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ヘルプマン

2013.09.28 UP

一生かけて、理想の介護を見つける

高校時代はミニスカートにルーズソックスと少し派手なタイプ。歯科助手として働いていたころは“ちょっと気が利く”普通の女の子だったという木村幸子さん。結婚して仕事を探していたとき、「ホスピタリティがありそう」と勧められたのが介護職でした。今では、自分が自然体で発した言葉でご利用者さんと共感し、喜び合えることが楽しいと言います。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

私が介護職に向いている?

20代前半までは介護の仕事に就こうなんて、まったく考えたこともありませんでした。
高校時代はミニスカートにルーズソックスを履いた、ちょっと派手なタイプ。

高校卒業後は、地元の埼玉県でさまざまな仕事を経験。一番長かった歯科助手は7年間続けました。
医師の行動を先読みした治療サポートを心がけていたら、「木村さんは気が利くからホスピタリティを生かせる仕事が向いているね」と言われるようになりました。

その後、結婚してから夫の転勤で千葉県に引っ越した時、転機が訪れました。
ハローワークで事務員の方から「あなたはホスピタリティがありそうだから介護職が向いていますよ」と言われたのです。

“ホスピタリティ”という言葉に縁を感じた私は、その方の勧めで職業訓練校に通い始めました。ある日、授業でグループホーム立ち上げのドキュメンタリー番組を見た私は、小さめの施設で職員が利用者さんにきめ細かく働きかける姿に、理想の介護はこれだと思いました。3ヵ月後、ホームヘルパー2級の資格を取得してから「ちいたの福王台」を見学。

民家をリノベーションした施設の中で、私服の職員が働いている様子は、まるで誰かの家に来ているようなアットホームな雰囲気でした。その中で、利用者さんたちが心の底からくつろいでいる姿を見て、「ここなら理想の介護ができる」と思いました。

自立支援とは、
可能性に気づいてあげること

昼はデイサービス(通所介護)、夜は数床のショートステイ(短期入所生活介護)を行っている「ちいたの福王台」は、「地域(ちいき)で楽(たの)しく、小(ちい)さくても頼(たの)もしい」地域の拠点として、きめ細やかな介護保険サービスを提供しています。

“きめ細やか”といっても、何でも手伝うわけではありません。

大切なのは利用者さんの気持ちをくみ取り、自立につながる支援を行うことです。以前、自分からは食事を摂ろうとなさらない利用者さんがいました。その方の筋力では陶器の茶碗を持てないのではと考えた私は、プラスチックの茶碗に替えてみました。また、「自分は人に迷惑をかけている」と落ち込みがちな利用者さんを励ましたい一心で、お世話を楽しんでいることが伝わるように接しました。すると、「あなたを喜ばせたいから頑張るよ」と言っていただき、数日後には一人で食事ができるようになりました。

職員が小さなことに気づき、介護を楽しむことで信頼関係が深まれば、利用者さんの自立への意欲も高まります。そんな理想の介護を実践できる環境がここにはあります。

嘘や建前から、共感は生まれない

私は10人の介護員がいれば10通りのやり方があっていいと思います。
私が心がけているのは、自分の心に正直に、自然体で接し、共感し合うこと。

「私なんて死んだ方がいいよ」言う90代の利用者さんがいました。普通は「そんなことないです。生きていれば色々なことができますよ」と言って励ますところでしょう。でも、その方の立場で考えたら、90代になれば体はあちこち痛くなるだろうなと思い、「その歳まで生きていたらそう思うのも当然だよね」と語りかけました。すると、その方が「95歳で死にたいよ」と言うので、「そりゃ私も95歳まで生きたら死にたくなると思うよ」と伝えると、「そうでしょー!わかってくれてありがとう」と感謝されたことがあります。

ある利用者さんと散歩をした時には、市役所の前で利用者さんが、【袖ケ浦市】の看板の“市”の部分が新しいことに気づいたんです。それを見て私が、「これは町だったのを市に張り替えたんだろうね。無駄がなくていいね」と言うと、その方が、「あんたもそう思ったの?私も同じことを考えていたんだよ」と、とてもうれしそうに話してくれました。

自然体で発した一言が共感を呼び、喜びを分かち合える。そんな関係をこれからもたくさん築きたいと思います。

地域とのつながりが元気の源

広域福祉事業会は、社会福祉法人である以上、地域への貢献も一つの使命だと考えています。

「ちいたの福王台」では、利用者さんと近所を散歩している時は近隣の方への挨拶を欠かしません。地域の自治会に加わり、住民のみなさんと一緒に近隣の清掃活動に参加したこともあります。最近では近隣小学校の職場体験を受け入れました。子どもが好きな利用者さんがほとんどなので、子どもたちにおはじきやお手玉など、昔の遊びを教えることで楽しい時間を過ごせたようです。利用者さんと、また何かの形で交流できるといいねと話しています。

2011年6月には市の中心部に引っ越したので、これを機に地域とのつながりをさらに深めたいと考えています。以前より敷地面積が広くなったので、当法人の特別養護老人ホーム「中郷記念館」のように、地域住民も参加できるバザーなどのイベントを開催してみたいですね。地域の一員であるという連帯感は、利用者さんの意欲向上にもつながりますから。

一生かかっても
理想の介護に近づきたい

介護の現場で働いていると、昨日は正しいと思っていたことにも矛盾点を見つけることがあります。
そのたびに思い悩み、理想の介護を模索する毎日です。理想の介護は簡単に実現できないのかもしれません。

だからこそ、一生かけて挑戦する価値のある仕事だと思っています。広域福祉事業会は男女ともに長く働いている職員が多く、理想の介護を突き詰める上で最適な環境。特に私たち女性職員にとってうれしいのが、産休・育休制度が充実していることです。せっかく何年もかけてキャリアを重ねてきたのに、結婚、出産を機に仕事を辞めてしまうのは、自分自身や法人にとっても、社会にとっても大きな損失。

提携の保育施設があるので、保育園を探す心配もありません。
実際に子育てをしながら働いている先輩もいます。
さらに定年後も嘱託職員として65歳まで働くことができます。

「ちいたの福王台」の職員は20代から60代まで幅広いですし、中郷記念館では60代のスタッフが大勢活躍しています。だから私もできる限り長く当法人で働き、いつか必ず理想の介護を実現してみせます。

木村さんからのメッセ―ジ

この国の高齢化は、今後ますます加速していきます。
日本国民である以上、いずれ「介護」と無関係な人がいない社会になると思います。

若い人が、この現実から「暗い」「重い」「関わりたくない」と目をそむけることは、この先の社会を余計に暗いものに変え、安心して過ごせる明るい老後を自分たちの手で奪うことになります。今、介護を受けている世代の方たちは、この国をここまで作り上げてきました。私は、この豊かな国に生まれた自分の境遇に感謝しています。だから、この国を作ってくれた世代に少しでも恩返しができるこの仕事に誇りを感じています。この仕事を愛しています。どうか、「介護」につきまとうマイナスのイメージに捉われず、日本人の優しさを発揮できるこの仕事で、社会人の一員になっていただきたいです。

一緒に頑張りましょう。楽しいですよ。

【文: 高山 淳 写真: 山田 彰一】

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