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ヘルプマン

2013.09.29 UP

誰もが最期まで 人生の主人公であり続けるために

認知症ケアの専門家として、日本全国から講演に呼ばれる和田行男さん。ご利用者さんたちを親しみを込めて「婆さん」と呼び、介護とは婆さんたちが生きる姿を取り戻すための支援だと言います。講演では、相手を心配するあまり、介護を通じてその人の持っている力を奪ってしまっていないかと、全国の介護従事者たちに問いかけます。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

死は「終わり」ではなく「始まり」

中学の頃は俗に言う「鉄っちゃん」。
蒸気機関車をひたすら追いかけていました。

でも、当時は石炭から石油の時代への移行期。お役御免になった蒸気機関車たちは、駅の構内に野ざらしにされ、石炭も水も与えられず瞬間的にボロボロになっていきました。同じ頃、つきあっていた女の子にもフラれ、ダブルのショックを受けました。

高校に入ってからも機関車たちの最期を看取るための旅をしながら考えたのが「死」、つまり「終わるということ」についてでした。高校2年まで考え続けて出た結論は、「そうか、人間はみんな死ぬんや」ということ。貧乏も、金持ちも、終わりは平等に来る。そう思ったら人生がひっくりかえるほど気が楽になった。と同時に「今やることをやっておかないと明日はないかもしれん」という気がしてきた。

もともと僕は小学校の頃から弁当をフタで隠して食べるような内気な奴だったのですが、以後は高校の文化祭の実行委員長に立候補するような人間に変わってしまった。そういう意味では死は自分にとって「終わり」ではなく、それを自覚することが「始まり」でしたね。こうした死生観は、「自分の意志とは無関係に人は誰もが壊れるもの」「生きている間は誰もが人生の主人公」という、認知症を考える時の一番大事な入口につながっています。

生まれ変わるつもりで福祉の門を叩く

SLにあこがれて旧国鉄に入社しましたが、民営化を機に国鉄を飛び出し、福祉の世界に入りました。

きっかけとなったのは1982年から障害者や高齢者に列車の旅を楽しんでもらう目的で国鉄が企画した臨時列車「障害者列車ひまわり号」に1983年にボランティアとして参加したこと。翌年には実行委員会事務局長として「京都ひまわり号」の運行を担当、その際にある特別養護老人ホームの施設長と顔見知りになって、これもご縁と思い、退職後は心機一転、生まれ変わるつもりでその門を叩きました。

当時はまだ認知症を痴呆症と呼んだ時代。旧厚生省が実施する研修に参加すると身体拘束なども珍しくない状況で、人を人として扱っていない、首をかしげるような実態もありました。自分は専門的な知識も資格もありませんでしたから、「わからんことはわからん、できへんことはできへん」と言えるようになろうと努めました。初めて飛び込んだ特養での経験と思考が、いまにつながっていると思います。

高齢者は「保護の対象」ではなく「主人公」

私たち介護の専門職の仕事は、国民がたとえ認知症になっても、その人が自立して人との関係性を保ち、社会とつながりながら生活を営めるよう支援すること。そのために、我々の専門性が発揮されないといけない。しかし、残念なことに「高齢者への尊び=保護」という観念があるようで、本人ができることまでしてあげることになり、結果的に能力を奪う介護になっている。
しかもそれが外からはわかりにくい。業界もそこにあぐらをかいている部分があります。

介護保険制度の理念は、「要介護状態となった高齢者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うことを目的とする」と法に謳われています。要介護状態になったからといって決して「保護の対象」ではなくて、あくまで本人が人生の「主人公」なのです。本人が生活の主体者であって、家族や僕らは、それを「支援する」んだという基本原理を実はまだまだ世の中も業界自身も自覚できていない。

「介護」という言葉もよくないですね。
本来は「支援」が正しいと思う。
婆さんたちが生きる姿を取り戻すための「支援」こそが、僕らの仕事なのです。

その人の「人間力」を信じる

僕は講演の中で誤解を覚悟の上で「婆さんは大事にしたら滅びるで。婆さんはこき使わんとあかんでー」と話しています。
専門職はどうしても技術に関心が向き、「自分のことは自分で」という価値基準を忘れがち。

婆さんの能力を引き出すには、築き上げてきた「生活の姿」をどう維持していくか、そのために必要なことは何かを考えていくことから始まります。1999年から施設長を務めた都内初のグループホーム「こもれび」では、それまでの痴呆ケアとは異なる、さまざまなことに挑戦しました。買い物や掃除など日常生活行為を婆さん自身ができるようにすすめました。

例えばスーパーまで2人組で買い物に行ってもらう場合、店内ではスタッフは2人から離れて見守りの体制につきます。問題なく2人で買い物ができるまでは半年ほどかかりましたが、実現までの試行錯誤や緊張感が生活の感覚を取り戻すきっかけになりました。掃除もふだん通りに部屋をきれいにするという日常行為が、他の家政行為よりも大変な作業なだけに身体にとっては「宝もの」となります。

高齢者は人間力を何十年も蓄えてきた、人生のベテラン。
その人間力を信じることからすべてが始まるのです。

子育てに見る介護の真髄

僕が介護業界に来て、意外にも役に立ったのが子育ての経験です。子育てをすると人間がわかります。どういう過程を踏んで歩けるようになったり、排泄が自分でできるようになったりするかがわかる。

保育と介護はちょうど活動能力の獲得と衰退が対称の関係で、子育ての中に介護の真髄が隠されているような気もします。

例えば赤ちゃんは周りの人に対して自分の内面にあるものを泣き声や動作で表現しますが、それが届くかどうかは相手の姿勢にかかっています。他人と関係することを僕は「響き合い」と呼んでいますが、いくら赤ん坊が響き合わせてきても、僕が赤ん坊と響き合わせようとしなければ、響き合いは生まれません。逆に響き合えるように必死で力を尽くせば、何となく相手のこともわかる気がするようになります。

婆さんの支援も同じで、テクニックよりも本来人間が持っている響き合わせの能力を最大限発揮できるかどうかが大事。相手のことをどれだけ「知りたい」と思えるかで、響き合えるかどうかが決まるのです。

会社のために仕事をするな

現在は(株)大起エンゼルヘルプ(従業者約750名の総合介護サービス)のグループホームなどの部門のクオリティーマネージャーとして、前述した介護保険法の理念を社員とともに追求、実践しています。その一方、勉強会の講師としても各地を飛び回っています。

毎年大起エンゼルヘルプの入社式では「あなた方は会社のために仕事をしてはダメ。眼を向けるべきは目の前の利用者だ。介護の専門職は国民の方を向かんとアカン」と話しています。日本国憲法には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とありますが、僕たち介護の専門家はその担い手として、この言葉を重く受け止めなければいけないと思います。

人間というのは明日も生きていられると思うから今日さぼる生き物です。
でも、認知症の方は、記憶が消えていく不安や自分が自分でいられなくなる不安と戦いながら、一所懸命に「今」を生きています。介護の世界というのは、そういう人たちと絆を結び合うことにより、「とんでもないことを学べるところ」です。ある意味毎日が「哲学」の世界。生きるとは?家族とは?孤独とは?すべて哲学。そんなふうに奥深く、本質的な日々を言葉で上手に表現できる人がいたら、哲学者のように語れるに違いありません。

だからこそ、介護に携わる人間は一方的に何かを「してあげる」のではなく、専門職としてその人の人生を見つめ、深く関わり、支えることが大切。僕はある知り合いのデイサービスの所長になぜこの仕事をやっているのかを尋ねたことがあります。残念ながら答えは「要介護状態にある人が週に2回でも楽しめる場所があれば素敵じゃないですか」というもの。

僕らの仕事は税金を使って婆さんたちをハコの中に閉じ込めることではなくて、もう一度それまでの楽しみを取り戻せるようにすること。リハビリテーションです。それを忘れたらあかんと、職員にも、全国で行う研修会でも訴えています。

コミュニケーション力について

ある認知症の婆さんが、大興奮の混乱状態でホームにやってきたことがありました。
僕は頭の中で家族から聞いた話を思い出し、混乱の理由を推理し、タイミングを計らって大きな声で言ってみました。「○○さん。昨日あんたの娘さんに会ったで」。すると彼女は「むすめー」と応えてくれました。次に僕は歌を一緒に歌えないかと考え、「ふるさと」をゆっくりと口ずさみました。すると彼女も一緒に口ずさんでくれたのです。

僕が必死で相手のことを考えた結果です。一般的に求められる人材の要件として「コミュニケーション能力のある人」というのが定番ですが、自分を主張できるとか、受け答えが上手だとかいうことを僕は必ずしも重視していません。

むしろ言葉や表現には長けていなくてもかまわない。というのは言葉が上手な人が、上手なばかりにお年寄りが体を動かすチャンスを奪ってしまうこともあるからです。逆にマスクをして三角巾で包帯を巻いて婆さんの前に行くと「どうしたの?」「今日は私が全部したげる」という展開になることだってあります。

一番大事なことは相手のことをどれだけ「知りたい」と思えるかであって、技術論ではないのです。

ヘッドハンティングされる人に

超高齢社会の到来とともに要介護状態になる人、認知症の人も当然増えていきます。

一方で労働者人口は減っていく。
世の中が求めていることと労働人口のミスマッチが拡大していきます。

介護業界も国民のセーフティネットとして必要だと考えるなら、待遇を改善するなど事業として担保する仕組みが必要です。施設や要介護度によって利用制限が細かく規定されているため臨機応変な介護ができないなど、介護保険制度の中には矛盾と思える部分も少なくありません。

ただ、いろいろな問題をあげつらって自分を高める努力もせず、制度政策や会社のせいにしていても何も打開できないし、そんな人ばかりでは日本がダメになってしまう。うまくいかないことを他人や環境のせいにして責めるなんて時間がもったいない。僕は職員には、他からヘッドハンティングされるぐらいの存在になって欲しいと思っているし、「自分の追求を怠るな」と発破(ハッパ)をかけています。

みなさんに望みたいことは、もっともっといろんな体験をして生きる力を付けて欲しいということです。
人は変わっていける生き物。最後はやっぱり生き抜こうという力が大事です。

【文: 高山 淳 写真: 山田 彰一】

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