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2013.09.29 UP

「暮らし」を丸ごと支える介護、 100年後を見据えた教育へ

現役ヘルパーとしての失敗談も、漫画『ヘルプマン!』も、広島国際大学で教壇に立つ八木裕子さんの手にかかれば立派な教材です。介護の専門性を「ご利用者さんがどうしたいか耳を傾け、その人のやり方に沿った介助をつくっていくこと」だと言う八木さん。100年後の教育を見据え、現場での実践を基に介護の理論化をめざしています。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

「失敗談」で盛り上がる授業

「昨日ね、先生こんな失敗したんよ〜」

毎週月曜日の授業は、いつもこんな言葉から始めていました。
教壇に立つかたわら、ホームヘルパーとして週末の訪問介護を続けて、約10年。
介護福祉士をめざす学生たちとって、私の体験談は、生きた教材です。

「八木先生、男の利用者さんに花柄のエプロンはやっぱきついわ」と笑う学生。そんな具体的事例をきっかけに、「食事介助になんでエプロンが必要なの?」と原点に立ち戻りながら、次第に介護技術や、その背景にある考え方へと広がっていきます。そして行き着く先は「どうしたら、利用者が望む暮らしを実現できるのか」という根本命題へ。

テキストだけでは学べないリアルな課題とともに、介護福祉士の仕事の奥深さが、自然と浮かび上がってくる時間です。

実践感覚とのズレを埋める

4年制の福祉系大学を卒業し、卒業と同時に福祉専門学校の教員になりました。「現場を知りたい」と、ホームヘルパーとして介護現場へ飛び込んだのは、ちょうど介護保険制度がスタートした2000年でした。以来月曜から金曜までは学生を指導し、週末はヘルパーとして働く。そんな生活を続けてきました。

私が今も介護現場にこだわるのは、教育内容と実践感覚とのズレが怖いから。

例えば、食事介助。食事介助でのスプーンの活用はよく見られる光景です。しかし現実にはそれを嫌がる利用者がいる。だから献立によっては、あえて箸を使ったり、レンゲを試してみたり。

一律に押しつけるのではなく、まず利用者の声を聞く。
「どうしたいですか?」。
利用者の障害状況を十分に踏まえた上で、その方の食習慣や価値観にそった介助のやり方を、一緒につくっていくわけです。

「ヘルプマン!」で介護を理論化

若い人にとって、高齢者の生活というのは、想像のつかない世界ですよね。そこで私の失敗談とともに、大いに活用しているのが、漫画「ヘルプマン!」。

例えば、2巻目を読んで「そこから何が読み取れるか」「登場する高齢者を見て何がわかるか」、ICFの視点から、すべて書きだしてもらうのです。

ICFというのは、国際的に研究されている生活機能分類法です。生活機能のプラス面の視点に立ち、さまざまなレベルと因子をつなげて、介護過程を分析していく最近できた思考過程です。学生がつくったアセスメント表やICFモデルを見ると、みんな実に詳細に読み込んでいる。それだけ「ヘルプマン!」に介護情報が詰まっているということでもあるのでしょうが、教育効果も高く、大変重宝しています。

想像力だけでなく、コミックを媒介にすることで、介護過程を理論化していく。
介護福祉教育にはさまざまなアプローチがあります。私自身それを楽しみながら、いろいろと試みているところです。

個別性の強い総合科学

ところで介護とは何でしょう? さまざまな捉え方があります。

私は、介護とは「利用者の生活と暮らしにきちんと密着し、生活場面の障害を改善しつつ、よりその人らしく生きることを支援する」と理解しています。
つまり主体となるのは、あくまでもサービスの利用者。非常に個別性の強い仕事といえます。

そのためか、看護や医療に比べ、日常的な生活を支えていく介護は専門性が見えにくい。言語化したり、皆が共通して認識できるような概念化が、難しいのです。

例えば在宅介護の場合、一人ひとり日常生活の状況が違います。移動、食事、排泄、入浴、コミュニケーション…。さらに家族関係、居住環境、経済状況、地域の様子等々、暮らしに関わる要因は数限りなくあります。その絡み合った糸を一つずつ解きほぐし、最適な援助技術とサービスを提供していくのが、介護福祉士の仕事。

介護福祉の実践とは、社会福祉の視点も併せもつ、総合科学の実践だと私は考えています。

アカデミズム×実践的スキル

介護は極めて個別性の強い分野です。

しかし今その障壁を乗り越え、理論化へ向けたさまざまな取り込みが行われています。現場からアカデミズムへと、実践的知識やスキルがどんどん流れ込んできている。現在大学院の博士課程にも通っていますが、そこで介護現場の施設長やデイサービスの管理者など多くの現場の人たちと一緒に学んでいます。そんな光景を目の当たりにすると、介護福祉学の大きな可能性を感じますね。

今や高い専門性を確立している看護学ですが、そこに至るにはナイチンゲール以来150年の歴史がありました。
かたや介護福祉士の場合、国家資格がスタートしてまだ23年。

私たちの専門性の確立は、これからです。
国家資格として定着し、プロとしての専門性が深まり、学問体系としても確立していく。
例えば100年後、介護福祉士のステータスが隣接領域を上回っているかもしれない……。
そんなことを想像するとワクワクしてきますね。

世界をリードする意気込みで

介護福祉士のステータスという面では、最近驚かされたことがあります。

先日米国で開かれた学会に参加したときのこと。会う人誰もが、「日本の介護福祉教育はどうなっているのか?」と、盛んに聞かれました。日本は世界一の長寿国です。そこでどんな介護福祉が行われているのか、皆さん非常に興味をもっている。中国視察のときも、そうでした。中国では高齢者人口が急速に増えており、強い危機感がある。だから高齢者先進国の日本が、どう対応しているのか知りたいのですね。

日本独特のきめ細かな介護サービスや、利用者主体の考え方もすでに認識されており、日本から学ぼうという意欲を強く感じました。日本の長寿社会は、知恵と努力によって成し遂げられた、いわば“芸術品”です。そこで生きる高齢者は、ある意味“最先端”の方々。

そのケアを担う私たちは、世界から注目されているというプライドをもって、真剣に取り組むべきだ、と改めて思い知らされましたね。

新たな発見がある喜び

今こうして学生を指導する立場にありますが、自分が学生だった頃を振り返ると、なんだか不思議な気持ちになります。なぜ今介護についてやっているんだろうと(笑)。

もともと児童福祉に興味があり、進んだ大学でした。
しかし実習先での高齢者との出会いが、将来を変えた。当時、3K(きつい、汚い、臭い)のイメージがあった高齢者介護。
その先入観が、老人ホームでの実習や、デイサービスでのアルバイトで見事に覆されたのです。

認知症で徘徊する人や何度も同じことを繰り返す高齢者と直に接しても、その現実が怖いというより、別の世界に来たようで、「なぜ?どうして?」と興味を持ったんですね。もっと勉強したいと。人生経験豊富な高齢者と接するたびに、新たな発見があり、自分の人生も豊かになります。これは学生にも、よくいうことです。

二人三脚でつくる介護

それともう一つ。学生に繰り返し伝える言葉があります。それは「生活人としてのセンスを磨きなさい」ということ。

もちろん介護のプロとしての知識と技術は大事です。しかし、それだけでは対応できない「情報」が現場にはいっぱいある。利用者の生きてきた歴史もその一つだし、その方が望むだろう生活リズムもそう。経験知や世間知といったものを含む、生活者としてのセンスが、介護福祉士には決定的に重要なのですね。

私たちが関わるのは、いろいろな人生経験を積んだ方ばかり。大げさにいえば、介護とは人間そのものを理解しようとすることなのかもしれません。医療や看護の関与は、利用者の暮らしの中では、ある意味限られた時間点にしか過ぎません。

しかし私たち介護福祉士は、24時間・365日の暮らしを丸ごと考え、支えていくのが仕事です。
その方と文字通り”二人三脚”で、納得できる暮らしをつくっていく。これが介護福祉士のだいご味であり、面白さだと思いますね。

「生きていてよかった」といえる社会へ

今後の課題としては、やはり介護保険サービスのブラッシュアップでしょうか。
そのためにも高齢者やその家族に、もっと介護サービスを使ってもらいたい。
制度やサービスを積極的に利用する中から、課題や問題点も見えてくる。

ヘルパーを活用したり、デイサービスを使うのに負い目を感じる社会はおかしいですよ。

実は逆で、積極的に使っていただき、そして一緒に改善していきながら、長寿社会・日本の新たなスタイルがつくれるはずなんです。
誰でもいつかは必ず高齢者となります。介護される側になります。

看取りの際に、「生きていてよかった」「幸せだった」といえる社会。
介護福祉士は、その最期の演出を担う、やりがいのある仕事です。

ナイチンゲールの伝でいけば、100年後の介護福祉士のために、今の私たちが頑張る。
私自身も、介護の実践のなかから「介護とは何か」を研究していきながら、もっと優れた教育システムを確立していきたいですね。

【写真: 山田 彰一】

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