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ヘルプマン

2015.10.16 UP

誰もが学べ、実践できるユマニチュード。 5つのステップで患者の心に近づく

高齢者、とりわけ認知症の人に有効だとされるケアメソッド「ユマニチュード」。「ケアをする人とは何か」「人とは何か」を問う哲学と、言語・非言語によるコミュニケーション技法に基づいた、立位補助、食事介助、清拭、入浴、更衣などの実践的な技術で構成されたフランス生まれのメソッドです。すでに10カ国の医療・介護施設で導入されており、その効果は、ときに劇的であることから“奇跡”“魔法”と称されることも。さまざまな困難に直面している高齢者ケアに光を与えるだけでなく、ケアする人のバーンアウトを防ぐなど、ケアを受ける人、行う人双方に“明らかな変化”をもたらすとして注目を集めています。

あなたは本当に「見て」いますか。
〈見る・話す・触れる・立つ〉を具体的な技術に

取材にあたって、ジネストさんが日本で初めてユマニチュードを用いてケアをした際の映像を見せていただいた。

普段、何も反応がない、何も理解しないとされる認知症の患者さんに、ジネストさんは、息づかいを感じられるほどの距離で相手に語りかけ、視線を捉える。そして、まるで実況中継をするように絶えず話しかけながら、清拭のケアを行う。すると驚くことに、わずかな時間で患者さんに反応と発語が見られたのである。

こうして実際の映像を目の当たりにすると、確かに「魔法のようだ」と言いたくなる。しかし、「ユマニチュードは決して魔法などではなく、誰もが学べ、実践できる具体的な技術なのです」と本田先生は説明する。〈見る〉〈話す〉〈触れる〉〈立つ〉を4つの柱とするユマニチュードのケア技術は150以上におよぶが、どれも特別なものではなく、日常ケアのなかで使える極めて実践的な技術だ。

「一見、当たり前のことに思えるかもしれません。でも、『見る』ということが、実際にはどれほど難しいか。ただなんとなく患者さんの顔を見るのと、患者さんの視野に入って相手からも見てもらい、アイコンタクトを得るのとは違いますし、腕を取るにしても『触れる』と『つかむ』は違います。

私たちが行うケアの全ての動きには相手に対する言語的・非言語的なメッセージが含まれているのですが、これらの行為を意識的に正しく実践している場面は、実は少ないのではないでしょうか。ユマニチュードは、これらを、誰でもが再現できるよう体系化したものなのです」▲「フランス語も分からない、ケアについても素人である私が、教わったポイントに従って実際にケアをしてみると、患者さんの体をとてもうまく拭くことができ、その有効性を実感した」と本田先生

「生きているものは動く」。
体育教師としての思想と現場経験から生まれた

ユマニチュードは、ジネストさんらが、ケアをするのが難しい患者さんを対象にケアを実践してきた、36年間におよぶ生きた経験が土台になっている。ジネストさんに聞いた。

「もともと私は体育学の教師で、看護師でも介護職でもありません。つまり、バックグラウンドがまったく違っていて、『生きているものは動く。動くものは生きる』という思想があります。ですから、この世界に入ったとき、大変なカルチャーショックを受けたのです。例えば、ベッド上で行われている清拭や、ケアを目的とした拘束などといった“不動”は、人の健康を退化させるのに、と」

ユマニチュードの特徴は、「最期の日まで人間らしい存在であり続けることを支える」という哲学と、それに基づいたテクニックにある。「新たなメソッドを確立できたのは、既成概念のないまっさらな状態で発想してきたから。そして、先立つ理論があったわけではなく、多くの失敗を経た現場の経験から生まれたメソッドだからこそ実践的なのです」とジネストさんは語る。

それでも当初は、日本でユマニチュードが機能するかどうか、疑問だったという。コミュニケーション手段ひとつとっても、ヨーロッパと日本では文化も習慣も大きく違うからだ。しかし、「日本にやって来て実際にケアをしてみると、自分の手を握ってくれる人、キスを返してくれる人は大変多く、日本でもユマニチュードは有効だと思えました。そして、ケアに取り組む日本の看護師や介護士たちの懸命な姿が感動的だったこと。そこにあるポテンシャルは大きいと感じたのです」▲「人は誰でも触れ合ったりすることが好きなのです」とジネストさん。赤ちゃんや恋人など自分が大切に思う人に対しては自然に行うこうしたコミュニケーションを高齢者に対してはなかなか使えないだけなのだと言う

「あなたは大切な存在です」。
優しさを伝える5つのステップ

ユマニチュードでは、前述した〈見る〉〈話す〉〈触れる〉〈立つ〉といった要素をバラバラに実践するのではなく、“話しかけながら相手に触れる”といったように、常に2つ以上の要素を組み合わせて行い、さらにケアの全てを「心をつかむ5つのステップ」という一連のシークエンス(一続きのもの)のもとに行っていく。本田先生が詳しく説明してくれた。

「5つのステップは、①出会いの準備、②ケアの準備、③知覚の連結、④感情の固定、⑤再会の約束、から構成されます。5つの段階のなかで、清拭などのいわゆるケアを実施するのは3番目のステップで、その前には、自分の存在を知らせる〈出会いの準備〉をし、ケアの後には、『きれいになって気持ちよかったですね』と語りかけるなどポジティブな感情を伝え、次回へとつなげる締めくくりをするのです。

この5つのステップは、例えていえば、私たちが食事に招かれて友人の家を訪れる時と同じです。考えてみてください。私たちは普段、誰かの部屋を訪れたときにいきなりドアを開けて家に上がり、すぐに食卓に直行してごはんを食べだしたりしませんよね。呼び鈴をならし、友人と挨拶をかわして、会話を楽しみます。これが①出会いの準備であり、②ケアの準備です。

その後、食卓に案内されて食事が始まります。ユマニチュードの5つのステップでは、これが③知覚の連結と呼ばれる部分にあたります。食事が終わったら、『今日は楽しかったですね』と振り返り、『また会いましょう』と別れを惜しむ。④感情の固定と、⑤再会の約束がこれにあたります。では、ケアの場面においてはどうでしょうか。私たちは、ドアをノックすることはあっても、相手の反応を待たずに布団をはがし、入室した数秒後にはおむつに手をかけてしまっていることはないでしょうか。これでは、コミュニケーションにおける重要な手順である①②をとばして、いきなり③のケア行為に入ってしまっています。

友人宅への訪問ではなく、職務行為なのだから当たり前だ、と思われるかもしれません。私も初めてこの5つのステップの話を聞いたときには、その意味が分かりませんでした。しかし、実際にこのステップを踏んだコミュニケーションを行うと、明らかに相手の反応が変わるという経験を重ねるについて、考えが変わりました。

ケアを行う人がどんなに優しい気持ちを持っていたとしても、その気持ちを相手が理解できるかたちで表現しなければ、相手に届きません。この5つのステップと〈見る〉〈話す〉など4つの柱は、相手に『あなたは大切な存在である』ということを伝え続けるための技術であり、たとえ認知機能が低下した人であっても、安心してケアを受け入れてくれるようになります」

なかには、「これまでもやってきた」「当たり前のこと」という向きもあるかもしれない。しかし感覚ではなく、ユマニチュードという明文化された技術を実践する看護師、介護士たちは、ケアの負荷軽減、ケアに対する拒否や認知症の行動心理症状(BPSD)が低減することを、確かに実感しているという。▲言葉にすることで安心感やポジティブな気持ちを伝えることがポイント。また、“アイコンタクトが成立したら2秒以内に話しかける”“話しかけながら相手に触れる”など、その技術はとても具体的だ

ケアを受ける人、ケアをする人。
双方を救う「正のスパイラル」

日本では現在、東京医療センターと福島県の郡山市医療介護病院が病院全体としてユマニチュードを取り入れている。導入前と導入後では、ケアの負荷が減っただけでなく、看護師たちの記録の付け方が変わったという。「以前は、“変化なし”のひと言だったものが、 “呼びかけにまぶたが動く”など細かな違いに目がいくようになり、患者さんからのメッセージをより鋭敏に受け取ることができるようになったことなどが、今年の認知症ケア学会で報告されています。

また、フランスの長期療養施設では、ユマニチュードを導入したことで、年間の医療費が4000万円近く削減できたという事例もあります。内訳としては、認知症の人への向精神薬使用が4割減、施設から急性期病院への搬送が6割減です。薬に頼らなくても『その人を穏やかにできている』ということによって、ケアの質向上や医療・介護の費用削減につながっているわけです。日本では、まだ実践し始めて3年なので、今は成果検証している段階ですが、今後はエビデンスも積み重ねられていくでしょう」(本田先生)さらに、ケアをする人にもよい変化が生まれると、本田先生は言う。
「一番大きいのはバーンアウトの問題です。患者さんにケアを拒否されたり、叫ばれたりしても、それは技術が十分ではなかったのであって、決してケアをする人の人間性を否定されたのではないのです。ユマニチュードはその視点を持てるので、『救われた』というスタッフは多い。そして、コミュニケーションが不可能だと思っていた患者さんに対してケアがスムーズにいくようになると、何よりうれしいですよね。仕事の満足感につながります。

実際に、日本の長期療養型の病院では、ユマニチュードを学んだ看護師・介護士のバーンアウトが、そうでない看護師と比べて減少したことが報告されました。また、パリ郊外の施設の認知症フロアでは、ユマニチュード導入前の4年間で職員全員が入れ替わっていたのに対して、ユマニチュード導入後の3年間では離職者がゼロとなったことが報告されています」

他方で、郡山市医療介護病院と静岡大学、東京医療センターとの共同で「ユマニチュードの評価」研究も行われ、技術の“見える化”も進んでいる。例えば〈見る〉技術について、ある職員の研修前後を比較したところ、アイコンタクトの時間が23.8倍に増加したというデータがある。ジネストさんによると、「映像ベースの評価システムで、ユマニチュードの効果を示した初めての例」で、こういった技術の分析がされていけば、ユマニチュードの技法をより確実に伝えていくことができるだろう。▲板橋区の介護関係者約100名が集まりジネストさんの講演が行われた。ユマニチュードへの関心の高さがうかがえる

特別な時間を必要としないユマニチュードは
日常のケアのなかで実践できる

ユマニチュードを導入する際のポイントはあるだろうか、本田先生に聞いた。「まずはじめに、『ユマニチュードは他のケアと何が違うのか?』という質問をよくいただくのですが、ユマニチュードは現在やっていらっしゃるケアを否定するものではありませんし、現在のケアと組み合わせて取り入れることができるものです。というのも、ユマニチュードは特別な時間を取らずに、日常のケアのプロセスのなかで実践できるものだからです。

また、導入をする場合には、組織的に取り組むことがポイントです。たとえば、患者さんとの会話は前述の『心をつかむ5つのステップ』において、ケアの大切な要素となっているのですが、ユマニチュードを知らない人から見ると、『のんびりおしゃべりばかりしてさぼっている』と誤解されてしまうこともある。一人だけでやろうとすると、孤立してしまう危険性があります。

施設であれば、ひとつの最小単位でモデルフロアを作る方法が有効です。アメリカで実施しているのは、スタッフ20名あたりに1人の割合で、施設内にユマニチュードのリーダーを育成しています。日本でも2015年から東京医療センターでリーダー育成研修プログラムを始め、全国から研修生を受け入れています」

高齢化が進み、これから爆発的な増加が見込まれる認知症患者に対するケアが模索されるなか、ユマニチュードが持つ有効性と可能性に対する期待は大きい。

最後に、ジネストさんはこんな言葉をくれた。「看護・介護は、他者との関わりを持つ、世界で最も素晴らしく美しい仕事です。その仕事にユマニチュードが役に立てば、こんなにうれしいことはありません」

【文: 内田丘子(TANK) 写真: 飯島裕、中村泰介】

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