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2013.09.29 UP

好きな人と好きなところで、 暮らし続けるために必要なもの

1年の放浪生活のあと医師をめざした色平哲郎さん。フィリピンで出会った医学生に影響を受け、地域医療の道に進みました。長野の山村で12年、いまでは年間150人もの医学生が色平さんの元を訪れます。「“好きな人と好きなところで暮らし続ける”という幸福感は、医療やお金の力では実現しない」と話す色平さんを長野に訪ねました。 (※この記事は2012年以前のもので、個人の所属・仕事内容などは現在と異なる場合があります)

バブさんとの出会い

スチューデント・アパシー(学生無気力症候群)だったのかもしれません。
ある日、いつもの通学電車で逆の方向に行きたくなりました。それから丸1年の放浪生活。
たいへんな親不孝でしたね。

日立市のキャバレーにいたこともありました。大学を出て何をすべきかわからなかったし、官僚とかにも興味がなかった。放浪の後、医師ならば社会貢献できるかもしれないし、食いっぱぐれないだろうと京大医学部に入り直しました。

地域医療に目覚めたのは、京大生時代に訪れたフィリピンのレイテ島で、当時医学生だったバブさん(スマナ・バルア医師)と出会ったことが大きい。バブさんは助産師、看護師として村の家に入り、実際に人々の役に立っていました。その彼からフィリピン国立大学レイテ校が、日本の若月俊一博士の「農村医科大学構想」に共鳴して創設されたことを教えてもらいました。今いる佐久総合病院の育ての親が農村医学の父、故・若月俊一博士。それで自分がいまここ(佐久)にいるわけです。

ベテラン保健師に学んだこと

1996年、長野県南牧村のへき地診療所に赴任。そこで助けてもらったのが無医村で30年以上勤めたベテラン保健師でした。彼女は僕と村人を媒介する翻訳者のような存在になってくれました。

例えば彼女は僕のことを「10言いたいことがあると10展開する人」だと叱ってくれ、それでは駄目で「10言いたいことがあるなら10回足を運びなさい」と諭されました。「忍耐と洞察力こそ、人々の心の中に住み込むためのポイント」だと。往診に行く時も白衣は着ません。紅葉でも眺めに来たついでと世間話を始めて、お茶をいただいているうちにやっと体調の話をしてくれるようになります。

若月俊一博士が言う「民衆には3歩では早すぎる。1歩前へ」と通じるものがありました。

「ゼロ次医療」の担い手としての介護

ディビッド・ワーナーの『Where There is No Doctor』という世界で聖書の次に読まれていると言われる本があります。医師がいないところでどのように怪我や病気に対処すればいいかという「プライマリー・ヘルス・ケア(PHC)」の教科書です。信州の無医村でこのPHCを担っていたのが保健師だったのです。保健師からは「医療を担うのは医師だけではない」ことを教えてもらいました。

PHCではケアの主体は住民。保健師はあくまで助言者という立場です。もともと「おたがいさま、おかげさまで」で助け合ってきたのが「ゼロ次医療」のコミュニティ。医療は、こうした人の野生の力(生き抜く力)をスポイルしてしまう危険性があります。でも介護はどちらかというと自前の創意工夫や努力で世話をするからそうはならない。

これからの日本にはPHCとその担い手としての保健師や介護士が不可欠なのです。

医療技術の権威化、商品化、協同化

農村医療で最大のニーズは何かというと「予防」です。予防は治療に勝ると。
でも医療技術が商品化されると患者がたくさん来た方が儲かるとなる。

信州はそうなる前に協同化されている医療技術システムが広まりました。長野県は男性の平均寿命が日本一、女性は5位なのに1人当たりの老人医療費は全国でも最低。これは若月博士らの努力があってこそ、偶然ではないのです。医療技術はその適用について大別した場合、権威化されているか、商品化されているか、協同化されているかに分かれます。医科大学の権威化されている技術は確かに凄いし、受け皿としての技術システムさえ整えば、海外でも通用すると言われていますが、その恩恵にあずかれるのはほんの一部の人。次に商品化された医療技術ですが、これは患者の集まる場所でしか活かせない。

だから郡部は置いていかれる。そこで佐久総合病院(農業協同組合が運営)のような協同化された医療技術が必要になります。

介護現場や生活のあり様を知らない
日本の医学生

戦後の日本は医療技術の商品化の過程であらゆるものを医療化してしまいました。生まれるところから死ぬところまで、住宅からひっぺがして、施設の中でということをあたり前にしてしまった。ハードの豊かさが、人々は100%死ぬもんだということを見えにくくしてしまったのです。アジアの一部ではそれがまだ目の前にあるから、老人が家族でケアされるのはあたり前のことになっています。

僕のところには医学生がひっきりなしにやって来ますが、彼らは看護のことがわかっていません。ましてやその向こうにいる介護なんてわかるはずがありません。

ある医学生ははっきり自分の言葉でこう言いました。「医学部では社会福祉全般、老後どういうふうに人が暮らすかなどはまったく教えてもらっていません」と。それが日本の医学部の最大の特徴なのです。

権威、技術、お金で解決できないもの

医療側からすると、介護の仕事というのは、食事や排泄、着替えなど、我々の及ばないような所にまで配慮が行き届いていることを、つくづく感じます。だから、介護施設で医師が勤務した際も、ほとんどの生活面を介護のプロが支えてくれているからこそ、医療側は安心して日常のケアをお任せしていられるわけでしょう。

すべての日本人にとって、すべての人間にとって、「すきなひととすきなところでくらしつづけたい」という幸福感を担保することは、医師とか、お金の力では無理です。
権威、技術、お金では解決できないところばかりが、現代社会に残ったのです。

その一方で現状として、なかなか介護職には日が当たっていません。だから僕は大学や一般の主婦を相手にケアリテラシーの教科書として、家庭医学書の代わりに「ヘルプマン!」を宣伝してまわっているわけです(笑)。

「狂狷(きょうけん)の徒」であれ

夢とか期待感だけでこの業界に入って来ても続かないと思います。

私が出会いたいのは「狂狷」の人。これは孔子が2500年前に『論語』で言っていることですが、理想は中庸の人なんだけれどもそういう人はまずいないと。それで次に挙げたのがこの「狂狷の徒」なのです。これは敢えて何かをやる進取の気性と説を曲げない頑固さを併せ持った人という意味。「むてっぽう」で「へそまがり」と言ってもいいでしょう。

医師にあてはめてみると自分の医療技術を商品化したり、権威化したりする部分は確かにあるけれど、どこかでお世話になった人々にお返しをしないといけないと考えるような変わった感覚を持って、実際にそうしてしまう人。あるいはビジネスよりも社会貢献を取る人。日本人の中にもしもこの狂狷の感覚が無いのだとすると、世界最高齢国として国を保っていくことはできないような気がします。

南方熊楠の感覚を取り戻すこと

例えば南方熊楠(※)は狂狷の人です。彼は能力にすばらしいものがありましたが、その能力を現世のお金や票に換えたりはしない感性をもっていました。それが南方の南方たるゆえんです。そんな感覚を現代の日本にこそ取り戻してみたいものです。現実の医学生たちはこれに逆行した感覚の医科大学“白い巨塔”で過ごす時期が長いのかもしれませんが……。

すばらしい素質を持っていて、手応えのある社会的へき地や地理的へき地で仕事をしたいと僕には言うのですが、実際はなかなかそうならない。それは周りからの期待度が本人の考えをねじ曲げてしまっていくからだと僕は思っています。村に来る学生たちは、農作業や機織りや、炭焼きや林業の現場で輝いている老人たちと出会い、その生活力に対する尊敬の念が自然に溢れてきます。

しかし、時間の経過とともに、老人たちは少しずつ障害を背負い、下の世話が必要になり、まともに喋れなくなっていきます。それでもかつて「こんなお医者さんになってね」と叱咤激励してくれた人たちに対して、学生たちの尊敬の念は変わらないはずです。むしろ老人たちと共有できたものが、彼らの一生を貫くことになるはずだと思っています。そういうことが狂狷の感覚を再認識するとっかかりになればいいなと思っています。

※南方熊楠(みなかたくまぐす)。日本の博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者。菌類学者としては粘菌の研究で知られる。草創期の博物学・民俗学に異彩を放つ業績を残した在野の学者。

等身大で参加する介護

今の日本は社会保障や、医師が何かを与えすぎることによって、自前の自治が消えていっています。

だから僕は都会にこそ危機感を持っています。
現在の都会人は、野生の感覚や、自分の足で立つという自治の感覚から切り離されて、自分の職能を持つプロとしてお金の感覚の中で生きています。

しかし、そうなればなるほど、ヨーロッパのように基盤となる信仰や、アジアのように、元々あったコミュニティ上に成り立ってるわけではない環境で老後を迎え、最後に人の死亡率100%という話を医師に言われた時の気持ちの落ち具合は、尋常ではないはずです。

だからこそ医療ではなく介護や福祉が大切になります。
等身大の自分が参加し、地域生活の中で不可欠の役割を担うことを通じ、矛盾をも背負い込み、やがて「等身大の自治」を再構築する。
そんなチャレンジを、自らの力で実現してほしいものだと思います。

色平先生のブログ「信州の農村医療の現場から」
http://irohira.web.fc2.com/

【文: 高山 淳 写真: 山田 彰一】

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