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2017.11.07 UP

質の高い介護サービスと業務の改善を目指し 職員の経営意識を高める「アメーバ経営」導入

介護報酬の引き下げが続く中、制度に守られてきた社会福祉法人の意識も変わりつつある。日本航空をはじめ、約700社に導入されている経営システム「アメーバ経営」に取り組む法人が増えてきたのも、その表れだ。社会福祉法人平心会では、2015年から「アメーバ経営」を導入。組織風土や業績の改善などの成果が得られている。その取り組みを、同法人常務理事・統括施設長の松川茂雄さん、理事・経営管理部部長の田原謙一さん、理事・企画推進部/在宅サービス部部長の米澤成浩さんに伺った。

下がる介護報酬。悪化する経営環境。
改革なしでは生き残れないという危機感

平心会は、1997年、東京都小平市に開設した職員数約50人の特別養護老人ホームからスタートした社会福祉法人だ。設立から20年を経て、拠点は7箇所に増え、職員数は250人を超えている。法人の規模が大きくなるにつれ、各部署の状況をリアルタイムで把握するのが難しくなったと松川茂雄さんは言う。

「現場の動きは見えにくくなり、一方、介護報酬はどんどん下がって経営環境は厳しくなっていく。業績に問題はありませんでしたが、理事長も私も、このままでいいのか、何か改革を行わなくては、今後、生き残れないのではないかという危機感がありました」

そこで、理事長の内藤義博さんが提案したのが、京セラの創業者、稲盛和夫さんが考案した「アメーバ経営」の導入だった。内藤さんは、もともと稲盛さんが塾長を務める経営塾「盛和塾*1」で経営のあり方を学んでいた。2011年には、全職員での経営哲学の共有・実現を大切にする稲盛さんにならい、「ご利用者・ご家族と全職員の幸せを実現する」という経営理念をもとにした価値観・思考をまとめたクレドカードを策定。そのクレドカードを全職員に配布し、勉強会を始めたものの、職員にはなかなか浸透しなかった。

理念を全職員で共有、実現していくと同時に、現場の運営と経営のバランスをとれる“人財”を育成したい。「アメーバ経営」は目的ではなく手段。目的は経営理念を実現すること――。内藤さんはそんな思いから、「アメーバ経営」の導入を提案したという。

*1 盛和塾…もともとは1983年に、稲盛さんから人としての生き方「人生哲学」と経営者としての心の持ち方「経営哲学」を学びたいと求めて、京都の若手経営者が立ち上げた自主勉強会。2016年末現在、国内外合わせて96塾で11,026人が学ぶ

▲2011年に全職員に配布した「クレドカード」。クレド浸透のため、毎月、理事長の内藤さん自らが各部署を回り、「クレド勉強会」を開催している

1時間当り、どれだけの付加価値を
生み出せているかで各部署を評価

「アメーバ経営」では、組織を10人以下程度の小規模な部署に分けて、部署ごとの独立採算制をとる。各部署を評価する指標は、売上や収益の大きさではなく、部署単位で算出する「時間当りの付加価値」だ。「時間当り付加価値」とは、各部署の売上から経費を除いた収益をその部署全体の総労働時間で割った数値だ。売上や経費の項目は、各部署が運用しやすいように設定されており、これを毎日~数日単位で算出する。この数値を見れば、部署ごとの努力が、1時間当りどれだけの付加価値を生んでいるかが分かる。部署によって異なる職員数や売上高に左右されることのない、法人内での統一された経営指標である。職員も、この数値を確認することで、自部署の生産性に意識を向けるようになる。全員参加経営にもつながっていくというわけだ。

一般に、福祉を学んできた人は、サービスの質の向上には積極的に取り組む一方で、採算や経営には目が向きにくい人が多いといわれている。中には、売上の追求を話題にすることすら嫌がる人もいる。

「『アメーバ経営』で大切なのは売上の追求ではなく、職員一人ひとりが経営的な視点で時間当りの採算性の向上を考えることです。今後さらに介護保険サービスの縮小が進んでいく中、社会福祉法人もサービスの質の向上と経営効率の両方を考えていく必要があります。『アメーバ経営』なら、それができる人材を育成していける。それが、導入の大きな目的のひとつでした」(松川さん)

▲「サービスの質の向上に熱心なのはいい。しかし、それにいくらかかるか、無関心では困る」と松川さん

介護とお金を結び付けることへの
抵抗感から、一定数の退職者も

しかし、「アメーバ経営」の導入を理事会に諮ったとき、すんなり全員が賛成というわけにはいかなかった。導入時期の2015年4月は、ちょうど介護報酬が下がったタイミング。多額の費用をかけて、本当に成功するのか。そんな声が上がった。まだ介護業界で「アメーバ経営」を導入している法人が少なかったころである。導入の決断に勇気が必要だったことは十分想像できる。

「それでも、うちは迷うくらいならやってみようと考える法人なんです。幹部職員みんなで理事たちを説得すると、最後は理事長の強い思いを汲んで導入を認めてくれました」(松川さん)

導入にあたっては、パート職員も含め、全部門の職員全員に対して研修を行った。シフト勤務のため、全職員に受講してもらうにはひとつの部門で複数回実施することになる。10数回に及んだ研修での職員たちの反応は、決して好意的ではなかった。

「人は誰でも変化を嫌い、現状を維持したいと考えるものです。新しい取り組みへの抵抗感は大きかったと思います。それに、やはり介護とお金を結び付けることへの拒否反応もありました」と、米澤成浩さんは当時を振り返る。

導入後、しばらくすると、退職者が出るようになった。退職理由のすべてが把握されているわけではない。しかし、一定数の退職者が出た背景に「アメーバ経営」の導入があったことは間違いなかった。

「もともと、退職者が出ることは覚悟していました。しかしその数は、事前に想定していたよりは少ない数でした」と田原謙一さんは言う。

なぜ退職者は想定ほど出なかったのだろうか。

▲「『アメーバ経営』導入後、退職した職員は思ったより少なかった」と田原さん

横の交流が生まれ、本音の会話から
サービスが改善し、業績アップへ

「一番には、『アメーバ経営』の導入によって、それまでのやり方が改善された手応えを感じる人が多かったということでしょうね」(松川さん)

平心会では、導入に伴って組織改編が行われ、「施設サービス部」「在宅サービス部」など、新たにサービスごとの「部」が作られた。そして、部ごとの会議や各部門横断でリーダークラスが集まるミーティングが定期的に開かれるようになった。

これにより、情報の流れが一気によくなった。例えばデイサービスでは、利用者数が伸びている拠点のサービス内容を共有し、他の拠点でも取り入れるようになった。また、もっとデイサービスに利用者を紹介してほしいという要望を受けたケアマネジャーが、「それなら、もっとこんなサービスを提供してほしい」と、具体的な要望を伝えることもあった。

「会議では、結構、辛辣なやりとりもあります。それでも本音で話をすることで、サービスが改善されるようになった。いい意味での競争が生まれて、サービスの質が向上し、ご利用者も増えて拠点の成績も上がっていったんです。リーダークラスの職員に、こんなふうにやっていけばいいのか、という手応えを感じる人が増えてきていますね」(松川さん)

経営的視点を持つことは、決してお金のことだけを考えるわけではない。職員たちは、創意工夫により、顧客の満足度を高め、業績を上げることの面白さに気付いていったのだ。

▲部ごとの会議で、直接、顔を合わせて話す機会が増え、情報共有のスピード化も進んだ。「会議の資料はすべてタブレット端末で見られるようになり、格段に業務効率がよくなりました」と、小平健成苑 健成苑はなこがねい施設長の竹花憲司さん(左)は言う

報告と叱咤激励の場だった会議を
職員同士の自由な意見交換の場へ

会議のやり方も変えた。それまで、リーダークラスを集めた会議は、理事長などに業績を報告し、叱咤激励を受ける場となっていた。出席者が自由な発言ができるムードではない。

「ここを、部署同士で意見交換する場にしたい。理事長や幹部への報告の場ではなく、みんなで学び合い、みんなでよくなっていくための場にしたいと伝えたんです」(松川さん)

それでも、最初から活発な意見交換が行われたわけではない。出席する職員が積極的に意見を交わすようになっていったのは、他拠点の職員と顔を合わせる機会が増え、気心が知れてからだと、米澤さんは言う。

「僕の場合でいえば、デイサービスのリーダー同士で頻繁に顔を合わせるようになって、だんだん垣根がなくなっていったんですね。『この日はちょっと職員が足りなくて』と言えば、『じゃあ、うちから何人か派遣しよう』とか、『今度一緒に営業に回ってみよう』とか。そんなやりとりが自然とできるようになり、一気に横の連携が密になりました」(米澤さん)

▲「『アメーバ経営』導入前は、1対1の『縦』の報告ラインしかなく、横のつながりが薄かったんです。導入によって、現場間で連携しやすくなりました」と米澤さん

リーダークラスの職員の意識変革で
法人全体の利益率が着実に改善

こうした取り組みを重ねていくと、次第にリーダークラスの職員から新たな提案が生まれ始めた。以前は、提案前に諦めてしまいがちだった高価な業務改善のツール。しかしいまは、部門ごとに作成している採算表に基づき、ツールの導入の可否について具体的な検討を行うようになった。現在の売上はいくらか。ツールの導入で労働時間はどれくらい短縮できるか。だとすれば、何年で元がとれるのか。理論的な根拠を持って提案をするようになったのだ。

情報共有のためのグループウェア*2やタブレット端末。イヤホンとマイクによって、ハンズフリーで同時に複数の職員でやりとりできるインカム。こうしたツールが、採算性を検討した上で職員から提案され、導入された。

「例えばインカムは、入浴介助で人手が足りないときなど、浴室からマイクで呼び掛ければすぐに駆けつけてもらえます。夜勤帯、慣れない新人が対応に困ったときも、マイクで聞けば誰かが答えることができます。導入効果で、一人1日30分労働時間の削減が可能だと試算できました。だとすると約500万円をかけてもすぐに元がとれる。それなら導入しようということになりました」(松川さん)

リーダークラスの職員が経営効率を意識して動くようになったことで、法人全体の業績は着実に改善している。「アメーバ経営」導入前年の2014年に5.6%だった経常利益率は、2015年度9.1%に。2016年度は8.4%だったが、新規グループホーム開設費を除けば9.7%に改善している。

*2 グループウェア…組織の中で、情報やスケジュール、会議の資料などを共有し、業務の効率化、コミュニケーションの向上を図ることを目的としたソフトウェア

▲インカムの導入で、イヤホンとピンマイクを身につけることにより、「人を探し回ることなく一斉に情報を伝達できるようになりました」と、小平健成苑の田澤和希さん

経営効率への意識と人間性の向上。
その両輪で法人としての成長を目指す

一方、グループウェアやインカムの導入によって効率化できた時間については、サービスの充実に振り向けることが意識づけられた。部門ごとに作る採算表には、「サービスの質の向上」という項目が設定されているのだ。

「月例の会議で改善の指摘を受けたら、翌月必ずその結果を報告します。課題を置き去りにしなくなったことで、各部署のサービスの水準は確実に上がってきていると思います」(田原さん)

「アメーバ経営」を導入して2年半。リーダークラスの職員の意識が変わり、業績の改善、サービスの質の向上という一定の成果は得られている。これからは一般職員にいかに浸透させていくかが課題になる。

「『アメーバ経営』は経営効率への意識と共に、クレドに基づく人間性の向上が両輪となっています。われわれが人間として成長し、それが法人としての成長につながるのを職員一人ひとりが実感できることが、最終的なゴールです。そのためには、ひたすら地道な作業を続けていくしかないと思っています」(田原さん)

介護業界には、福祉とお金を結び付けて考えることに抵抗感を持つ人が多い。しかし、福祉を特別視せず、経営的視点を取り入れることは重要だと、松川さん、田原さん、米澤さんは口をそろえる。

「福祉で大切なのは、質の高いサービスを安定して提供し続ける継続性です。財源が不足し、介護報酬が引き下げられる中で、サービスを維持していくことを考えたとき、どうしてもお金の話は避けては通れません。だからこそ、経営やお金に強い体質を作っていく。それがむしろ社会福祉法人に求められている責任だと考えています」

介護・福祉業界に一貫して携わってきたからこそあえて言いたいと、田原さんがこう締めくくった。

 

【文: 宮下公美子 写真: 刑部友康】

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