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2024.05.31 UP

「ケア×アート」をテーマに、多様な人々が共生できる社会の実現を目指す/東京藝術大学 履修証明プログラム「DOOR」

東京藝術大学では、「多様な人々が共生できる社会」を支える人材の育成を目指し、「Diversity on the Arts Project (通称:DOOR)」を運営しています。社会人と東京藝術大学学生が1年間かけてカリキュラムを学び、履修証明書が発行されるプログラムです。講師は、現代の社会に生きづらさを感じている当事者、社会と関わりを持って表現を行うアーティスト、現代の福祉をより広い視点で捉え直す多様な分野の専門家が務めています。

東京藝術大学の伊藤達矢さん、田中一平さんに、ケアとアートを組み合わせた意味、カリキュラムの内容、受講生・修了生の活動などについて伺いました。

●伊藤達矢さん(写真左)
東京藝術大学 社会連携センター 副センター長/教授
芸術未来研究場 ケア&コミュニケーション領域長

●田中一平さん(写真右)
東京藝術大学 芸術未来研究場 ケア&コミュニケーション領域 共創拠点推進機構 特任講師

「福祉」も「アート」も、人が生きるためになくてはならないもの

―― プロジェクトの概要について教えてください。

伊藤達矢さん(以下、伊藤) 正式名称は「Diversity on the Arts Project」で、「ドアを開く」こととかけて「DOOR」を愛称としています。「ケア×アート」をテーマに「多様な人々が共生できる社会」を支える人材を育成することを目指し、2017年からスタートした履修証明プログラムです。履修証明プログラムとは、社会人とその大学に在学する学生を対象に大学が体系だった学習プログラムを提供する仕組みであり、年間60時間の受講で履修証明書を取得できます。東京藝術大学の学生は教養科目として履修し、単位として認定されます。

―― なぜ、ケアとアートを掛け合わせる発想が生まれたのでしょうか。

伊藤 「福祉」と「アート」は、一見かけ離れているように見えますが、「人が生きるためになくてはならないもの」という点において共通しています。ここで言う「アート」は、絵画や彫刻などの作品として制作したものに限りません。例えば、日常生活で食事を美しく盛り付けようとするのも、ファッションで自分を演出するのも、誰の中にでもあるアート=「創造性」です。

人はどんな苦境にあっても、創造性を完全に忘れることはありません。創造性に小さな喜びや希望を見いだし、自己と向き合い、時に他者と共有することで、人は人らしくあり続けることができ、生きようとする思いも強くできると考えています。東京藝術大学では、芸術が持つ価値や意義をさまざまな人々と共に育むことで、人が創造力を持って生きる社会を作ることを目指しています。

▲東京藝術大学内にあるスペース「イノベーション共創空間」。「ケア×アート」をキーに企業や藝大生などさまざまな人が集まる

また、DOORにおける「福祉」とは、生活の中で人が幸せに生きるために必要な取り組みや考え方全てを含みます。誰もが多かれ少なかれ困難や生きにくさを抱えている中、人が幸せに生きるためにお互いに支え合い、お互いの存在を認め合い、誰もがそこに存在し続けるために必要な所作を「福祉」と捉えています。

これからの社会は、異なった世代や文化的背景を持つ人々が「共生」できる社会でなくてはなりません。とすると、福祉は人が弱ったときだけでなく、日常にこそ必要なものなのではないでしょうか。共生社会を実現させるため、創造性(アート)とそれが生きる環境づくりが重要であると考えています。

DOORプログラムでは「多様な人々が共生できる社会を支える人材の育成」を目指していますが、受講した人が育つだけでなく、その人たちを介してその人たちの周辺も育てていけるような関係性を築きたいと思います。それが広がり、社会を育てることにつながっていく未来を描いています。

 

思考を柔軟にし、世界の見方を変える

―― カリキュラムの作成・実践においては、どのようなことを大切にしていますか。

田中一平さん(以下、田中) DOORの講義で取り上げるテーマは「障がい」「貧困」「多文化共生」「LGBTQ+」「引きこもり」など多岐にわたっています。講師陣も、アーティスト、障がいのある方、生きづらさを感じている(いた)当事者など多様です。

ダイバーシティをテーマとする必修科目では、「当事者との対話」に重きを置いています。例えば、先天的に目が見えず耳も聞こえない方がゲストとして登壇した際には、「音も光もない世界で生きている人が世界をどう認識しているか」を聞いた受講生が、価値観を揺さぶられているようでした。

講師がベッドの上からオンラインで行う講義もあります。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)当事者の真下貴久さんに毎年登壇いただいており、ALS当事者の立場から、「人との出会い、つながりは、病気を乗り越えることができる」との思いを持って、講師を引き受けてくださっているのです。受講生からの質問に対し、目の動きで文字入力するソフトを使って答えるため、一問一答に5分ほどの時間がかかりますが、それが「コミュニケーションとは何か」を考えさせられる時間となっています。

ダイバーシティの範囲は広く、「戦場」をテーマに戦場カメラマンを講師に招いたり、冒険家や法律家の方にも登壇いただいたりしています。一貫して大切にしているのは、思考を柔軟にすることです。芸術や美術が持つ既存の価値観を疑ってみる、更新していく。理論を学ぶと思っていた受講生の皆さんは「想像と違う」と驚きますが、プログラムが進むにつれて、「世界の見方をいかに変えるか」というところにアートの要素があることを感じてもらっています。

▲真下貴久さんがDOORの展示会に来校。当時の受講生と一緒に歓談の時間(2019年) (写真:東京藝術大学 提供)

―― 人気があるカリキュラムの一例を教えてください。

伊藤 「人体デッサン」というカリキュラムがあります。4時間ほど人の身体を見続けて、木炭でデッサンをします。見慣れているつもりの身体も、いざ描こうとすると腕がどこからついているのか、骨盤はどのあたりなのかなど、意外に分からないものだと気付くでしょう。「人物デッサン」はモデルさんが持つ雰囲気を表現することも大事ですが、人体デッサンでは「ケア」の視点から、人体の構造を観察し、理解を深めることを目指します。

「ワークショップ ブレインストーミング」は、個々人の趣味や経験を重ね合わせ、「ケア×アート」の活動アイデアを議論するものです。昨年度は「孤独・孤立の文化的処方」をテーマに、各テーブル4~5人のチームを作り、アイデアを出しました。付箋に各自の「好きなこと」「得意なこと」「すべきこと」を書き、チーム内で組み合わせ、プログラムのアイデアを作るのです。次に、テーブルにホスト役が1人残り、それ以外の人はテーブルを自由に移動。意見を交換し合うことでアイデアに磨きをかけ、各チームがひとつのアイデアを完成させ、最後に投票を行います。

(写真:東京藝術大学 提供)

「社会課題」というと非常に大きなものと感じ、「自分が手を出せることではない」と思いがちです。しかし、自分が好きなことや得意なことの延長線上で課題へのアプローチを考えてみる、そして同じ課題意識を持つ誰かと一緒に考えることで、意識に変化がもたらされると思います。

ほか、東京藝術大学長である日比野克彦が手がける取り組みに、公益財団法人日本サッカー協会との連携 活動があり、その中で「センサリールーム」の企画があります。センサリールームとは、騒音・強い光・人混みを苦手とする自閉スペクトラム症や感覚過敏の症状がある子どもでも、スタジアム内で安心してスポーツを観戦できる空間。そのデザインを考えるプログラムです。

 

受講生の価値観が変化。修了後、新たなつながりが生まれ、広がる

―― 受講生はどのような方々ですか。どんな目的で受講し、どんな反応があるのでしょうか。

田中 受講生の職業としては、介護士、保育士、看護師、医師など、教育・医療・福祉分野の方々が多いですね。「明確な理論はあるけれど、現場で人と接するときには必ずしもそのとおりにならない。感性を磨く必要性を感じ、アートと組み合わせたプログラムに興味を持った」という声をよく聞きます。福祉現場に40年間携わっている方は、自身のモチベーション維持に悩みを抱いて受講した結果、「原点に返ることができた」と語っていました。

事業会社の人事・採用担当者や行政機関に勤務する方が、多種多様な人と接するために学びに来るケースも見られます。金融業界で日々数字に向き合っている方からは、DOORプログラムを通じて「価値観が変わる学びを得られた」という感想をいただきました。修了生インタビューで「以前より、自分の感覚に素直でいようと感じるようになった」と答えている方もいらっしゃいます。

また、東京藝術大学のデザイン科のある学生は、DOOR履修を機にケアワークへの興味を強め、卒業後に福祉施設に就職しました。

伊藤 最初は「ケア×アートって面白そうだな」くらいの興味で受講した人も、さまざまな人と出会ったり話したりする中で、自分の価値観が揺さぶられ、変化が生まれるんです。人との出会い方がクリエイティブになる、という感覚を抱いているのではないでしょうか。

―― 受講生や修了生が自主的に活動しているそうですね。

田中 受講生が自主的に企画を立ち上げ、テーマに基づいた制作や展示を行うこともあります。また、修了生有志による「NEXT DOOR」(https://door.geidai.ac.jp/graduates/next-door/)という活動では、講演会・交流会・勉強会など、新たなつながりや学びの機会を生み出しています。DOORの修了生なら誰でも参加でき、期をまたいだつながりが広がっています。

ある期のプログラムでは、法務省の方がゲスト講師として登壇し、受刑者の出所後のケアや再犯防止のお話をされました。そこで、「刑務所内作業にクリエイティブ要素を入れる」というアイデアが出てきたんです。受講生の中にアパレルの仕事をしている方がいて、修了後、法務省と連携し、受刑者がファッション小物 類を作製する過程で縫製の技術と感性を身につけて、社会復帰の際の一助となる活動を展開されています(みとびらプロジェクト:https://door.geidai.ac.jp/graduate/door5_mirobira_01/)。

DOORの考え方や取り組みが浸透するにつれ、共通の問題意識を持つ人とつながったり協働したりすることに価値を感じて参加する方も多くなっています。

伊藤 2021年、東京藝術大学を代表機関として「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」が産学官連携で始動しました(2021~2022年度育成型、2023年度から本格型に昇格)。さまざまな専門機関・企業・自治体が共同で、超高齢社会の孤独・孤立の解決に取り組むものです。「芸術」×「福祉」×「テクノロジー」の融合により、「個々人の尊厳が認められ、誰もが生涯を通して社会に参加でき、生きがいと創造性を持って生活できる共生社会」の実現をビジョンに掲げています。現在は、芸術研究機関・医療研究機関・海外連携研究機関・福祉セクター・テクノロジー企業・地域コミュティネットワーク・自治体・市民協働NPOなど、41団体が参加しています。

掲げた理念は、「文化」にしていくことが大切です。共創拠点は、企業・研究者・アーティストといった専門家たちで構成されますが、一部の人たちで考えて実践するだけでは、文化として広げていくことにはつながりにくいと思います。社会実装に向けて、毛細血管を張り巡らせなければなりません。理念や活動をじわじわと浸透させてくれる存在として、DOORの受講生・修了生に期待を寄せています。

*DOOR履修証明プログラムについて
毎年12月半ばに告知して受講希望者を募り、4月から翌年3月までの1年間学び、3月に修了。社会人受講生の約3割は、全国各地からオンラインで受講しています。2023年度(7期)は社会人125人、藝大生50人が履修しました。この4月からは8期目がスタートしています。詳細を知りたい方は、Diversity on the Arts Project (通称:DOOR)のサイトをご覧ください。https://door.geidai.ac.jp/

【文: 青木 典子 写真: 平山諭、トップ写真:東京藝術大学 提供】

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