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ヘルプマン

2017.06.19 UP

介護や金融の仕事、親の介護の経験を生かし高齢者や介護する人の選択を支援したい

介護が必要になったとき、大切なのは本人や家族の事情に応じ、適切な選択ができることだ。しかし、心身の状態だけでなく保有資産の活用なども考慮し、その選択を的確にサポートできる専門職は少ない。田中肇さんは、自身の介護経験、有料老人ホームでの介護実務の経験などをもとに、仕事と介護の両立を支援。現在は、税理士などの“士業”を対象に自ら考案した「介護ライフアドバイザー」養成講座で、介護の選択を支援できる人材育成を図っているところだ。

物足りなさを感じた再就職支援。
ニーズに応え得る会社を自ら起業

銀行や証券会社の経営破綻が社会に衝撃を与えた1997年の翌々年。先行き不透明な経済状況の中、日興証券に勤めていた田中さんはより活躍できる場を求め、退職を決めた。42歳だった。退職にあたり、再就職支援会社によるサポートを受けることになったが、そのサポートがどうにも物足りない。

「再就職支援は、当時、まだアメリカから持ち込まれたばかりの新しいサービス。履歴書や職務経歴書の書き方を教えるだけだったんです。再就職先の紹介を求める日本でのニーズには合わないと感じたので、いっそ自分たちでニーズに合う会社をつくろう、と。それで、退職する仲間たちと一緒に、再就職支援の会社を立ち上げました」

しかし、不況が続いていた当時、希望退職者を再雇用しようという企業はなかなか見つからない。そこで田中さんは考えた。不況下にあっても景気がよく、採用意欲が高い業界はどこか? そこで目を付けたのが、医療・介護業界だった。

「証券会社時代から付き合いのあった税理士に聞いてみたんです。これからは医療・介護業界も競争が激しくなる。管理能力や経営能力のある人材が必要になるのではないか、と。すると、『いいね、それ!』との返答。早速、その税理士の顧客を中心に再就職先を開拓しました」

まだ誰も気付いてもいなかった、医療・介護業界への再就職支援。この戦略によって、再就職支援では後発だったにもかかわらず、田中さんの会社は名だたる大手企業からの契約を多数獲得する。最終的には、8年間で200人以上の再就職を果たした。▲課題を見つけると、その解決方法を考え、提案していくことに喜びを感じるという田中さん

義母の在宅介護を見つめた日々。
その経験を生かして介護業界へ転身

医療・介護業界への再就職支援に力を注いでいたころ、田中さんは同居の義母の介護に直面していた。腰椎骨折から寝たきりになった要介護5の義母を、同居する田中さんの妻、近くに住む妻の次姉が中心となって介護していたのだ。介護保険のサービスを目いっぱい使っても十分ではなく、妻も次姉もパートの仕事を辞めて介護にあたった。それでもなお、自費でのサービス利用が月に約30万円も発生していた。

「調べたら、介護保険の事業者が担う介護は、必要な介護全体のたった14%程度だというデータが見つかったんです*1。つまり結局は、家族がかなりの部分を背負わざるを得ないということです。しかも、介護を担う家族は、心身の健康を損なったり、家族間の関係が難しくなったり、経済的な側面以外にもさまざまな犠牲を払うことになります。そんな在宅介護の厳しい現実を目の当たりにしました」

いまにして思えば、なぜ施設入所を考えなかったのか、と田中さんはいう。自己負担額を考えれば、施設入所は十分に可能だった。施設が選択されなかったのは、当時、家族の誰の頭にもその選択肢が思い浮かばなかったからだ。この経験は、田中さんのその後のキャリアに大きな影響を与えることになる。

2007年、景気の回復で再就職支援のニーズが激減したことから、社内で協議のうえ会社をたたむことを決断。田中さんは次の活躍の場を求める。そして51歳にして再就職支援で人材ニーズを熟知している介護業界へ。在宅介護の厳しさを見つめてきた経験が生きてくると考え、ベネッセスタイルケアへの入社を決めた。

*1 平成16年度国民生活基礎調査 「Ⅳ-3主な介護者の状況」より

証券会社時代の経験から
銀行との連携による顧客獲得を提案

総合職として採用された田中さんだが、入社後は介護現場を知りたいと、自ら志願して3つのホームで介護の実務を経験。2年間で約150人の入居者の介護にあたる。その後、入居相談、営業の仕事に就いた。有料老人ホームの営業先は、一般に病院や地域包括支援センター、居宅介護支援事業所などだ。田中さんは、ここでも独自の着想で新たな顧客獲得のルートを考案する。銀行である。

「実は、証券会社時代、税理士と組んで銀行によく営業に行っていたんです。当時、銀行は融資の材料を求めていましたから、節税できる投資商品を銀行に紹介していました。そうしたつながりがあったので、銀行と連携して優良顧客を紹介してもらえばいいのではないかと考えたんです」▲「証券会社時代、本来、競合先である銀行に、融資の材料となる投資商品の提案に行っていた証券マンは、私ぐらいでした」と、田中さん。ユニークな発想は、その後もさまざまな場面で発揮された

「高齢期の住まい選び」などのセミナーが
銀行の顧客に大ヒット

このとき田中さんが活用したのが、銀行主催のセミナーだ。「高齢期の住まい選び」「有料老人ホームの選び方」などのテーマでセミナーを組んでもらい、田中さんが講師を務める。すると、これが驚くほどの集客力を発揮。年間200回を超えるセミナー開催の要請が殺到したという。

一方で、田中さんは地域包括支援センターの職員を対象に、これまでにない情報を盛り込んだセミナーを行っていた。介護のための資産活用についての知識、情報である。

「在宅介護が限界にきたとき、地域包括支援センターなどでは、どうしても医療や介護だけで問題を解決しようとしがちです。しかし、本来は、資産活用も含めて考えていった方がいいんです。例えば持ち家がある方なら、それを売却する、リースバック*2するなど、いろいろな活用方法があります。それで得た資金で、家族の介護負担を軽減させる方法も提案してほしい。そう伝えていました」

*2 リースバック…自宅を第三者に買い取ってもらった上でリース契約を結び、買い取ってくれた第三者に自宅の売却代金から賃料を支払い、それまで通り暮らし続けるシステム。▲地域包括支援センターでのケアマネジャー対象の勉強会の様子

先進企業でもまだ体制が不十分な
介護離職防止についての提案を事業化

介護もヒト・モノ・カネだと、田中さんはいう。介護の担い手、住居の問題、介護費用の問題だ。これをトータルにコンサルティングできる存在がないことに気付いた田中さんは、2013年、特定非営利活動法人日本介護レスキューを設立。介護問題についてのコンサルティングやセミナー開催などを手掛けた。そして、介護離職が社会問題化してきたところで退職。2015年にワークケアバランスを設立した。

「東京都でも、中小企業に対して雇用環境整備の奨励金を出すなど、自治体も力を入れ始めてきています。いまは、奨励金取得の条件を上回る、実効性のある雇用環境の整備などを企業に提案しています」

田中さんが提供する介護離職を防ぐためのワンストップサービスは、こんな内容だ。
企業と契約を結び、まず介護状況や介護についての知識を把握するアンケートに答えてもらう。それを踏まえて、従業員を対象に、「仕事と介護の両立」をテーマとしたセミナーを開催。介護の実態や介護の費用、施設の種類などを公的なデータを交えて伝えていく。中でも参加者へのインパクトが大きいのは、モデルケアプランの提示だ。要介護度により、利用できる介護サービスを具体的に示した1週間のスケジュールを示すと、介護サービスが入らない空白の多さに、参加者は皆驚くという。

「必要な介護の6~7割は、介護保険でカバーできると誤解している方が多いんです。この空白の部分はご家族が担うことになるんですよ、というと、言葉が出ないですね。環境整備が進んでいる先進企業の取り組みも紹介していますが、まず社員向けに介護セミナーを行い、時短を取り入れたり、上長に面接義務を負わせたり、外部の専門職に相談できる体制をとったりという程度。先進といわれている企業であっても、まだ十分な体制が整っているとはいえないのです」▲「セミナーではどうしても厳しい話が多くなってしまうので、せめてネクタイくらいはいつも明るいピンク色にしているんです」と田中さん

会社にとってなくてはならない人材を
離職させない「介護融資」という提案

そこで田中さんがいま、企業に提案しているのが「介護融資」だ。特に中堅・中小企業の場合、会社の屋台骨を支える人材に介護離職されては事業運営に影響が出てしまう。そうした人材に対して、要介護家族の施設への入所を希望するようであれば、入居一時金などの補助になるよう、500万円、1,000万円を融資してはどうかという提案だ。施設入所によって介護負担から解放されれば、心配なく仕事に打ち込めるのではないかと田中さんは考えている。

「介護休業を取得しやすくする環境整備も、もちろん大切です。しかし、会社側からすると、長期間の介護休業の取得は休業中の介護給付金の支払いもあり、一定のコストがかかります。一方、介護融資は、相続や退職金によって返済してもらう仕組みにしておけばいい。会社にとって重要な人材を離職させずにすみ、会社側もコストを抑えることができます」

税理士などの“士業”に介護知識を伝え
「介護ライフアドバイザー」を養成

また、田中さんはいま、独自に考案した「介護ライフアドバイザー」の養成講座にも力を入れている。これは、介護労働の実態、介護の流れ、ケアプラン、介護上起こり得る問題などについて6時間の講義で伝えるというもの。受講者には、「介護ライフアドバイザー」の資格を授与する。対象は、介護や福祉の関係者ではなく、公認会計士、弁護士、税理士、司法書士など、“士業”と呼ばれる人たちだ。介護費用の積算、遺言信託、相続、任意後見など、安心して介護をするための周辺環境を整備できる専門職に、介護の知識と情報を身につけてもらおうというのだ。受講料は8万6,400円。2016年2月に第1回養成講座を実施し、3回目が終了した2017年5月末時点で、25人の介護ライフアドバイザーが誕生している。

田中さんがこの研修を考案したのは、前職時代に銀行でのセミナーで知り合った、ある高齢女性からの相談への対応が背景となっている。夫の残したお金はあるが、一人暮らしの将来に不安があり、暗い顔をしていた女性。田中さんの紹介で介護付き有料老人ホームに入居すると、月額費用はほとんどが公的年金と個人年金で賄われることとなった。後は、好きなことにお金を使いましょうという田中さんの提案に、「大好きな歌舞伎を見に行きたい」と、女性の顔がパッと明るくなる。それからは、タクシーで往復し、おいしい食事を食べ、歌舞伎を楽しむ生活を満喫していたという。


介護生活は、介護そのもののサポートだけでは支えられない。税理士などの“士業”を周辺環境整備の担い手とする「介護ライフアドバイザー」養成の試みは、今後の展開が期待できる

“士業“と地域包括支援センターが
連携して高齢者を支援できるように

「士業の専門職が周辺環境を整え、介護や福祉の専門職が介護についてのサポートを考える。いま考えているのは、介護ライフアドバイザー資格を持つ専門職を、地域ごとに集めたNPOをつくり、そのNPOと地域包括支援センターをつないでいくことです。各地域にそうした連携組織ができれば、介護が必要になっても不安が少なくなると思いませんか?」

田中さんが目指すのは、介護が必要な人もその家族も、地域包括支援センターにいけば、介護に関することだけではなく資産の活用や法的な手続きについて、専門家である士業に気軽に相談できる、という体制だ。士業の方はボランティアで相談に乗りつつ、遺言信託や任意後見などの業務が発生したらビジネスとして対応する。この仕組みが広がっていけば、高齢者の持つ金融資産が介護に回り、家族は離職せずにすみ、介護業界も潤う。社会全体にとってもメリットが大きいといえるだろう。

【文: 宮下公美子 写真: 刑部友康】

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