だけでは「救えない」という想い

▲祐ホームクリニック 理事長 武藤真祐さん(左)。循環器内科、救急医療に従事後、経営コンサルタントを経て、日本の超高齢社会の課題を解決したいと、在宅医療を中心としたプラットフォームづくりに関わる
------------------------------------------------超高齢社会に人を救う仕組みが必要だと考えて、在宅医療を始めましたが、実際に高齢者のお宅を訪れると、とても医療だけでは救えないと。高齢者の暮らしそのものを見守る介護の役割がとても重要だと感じました。また、実際に活動する中で感じるのは、これまでの医師や看護師、介護職という役割からの脱却です。

病院の医師は、専門分野に分かれ病気さえ治せばいいのですが、在宅では、多彩な症状を見分け、その方の人生観といったものへの理解も必要です。在宅医療に「看取り」はつきもので、そのときに、本人や家族の価値観を知ることはとても重要。その点、介護職は、人間的なモノの見方に優れ、患者さんやご家族の想いに敏感です。

ですから、とても頼もしい存在である半面、医療と連携する上では、もっと医療スタッフに近い「知識」や「用語」への理解も必要だと感じます。また、プラットフォームづくりにおいてコミュニティは不可欠ですが、東京のような都市部は、そもそも地域のつながりが弱く、今後は、孤独死など超高齢社会の課題が噴出してくるでしょう。

そのときに備えて、医療や介護だけでなくコンビニなどの小売りや物流、住宅といった生活そのものに関わる企業との連携が必要です。そして、こうして生まれたモデルを全国へ広げていくことで、幸せな超高齢社会を迎えることができるのではないかと考えています。

【写真: 中村泰介】

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