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ヘルプマン

2013.09.29 UP

介護の概念覆す、アイデア続々。 人生の現役養成道場へようこそ

「夢のみずうみ村」は、今日やりたいメニューを約50種類のカードから選ぶデイサービスセンター。「温水プール」「料理教室」「ぼーっとする」などのほか、村内通貨が賭けられるカジノまであります。基本にあるのは、「みんな違って、みんないい」という理念。それぞれの生活や考え方を大切にするからメニューは「自己選択決定方式」です。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

大学に行かずに施設に通い、親から勘当

小学校6年で「開かれた少年院をつくりたい」と思ったのが福祉の原点ですから、ちょっと変わった子どもでしたね。

子どもの福祉施設がどんなものかも知らなかったのですが、恵まれない人たちを支える人になりたかった。キリスト教の学校に通っていた影響があったのかもしれません。中学3年生の時に「われ一粒の麦なれど」(松山善三監督)という映画を見て衝撃を受けてからは、ポリオや脳性マヒの人たちの居場所をつくりたいと思い始めました。大学に入るとボランティア活動を行うサークル「ライチウス会」に入るのですが、大学紛争で授業がないこともあって、すぐに児童養護施設で住み込み指導員を始めました。

結局、大学は中退、親からは勘当。しばらくその施設で働いた後、地元の山口に戻り、山口リハビリテーション病院で作業療法士として働き、多い時には1日87人の患者を受け持ちました。みずうみ村をつくったきっかけは、同病院に勤務していた当時、脳性マヒのリハビリに来ていた患者さんが、機能を回復されてからも「行き場がなくて」来院され、何となく「行き場をつくりたいね」「夢みたいな話だね」という会話を交わしたことから。同様に脳性マヒのお子さんを持つ方々と一緒に2000年にNPO夢の湖舎を立ち上げ、翌年に最初の施設が完成しました。

みずうみ村は「自己選択自己決定方式」

開村後、徐々に利用者が増えていき、2年後には施設を増設、2005年には防府市に新たなデイサービスセンターをつくりました。みずうみ村はリハビリをする施設です。

リハビリとは「生活する能力」を確認、回復すること。
訓練して得た能力を使い、生きていることを味わい、楽しむことがリハビリの目的です。

毎朝9時になると山口市内外から平均100名前後の利用者の方が、ワゴン車に乗ってやって来られます。みずうみ村は自分でメニューを選べる「自己選択自己決定方式」。利用者の方が最初にすることは、その日自分がやりたいメニューカードを探して、自分の名前が書かれたボードに貼ること。人気が高いのは「あんま」「身体ほぐし」などスタッフの手が体に触れるものや「温水プール」「料理教室」「パンづくり」など。この他「陶芸」「木工」や「ごろ寝」「ボーっとする」など約50のメニューから選ぶことができます。

午後3時〜4時は村内通貨「YUME(ユーメ)」が賭けられるカジノも開催され、連日盛り上がります。

引き算の介護と足し算の介護

みずうみ村の理念は「みんな違って、みんないい」。
山口出身の童謡詩人金子みすゞの有名な「私と小鳥とすずと」の一節ですが、人それぞれの考え方や生活がある。

だから、「自己選択自己決定方式」なのです。これは高齢者も自分でできることはやっていく、そういう芽を引き出す、自立を促すという介護保険制度の基本精神にも適っています。「自己選択自己決定方式」と併せて介護する側の姿勢として掲げているのが「引き算の介護」「足し算の介護」。

高齢者の「できる動作」「できない動作」「できそうな動作」をしっかり見極め、「できる動作」は手を引く、「できない動作」には手を足す、介護する。「できそうな動作」についてはまず見守って、待つことが大事。この3つを素早く判断し、必要な場合に手を差し伸べるのがプロの仕事です。

「バリアアリー」が生活範囲を広げる

みずうみ村はリハビリをしてまた家に帰る通所施設です。
村を出ればそこは「バリアアリー」の世界。

だから、ここではあえて段差、坂、階段など日常で遭遇する可能性のあるバリアを意図的に配置しています。その上で、どうしたらバリアを乗り越えることができるかというやり方を指導し、ハウツーを覚えて家に帰っていただきます。

例えばお風呂の入り方でも、うちの施設には「桟橋」という独自の板を設置してあって、それにいったん腰をかけてお尻を滑らせていくとお風呂に入れる仕組みがあります。これで入り方を覚えて、これに代わる福祉用具を使えば、自宅でも同じように入浴できるようになります。このように日常の生活動作を少しでも回復できるようにすることが「バリアアリー」の意図です。

4つのお土産の「宅配ビリテーション」

みずうみ村にはいろんなお土産があります。
1つは自分が手作りした茶わんやガラス細工、パン、種から育てた苗など家での暮らしを豊かにするもの。2つめは先ほどの生活動作のノウハウ。風呂の入り方、洋服の脱ぎ方、体の洗い方、ご飯のよそい方など生活のやり方を覚えて帰っていただきます。3つ目は電化製品の使い方。お年寄りには電気ポットのロック解除の使い方ひとつもわかりにくかったりします。ですから電子レンジやパソコンの基本を覚えて帰っていただきます。4つ目が自信。バリアアリーの環境を克服して、自信を持って帰っていただく。これは大きいですよね。

この4つを持って帰っていただくことを宅配+リハビリテーションで「宅配ビリテーション」と呼んでいて、これも村の大きな特長です。

プログラム活性化につながる
「YUME(ユーメ)」

私はみずうみ村を現実に近い「街角」だと言っているんです。
街角の市民生活は貨幣経済ですから、お金を払わないとサービスを受けられない。

そこで村内通貨「YUME(ユーメ)」を導入して、プログラムの活性化を図りました。各種教室の授業料やあんまほぐし、入浴料、プール使用料、おやつ代などはすべてYUMEが必要です。利用開始時にお祝い金として7000YUMEをもらえますが、何かで金を稼がないとお金がどんどん減っていく仕組みです。

稼ぐ方法は「予定を立てる」「血圧測定・検温する」という簡単なものから「クイズに答える」「タイムトライアル歩行に挑戦する」「タオルたたみ」などのリハビリ、さらに「カジノで稼ぐ」(勝負なので大損もあり)、見学者を案内する「水先案内」までさまざま。この仮想の貨幣経済の導入で、利用者は自然に心と体を動かすことになっていきます。

メンバー発信の自主運営が基本

「バリアアリー」「宅配ビリテーション」「YUME」…多くは私が考え出したものですが、職員からもどんどん新しい企画やサービスが生まれています。提案する場合は、「2人の法則」といって2人で勝手に企画して、提案している形なら即OKです。予算も3000円までなら許可も不要で事務局に請求して使用していいことになっています。

なので、ある朝突然、見たことのない訓練道具が壁にぽんとかかっていたりします。利用者さんを巻き込んで花の苗などを育てる「園芸サークル」などもここから誕生しました。

みずうみ村の運営は職員が自主的に行うというのがひとつのルール。その一環として年に一度の国民宿舎での全員合宿というのもあります。土曜日の営業を中止して全員で出かけて、私が経営理念や事業報告について話してから、全部で13〜15の分科会に分かれて、職場改善や新サービスなどのテーマについて議論します。その場でまとまらなければ職場に持ち帰って、発展的、継続的に議論していきます。これらもすべて職員主体でやっています。

80になっても稼ぐ「夢結び事業」

こうした努力の甲斐あってか、ありがたいことに、みずうみ村では高いレベルで利用者の自立が実現できています。

介護保険制度の要介護3にあたる方の改善割合は、全国平均では11.5%程度ですが、みずうみ村では76.9%と驚異的な数字です。

で、みなさんどんどん回復して自立していくわけですが、日本の社会にはまだ元気になった人たちが活躍する場がないのが現状です。国は介護保険地域支援事業というふうに言っていますが、具体的にはあまり形がない。私は働いて稼ぐことが一番簡単だと思っていて、「80になっても稼ごう、障害になっても稼ごう」を合言葉に、「夢結び事業」というのを2011年2月にスタートします。

これは山口市内のコンビニ跡を借り受けて、パンやおにぎりや惣菜の販売をするお店を経営しようという計画。テイクアウトもよし、バイキングでその場で食べてもよしというスタイルで、自立した高齢者や障がい者の人たちが、バックヤードで商品を作ります。

稼ぐのは小銭でもいいから、まだ自分が社会の中で生きているという実感を持てることが大切だと思っています。

藤原さんからのメッセージ

2011年6月には千葉の浦安市に関東初の「夢のみずうみ村」をオープンしました。
私は今年64歳。周りはみなリタイアして悠々自適の生活に入りつつありますが、初心に返って必死にまた浦安で頑張ろうと思っています。

私はよく「夢のまた夢」「つかめそうな夢」「つかめる夢」という夢の三階段の話をするのですが、これをみなさんにも問いかけたい。
思いつきでもかまわないので将来の夢を描いてみてほしい。

中学3年生の時に「われ一粒の麦なれど」という小児マヒと闘う医師の物語を見て、いつか小児マヒや脳性マヒの人たちが暮らす施設をつくりたいと考えるようになり、苦労しながら何とかここまで辿り着きました。介護は自分の夢をどんどん広げていくことができる分野です。

日本中にみずうみ村を建設するという「夢のまた夢」に向かって、私もまた一歩踏み出したところです。

【文: 高山 淳 写真: 山田 彰一】

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