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HMJ活動紹介

2013.12.06 UP

『福島県飯舘村を訪問して気づいたこと』"命に向き合うヘルプマン達"

「福島県飯舘村で採用に困っている事業者さんがいる、何かできることはないか?」そんな1通の社内メールに「何が起こっているのか事業者さんに対面で話を聞きたい」という返信をトリガーに始まった今回の飯舘村訪問。どんな話になっても対応できるようにとUbdobeの岡君、介護士の中浜君とパブリックリソース財団の畑谷さんと一緒に、いいたてホームを訪ねました。

全村民約6000人が避難した村

飯舘村は、福島県浜通り地方の北西部に属し、豊かな自然に恵まれた美しい村で、約6200人が生活する村だったそうです。

3.11を契機にその地域の生活は一変。

地震とそれに伴う津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故の影響で飯舘村はその全域が、「計画的避難区域」に指定され、今でも村内に住むことは許されていません。村に住んでいた人は、80%が福島県内の他の地域、20%が福島県外に移住したそうです。

※ 飯舘村については村HPやwikipedia等を参照してください(http://www.vill.iitate.fukushima.jp/shoukai/gaiyou.html

いいたてホームに向かう道の途中、目に入ってくるのはのどかな風景に点在する除染作業の重機や作業者、そして除染された土をくるんだ黒いビニールの固まり達。人の気配のない道を30分ほど進みいいたてホームに到着しました。突然の訪問を快く受け入れてくださったのは、施設長の三瓶さん。

65人のお年寄りを支えるヘルプマン達

現在いいたてホームで暮らしているお年寄りは65人。それ以外に避難先でケアサービスを受けている入居待ちの方が約80人。ちなみにお年寄りが村に置き去りにされている訳ではなく、事故発生時に「移動させない方が、リスクが少ない」という意思決定をして、建物内なら線量も低いということで特例適用している。ただ、ケアが必要な人がいるということは、その命に向き合う人達(ヘルプマン達)がいるということ。

住んではいけない村で働くということは、いろいろな想定外が存在する。
放射能という見えない脅威への不安や苦悩、通勤(近い人でも片道15km、遠い人では50kmの道のり)、原発補償の不均等など、きっともっといろいろある。

3.11直後、約110人だった利用者は、今は65人。
厳しい状況に耐え、志を持って生活を支え、最期を看取ってきたヘルプマン達がいる。
この事実こそもっと知られるべきなんだと思う。

今回、訪問して思ったことは、自分たちは何も分かっていないということ。きれいに整形された情報からは、現場で命に向き合っている人のことは絶対に見えてこないし、何かを取り違える。

自分たちができることは、その存在をより多くの人に伝えていくこと。もっと飯舘村を知って、近いうちに正式な取材で行きたいと思います。(下の写真は、NPO法人Ubdobeの岡君、介護士の中浜君)

【文: ながろう 写真: ながろう&岡&中浜】

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