ヘルプマン
宿泊は1泊800円、食事は3食で1,000円。これは、茶話本舗のデイサービス利用料金です。リーズナブルな価格のわけは、使われなくなった民家を再利用したこと。お友達の家に遊びに行くような感覚で利用できる環境で、“お泊まりもできるデイサービス”という新しいビジネスモデルを確立。急成長を続ける秘訣を、注目の若手経営者・藤田英明さんに聞きました。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

何のための介護保険制度か

日本には現在、特別養護老人ホーム(特養)への入所を希望しても満員で入れず自宅で待機している人が約40万人いると言われています。また特養に入れず、家族が介護する意志・能力がないために、特に治療する必要もないのに病院や老人保健施設を転々とする中で、充分なケアを受けられない「社会的入院」の状態にある高齢者が、約13万人いるとも言われています。

僕はこうした「社会的入院」状態の高齢者の存在が、この国の福祉政策の一番の問題だと考えています。

人生の最終段階(ステージ)で安らげる場さえ得られない状況に「こんな現実で何が国民のための介護保険制度なのか!」と憤りを覚えます。こうした人たちに柔軟に対応し、連泊も可能で、本人の状態に応じてご自宅に帰っていただくこともできるサービスを、と考えた結果が今のビジネスモデル「民家を活用した少人数の泊まりもできるデイサービス」の原点です。いわば病院と自宅の中間施設で、本人の自立回復を図り、将来は自宅に戻って暮らし続けていける介護を目指しています。
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なぜ「デイサービス」か

介護保険制度スタートの際、高齢者の在宅化を進める3本柱と言われたのが「訪問介護※1」「デイサービス※2」「ショートステイ※3」です。
ではなぜ日帰りのケアを行う「デイサービス」を選択したかというと、一つは単純に比較して時間当たりの報酬単価が高く参入しやすいということがありました。これはおそらく在宅を推進していこうという政策誘導的な意図があったのですが、2005年には制度の改正で小規模デイサービスをもっと評価しようということでさらに単価がアップし、経営への追い風となりました。また現実的な問題としてショートステイは民間事業者の場合、設置基準を満たす施設の実現が容易でないこと、訪問介護は自宅に人を招き入れるということが家族に抵抗感がある点がネックでした。

介護保険制度はサービスを自由に組み合わせる「混合介護」が認められていますから、デイサービスに極力安価の「ショートステイ」サービスを組み合わせて提供しようというのが僕の発想でした。

※1 訪問介護…ホームヘルパーなどが利用者の自宅を訪問し、日常生活が営めるように支援するサービス。ホームヘルプサービスともいう。
※2 デイサービス…利用者が日帰りで施設に通いながら入浴や食事などの介護、生活相談を受けるサービス。多くは送迎がつく。家族の日中の負担を軽減するのがねらい。
※3 ショートステイ…数日程度の短期間滞在で、生活や看護、リハビリなどを受けるサービス。主に特養や医療施設が併設することが多い。

「民家」「時間」「価格」が差別化ポイント

僕たちのビジネスモデルの特長の一つ目は「民家」つまり、古くなった戸建て住宅の活用です。
初期投資を抑えられることもありますが、一番の理由は戸建てのほうが明治~昭和初期に生まれた利用者の生活環境に近いから。世界観としてあたかも自分の生家やそのご近所の友達と一緒に暮らしている感じにしたかったのです。利用者の多くは認知症の方ですから、できる限り自宅とのギャップがない方が精神的に安定します。だからこそ懐かしい雰囲気の民家がいいのです。

二つ目の特長は営業時間の長さ。基本的に朝6時半から夜の9時までお預かりすることで、共働きのご家族でも利用できるように配慮しました。

三つ目がリーズナブルな料金設定です。地域や要介護度にもよりますが、デイサービスは利用者の一日の自己負担分約1000円、宿泊料金は1泊800円、食事は3食で1000円とし、1ヵ月フルに利用しても約8万4000円で済みます。生活扶助費は地域にもよりますが概ね10万円ですから、所得が限られる社会的弱者の方でも十分に利用が可能な設定です。

社会的弱者を支え、セーフティネットとしての使命を果たす。その意志がこの料金設定に反映されています。

27歳で起業。資金10万円のスタート

独立しようと決めたのは27歳の時。手持ち資金は10万円しかありませんでした。「民家を活用した少人数の泊まりもできるデイサービス」という現在のモデルが、うまくいくかどうかを検証するため、まずは最適な場所を選ぶことから始めました。土地勘のある関東の中で、人口、高齢化率、福祉施設の数、入所待機者の数などの統計数字を基に、もっとも標準的な市区町村として想定したのが埼玉県の熊谷市。その次の仕事は融資してくれる銀行探しでした。市場調査や事業の採算性、将来予測などを丹念に調査し、まとめ上げた分厚い事業計画書を抱えて市内の銀行を歩き回りました。

しかし、実績なし、担保なし、保証人なしではどこも門前払い。あきらめかけて市内の13行の最後の1行に入ると営業担当の方が不在で、たまたまいた副支店長さんが応対してくれました。「話、聞いてあげるよ」と初めて奥に通され、千載一遇のチャンスとばかりに必死で事業計画をプレゼンテーション。結果、「思いはわかった。君のその目に400万円賭けるよ」とその場で融資をしてもらえることになりました。

季節労働者向け宿泊所の家屋が第1号

資金調達の次は物件探しです。
当時はまだ民家をデイサービスに使うこと自体が一般的ではなかったので、物件が100件あっても貸してくれるのは1件という厳しさ。

あちこち探し回ったあげく、ようやく建設会社の季節労働者向けの一軒家があると聞き、見に行きました。築40年でしばらく放置されていたらしく、畳がなくてベニヤ板がむき出しな上にところどころカビが生えていました。建設会社の社長に掛け合い、リフォーム代の一部を家賃に上乗せして合計月15万円で貸してもらうことで交渉成立。さらに送迎用の中古の小型車を5万円で購入し、ハローワークでスタッフを募集し、自分と同じ年齢の2名を採用しました。

県への指定申請も通ってようやくサービスを提供できる形が整い、2004年5月、後の「茶話本舗」の原形となる施設を3人で立ち上げることができました。

2週間で定員充足。確かなニーズを実感

熊谷の最初の施設はオープンして2週間で登録定員の25名が埋まりました。営業は、地域の居宅介護支援事業所のケアマネージャーや病院のソーシャルワーカー(社会福祉士、介護支援専門員など)を手当たり次第に訪問、小規模のデイサービスがなぜ必要なのかを力説して回りました。まったく相手にしてくれない人もいましたし、珍しそうに話を聞いてくれる方もいました。

当時、僕の考えに共感してくれ、一番応援してくれたのがある総合病院のベテランのソーシャルワーカーの方。彼女は埼玉県の社会福祉士の組織の副会長をされていて、僕と同じく高齢者が病院や老人保健施設を転々とせざるを得ない状況に疑問を感じていました。彼女のネットワークなどを通じて利用者も増えていき、事業は順調に回り始め、1年半後には27拠点40事業所まで拡大しました。

「介護」と「経営」の共通点

熊谷での活動は順調でしたが、次のステップに進むため、創業者の2人と相談の上、彼らに経営を任せることを決断しました。株式売却後に新たな会社を立ち上げ、現在展開する小規模デイサービス「茶話本舗」の第1号を2007年4月に開設、同時にサービスの展開を加速するため、フランチャイズ事業をスタートさせました。

「介護現場から叩き上げの人間でも、経営者として立派に通用する」。それを世の中や同年代の人たちに示してやろう、というのも自分が起業した理由の一つ。だから2008年に今の社長の小柳にバトンを渡した時も躊躇はありませんでした。小柳も介護現場経験者で、採用面談でも「将来は社長をやりたい」と宣言していたので、「じゃあその思いを実現しようよ」ということでした。

プロの介護経験者はお年寄りの感情を察知したり、不安を取り除いたり、楽しませたりという技術を自然に身に付けています。これはそのまま組織を率いる経営者にとっても必要な要素で、彼らはそういう意味では経営センスに長けていても不思議はないのです。また、社長を交代したもう一つの理由は、今の会社をワンマン経営ではなく多様な価値観で成立する組織にしたかったから。メディアが発達し、情報が錯綜する中で人々を一方向に導くのは難しい。まして介護は労働集約型のビジネスなので、多様な価値観の人々にフレキシブルに対応できる経営組織でなければならないと考えました。

仕事の量より勉強の量が大切

簡単に言うと僕は日本介護福祉グループを「介護業界のグーグル」みたいな会社にしたいと考えています。グーグルにはオフィスに玩具を持ち込んだり、勤務時間の約2割を自分がやりたいことに当てられたりという自由があるけれど、ミッションの達成には個々人が最大限の力を尽くさねばならないという厳しさもあります。

そんなふうに介護業界が行政や保険制度だけに頼らずとも、自力で考え、生き残っていける業界にしていきたい。
だから僕は社員にもいちいちこうしろとか、もっと働けとは言いません。
「もっと勉強しろ」と言います。

それは自分の経験から失敗の原因は、いつも勉強不足だったからだと思うから。それを痛感したのは事務長時代に介護の報酬請求の入力の桁を間違えて、二桁小さい金額で請求してしまった時。どうにか翌月数字の修正をして事なきを得ましたが、これも入力の仕方の知識がなかっただけのこと。今の現場に置き換えれば営業担当者がケアマネージャーから紹介をいただけていない場合、あちら側の責任ではなく、こちら側にケアマネージャーを説得できる材料や話術やプレゼンテーションスキルが足りなかっただけ。他人のせいにせず自分の勉強不足と考えることで、その人の成長は100倍も200倍も違ってくるはずです。

コミュニケーションの無限増殖装置

僕が最初の会社を立ち上げた当時、ソーシャルネットワークなどかけらもなく、周りを見渡しても介護福祉業界の中に同世代の起業家は誰一人いませんでした。今ではブログでイベントの告知をすると読者登録している人全員に自動的に配信され、記事が面白ければツイッターでつぶやかれ、フェイスブックに連動して友達にも告知されていきます。

この劇的なコミュニケーションの変化はいつか介護業界も変えていくはずです。業界のコミュニティである「日本介護ベンチャー協会」「介護志士之会」「もんじゅ」「介護甲子園」「介護維新会」などの会員のつぶやきに共感したり、「いいね!」のボタンを押したりして、気軽にネットワークが広がると同時に、リアルな場でも定期的なミーティングが開かれ、実際の言葉に感銘を受けたり、つながりが強化されていく。そんなコミュニケーションの無限増殖装置が介護業界の知識水準を上げ、ひいては経営者の質的向上にもつながり、さらに現場の水準も上がっていくという正のスパイラルに集約していけると確信しています。

世界に示せる超高齢社会のモデルを創る

「茶話本舗」は2011年10月現在、468施設にまで拡大しました。
今後の目標は2015年までに6000施設にすること。現在は需給が満たされつつあるのでは、という議論もありますが、一時的なもので団塊の世代の高齢化ですぐに施設が不足することは目に見えています。

日本は2055年には人口が約9000万人に減るという予測がありますが、労働人口もGNP(国民総生産)も減り、経済成長も見込めない国が、それでもそこに住む人々が幸せに暮らせる社会をどう創っていくのか。

欧米、日本、中国、韓国などあらゆる国が今、超高齢社会に向かっています。その中でも最先端を走っているのが日本。世界中が超高齢化した時、日本はそこに何を指し示せるのか?その日のために僕らが障害者も高齢者も幸せに暮らせるモデルを創造していかなければなりません。失われた20年と言われるこの間の日本の失敗の本質は「Lost Vision」。

長寿大国日本は「超高齢社会はこうあるべし」というビジョンを世界に示すべきです。
世界へ向けて超高齢社会への処方箋を示すことこそ、日本に求められている使命なのです。
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文: 高山 淳
写真: 山田 彰一
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