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ヘルプマン

2017.11.13 UP

「プリンセスプリンセス」リーダー・渡辺さん 音楽を生かした障害児福祉活動をスタート

ミリオンセラーを記録した大ヒット曲『DIAMONDS』を送り出した日本のガールズバンドの草分け、通称“プリプリ”でお馴染みのプリンセスプリンセス。そのリーダーでベーシストを務めた渡辺敦子さんは、2016年5月、千葉県市原市に児童発達支援・放課後等デイサービス施設の「ダイアキッズ」(DiA Kids)を立ち上げた。1996年のバンド解散後、音楽専門学校の副校長および講師に就任し指導の道に。そして、東日本大震災の復興支援のためのバンド再結成やインド旅行、友人からの影響が重なり、障害児福祉に生きがいを見出したという。音楽の指導と並ぶ人生の2つめのテーマとして、情熱的に活動を始めている。

リズム力をつけて生活リズムにもつなげる
「音楽セラピー」を児童福祉施設で実践

JR内房線の五井駅からほど近い街なかのビルの1階に、「ダイアキッズ」はある。市原市は渡辺さんが小学校から高校までの多感な時期を過ごした場所。児童発達支援・放課後等デイサービス施設を始めるにあたり、千葉県在住の渡辺さんは県内の対象者人口を調べ、市原市が比較的多かったこともあってこの地での開業を決めた。

児童発達支援とは、自閉症やアスペルガー症候群、学習障害、注意欠陥多動性障害、身体障害などのある未就学の6歳までの子どもを受け入れ、日常生活の自立支援や機能訓練などを提供する施設。放課後等デイサービスは、同じく障害のある6~18歳(特例で20歳まで)の学齢期の児童を対象に、放課後や夏休みなどに生活能力向上のための訓練や社会との交流促進を通じて自立を支援する施設だ。こうした発達障害は、引きこもりなどの社会不適応の原因になるだけでなく、鬱や精神疾患、ひいては自害などを引き起こす要因ともなる。このような状態を軽減し、社会適応を促す療育施設は、社会福祉に不可欠の存在となっている。

「ダイアキッズ」は、児童発達支援・放課後等デイサービスを併設させた多機能型。利用時間帯が異なる両施設を一体運営し、効率化を図っている。2017年10月現在、利用登録者は43名。一日あたりの定員は10名だ。

「市役所などからの要請で講演をする機会が増えたり、評判が口コミで広がっているせいか、利用申し込みが増えてお断りしなければならない状態です。でも断ることはしたくないので、2施設目を開設する計画を進めています」と渡辺さんは言う。

「ダイアキッズ」ではベースやギターなどの楽器演奏を教えながら、リズム力をつけて生活リズムにもつなげる音楽セラピーも大きな特色としている。

「いずれステージの上での演奏にもチャレンジして、子どもたちに高揚感を味わわせてあげたいと思っています」

▲「ダイアキッズ」はJR内房線「五井」駅から徒歩5分の街なかにある

音楽専門学校講師の仕事を通して、
“人の可能性”を育てるやりがいを見出す

渡辺さんが「ダイアキッズ」をオープンさせて社会福祉の道に入るまでには、さまざまな経緯が重なっている。まずは、1983年から13年間活動を続けたプリンセスプリンセス*の解散。

「最高のバンドという思いが強く、またベースというソロ活動がしにくいパートを担当していたこともあって、縁があった東京スクールオブミュージック専門学校の副校長兼講師を務めることにしました。表舞台から一気に裏方に転身したわけですが、バンドでもベースやリーダーとして“縁の下の力持ち”的な存在だったので、特に違和感はありませんでしたね」

毎年ミュージシャンを目指して各地から入学してくる200名ほどの若い学生の情熱や、十人十色の個性に接していくうちに、渡辺さんは“人の可能性”を育むことにやりがいを見出していったという。

「プリプリは5人のバンドでしたが、スタッフや応援してくれる多くのファンに支えられてこそ活動できたという思いが、学校の仕事を始めてさらに強くなりました」

当時ライブでは、もっぱらヴォーカルの岸谷 香さんがMCも担当し、比較的アダルトなキャラクターとして通していた渡辺さんは、人前で話すことは避けていたという。しかし、講師として学生の前に立つようになってからは、そんなキャラクターづくりは無用になったという。

「人と接して話すことがどんどん好きになっていきましたね。環境は人を育てるとは、まさにそのとおり! と思います」

*デビュー当時のバンド名は「赤坂小町」。1985年に「JULIAN MAMA」、1986年に「プリンセスプリンセス」に改名。

▲音楽専門学校の講師の道に進んで、“人の可能性”を育む仕事にやりがいを見出した渡辺さん

プリンセスプリンセスを再結成し、
復興支援活動で大きなエネルギーを得る

講師生活が15年過ぎた年、東日本大震災が発生する。多くの人の命が一瞬にして失われ、粉々に破壊された被災地の現実を前に、渡辺さんも「何かできることはないか」と考えた。そして、プリンセスプリンセスを再結成し、復興支援ライブを行うことを決意した。

16年のブランクを埋める作業は簡単ではなかったが、2012年1月から1年間限定の再結成発表に多くのファンから「待ってました!」のコールが寄せられ、メンバーは力と勇気を得る。3月20日に再結成後の初ライブ、その後バンド初の夏フェス出演や被災地仙台でのライブ、そしてホームグラウンドだった日本武道館でのライブと、すべてを満員にしていった。

ファンの熱い声に押されて、12月に東京ドームでの追加公演を決定。2日間で9万人を動員する。これら一連のライブで5億円強を集めることができた。この資金で被災地支援を行い、2015年にはエンターテインメントによる“こころの復興”を目指し、主に社会貢献を目的とした市民参加型シアター「仙台PIT」をオープンさせた。当初は1年限定の再結成の予定だったが、仙台PITでの“こけら落とし”ライブまでの3年半、プリンセスプリンセスとしての活動を行ったことになる。

「再結成で更年期障害も乗り越え(笑)、それこそ、現役時代を上回るほどのエネルギーが湧いてきたんです。個人的には離婚もしてかなりへこんだりもしましたが、エネルギーがマイナスなことをも糧にしてくれたんです。何かスイッチが入った気分でした。震災がなければ、再結成はなかったと思います。結果的に再結成は自分にとても大きな力を与えてくれました。多くの方が亡くなった震災が契機になった点で、複雑な気持ちもあるのですが」と渡辺さんは打ち明ける。

▲プリンセスプリンセス再結成・復興支援ライブで5億円を集め、全額を被災地支援に提供。大きな話題となった。この活動から渡辺さん自身、大きなエネルギーを得る

インドの寺院で出会った孤児たちに
“行き場のない母性”が湧く

そんな渡辺さんは、学校では長期休暇もとらず働き続けてきたこともあり、再結成・復興支援活動成功の“ごほうび”として親友とのインド旅行を計画する。音楽評論家の湯川れい子さんを通じて、インドに寺院を持つ日本人僧侶を紹介されたことがきっかけとなった。結果的に親友は体調不良で行けなくなり、渡辺さんは一人で向かうことになった。

その寺院は、ヒマラヤ山脈の西部、北インド・カシミール地域のラダックという標高4000メートルの高地にあった。かなりの寒冷地である。渡辺さんは以前、バンドメンバーとオフでインドを旅行した際に体調を崩し、満喫できなかった分も取り返すように、その寺院に1週間以上逗留する。ほかにも理由があった。

「寺院に、孤児がいたのです。といっても、見た目はかわいらしく、目がキラキラしていてとってもポジティブな子どもたち。私はその目にやられてしまったんですね。ああ、この子にも未来があるんだ、って。そのとき、自分には子どもがいないことを再認識したんです。結婚していたときは、恵まれることもなく時が過ぎたという感じで。でも、孤児たちと触れ合ううちに、違った形でも子どもの未来のために愛情を注げるんじゃないかと思ったんです。行き場のない母性が湧いてきました(笑)」

▲ベースギターのフレットに音階を書いて子どもたちに分かりやすくする工夫をしている

社会福祉を目指す親友の言葉に
「これだ!」と入ったスイッチ

帰国して、お土産を持って旅行に同行するはずだった親友を訪ねた渡辺さんは、親友の口から決定的な言葉を聞いた。その親友も離婚を経験しており、結婚していた時期に子どもを望んだが、体の問題で授かることができなかったのだ。そして、インドで出会った孤児の話をする渡辺さんに、「児童発達支援や放課後等デイサービスの施設を作りたい」と告げたという。

「彼女にその資料を見せてもらい、『これだ!』と。スイッチが入りましたね。私は昔から“直感、決断、即行動”で通してきたんですが(笑)、このときもまさにそうだったんです」

渡辺さんには、以前にもスイッチが入る瞬間があった。学校を通じて、楽器を持ったこともない高校生たちをガールズバンドとしてプロデュースする仕事だ。3カ月でバンドに仕立て、2,400人を収容するオリックス劇場(旧・大阪厚生年金会館大ホール)でデビューさせるというオーダーだった。

「そんな甘いもんじゃない、絶対ムリって断ろうと思ったのですが、受けざるを得ない状況だったんです。そこで私は、ズルいですけど最悪“当て振り”で逃げればいいと思って引き受けました」

ところが、いざ対面すると少女たちは非常に真剣で、やる気を見せたという。

「それでスイッチが入った(笑)。意思を確かめたら、『死ぬ気でがんばります』と言い切ったんです。彼女たちは猛然と練習を始め、2曲だけでしたが3カ月でモノにしてしまいました。ライブも大成功です。つくづく、人間の力ってすごいと思い知りましたね」

親友の社会福祉への思いを聞いて、同じ人間なのに障害があるというだけで健常者と差別や区別をされることに強い疑問を感じた渡辺さんは、その一方で、どんな子どもにも未来の可能性があり、自分が専門とする音楽を通じて障害のある子どもの才能を引き出すことができるのではないか、とひらめいたのだ。

「なぜ社会福祉を始めたんですか? とよく聞かれますけど、一見遠そうな音楽と社会福祉が私の中でビビッと交わったんです」

▲音楽が子どもたちの可能性を開くいい道具になると渡辺さんは信じている

人に恵まれ施設をオープン
事業や子どもたちからたくさんのものを得る

施設を作るには、行政に届け出る必要がある。規定を満たさなければ、障害児通所給付費および特例障害児通所給付費を支給してもらうことができない。その規定として、保育士の有資格者を施設の責任者として設置しなければならなかった。立地を市原市と決めた渡辺さんは、高校時代の同級生であった永野朝子さんに、知り合いの保育士はいないか相談をした。

「そしたら、なんと彼女自身が現役の保育士だったんです。思わずヘッドハントしました(笑)」

永野さんは、渡辺さんの情熱に応えるため、勤務先の保育園を辞めて「ダイアキッズ」の管理者を引き受けてくれた。人材不足の中、それ以外のスタッフ集めには苦労したが、八方に手を尽くし、頭を何度も下げて何とかスタッフをそろえることができた。

また、渡辺さんは知人の紹介で「レクリエーション介護士」資格の存在を知り、取得。

「プリプリ時代、メンバーの間では“お笑い担当”として人を楽しませることが好きでしたから(笑)、レクリエーションの効用はなんとなくイメージできました。実際に学んでみて、音楽セラピーなどを組み立てることにも役立つように感じています」

施設をスタートさせて1年半ほどが過ぎ、実際に障害のある子どもたちと触れ合う中で、渡辺さんはいろいろな手応えを感じているという。

「突然友達をぶったりする問題行動を起こす子どももいます。しかし、それよりはるかに多く、親御さん方から『いままで家でできなかったことができるようになった』『問題行動をしなくなった』という声が届いています。私は学校があるので週に1、2日しか施設に来れないですが、私がいようがいまいがスタッフがしっかりやってくれている証拠。ホント私は人に恵まれています」

そして、HELPMAN JAPANの読者にこんなメッセージを語ってくれた。

「アーティストから福祉への転身について違和感はなかったかとよく聞かれるんですが、まったくありませんでした。とてもやりがいのある仕事だと思います。子どもたちの心のきれいさに、自分の方がエネルギーをもらえています」

そう話す渡辺さんの目は、ダイヤモンドのように輝いていた。

▲高校時代の同級生でもある最高のパートナー、「ダイアキッズ」管理者の永野朝子さんと

【文: 髙橋光二 写真: 阪巻正志】

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